時刻は夜の7時を迎えようとしている。 普段の青年の家では、青年が作った夕食を姫海棠はたてとみかんの二人と一匹で食べながら、テレビやとりとめもない雑談をして過ごすのだが今日に限ってはいつもと違う光景が広がっていた。

「にゃふふ〜、ふ〜、はむ」

 卓袱台の上にみかんを枕代わりにしてはたてが寝ていたのだ。 とても気持ちよさそうな顔でみかんの尻尾をスリスリとさすりながら寝るはたての横では、青年が困った顔で座っていた。

「まいったなぁ、これじゃ夕食作れそうにないや。 でも、今日は頑張ったし……おとなしく待っておこうかな?」

 はたてがツインテールにするためにくくっている紫色のリボンを弄りながら青年は同じくはたてを困った顔でみていたみかんに話しかける。 みかんも同意したように頷いた。

 今日の朝から夕方において、姫海棠はたては大冒険をしてきたのだ。

 といっても、青年の家から徒歩一分の場所に存在している、優しい老夫婦の家なのだ が。

 それはそれとして、はたては自分の足で外へ出てみかんと一緒に老夫婦が住んでいる家まで行くこととなった。 そこではたては老夫婦と出会い、お昼ご飯を奢ってもらい、あまつさえあられまで貰って帰ってきたのだ。

 家に帰ったのは青年がバイトを終わった頃である。 はたてを探し慌てふためいていた青年の前に涼しい顔で帰ってきたはたては青年にお土産用のあられを手渡し、そのままテーブルに肘を置き、みかんと一緒に遊んでいるうちに船を漕ぎ出したのが先程のこと、そして現在──楽しそうに微笑みながら完全に寝ていた。 姫海棠はたての冒険は終わりを迎えているようだ。

 はたてが何も喋らないので、まったく事情が分からない青年であるが、なんとなくみかんの目線から読み取ると青年は特に何を言うでもなくずっとそのままにしていた。

 けど、流石に寝過ぎじゃないか?

 青年は心の中ではたてに問いかける──が、そんなことお構いなしにはたてはみかんの尻尾を撫でているだけであった。

 あと30分くらいまってあげるかぁ……。

 そう結論付けた青年の元に、機械的電子音が聞こえてきた。

「ん? こんな時間に誰だ? 霊夢さんかな? だとしたら夕食が減っちゃうんだけど……」

 ぼやきながら玄関へと歩みを進め、戸を開ける。 そこに立っていたのは意外な人物であった。 人里の顔である上白沢慧音であった。 チャームポイントである頭に乗っけている帽子(?)を落とすことなく青年に笑いかける慧音。

「あ、あれ? 慧音さん……どうしたんですか?」

「むっ、なんだその顔は。 折角、お前達のために夕食を持ってきたというのに」

「えっ……!?」

 突然の訪問に驚いた青年だが、慧音が両手で持っている大皿を見つけ目を丸くした。 大皿には、かぼちゃ・にんじん・豆・しいたけ・大葉・さつまいも、などのてんぷらが大量に乗っていた。 カリカリに揚がった衣に、食欲をそそる匂い、じゅーじゅーと微かに音をたてるその料理に、思わず青年はごくりと咽喉を鳴らす。

「い、いいんですかっ!? こんなに大量にもらってしまって……。 後で請求したりとか」

「霊夢のような真似はしないさ。 まったく……、お前はどれだけ日々酷い仕打ちを受けているんだ」

 ため息を吐く慧音に、青年は思わず苦笑する。 それが当たり前になっている今の日常に思わず笑ってしまったのだろうか。

「あ、よかったら夕食、食べていきます? といっても、今日はそうめんしかないんですけど」

「ふむ、まるでいつもは素敵な夕食が広がっているような口ぶりだな」

「いつもそうめんしかないんですけど」

「それはそれで悲しくなってくるな」

 くすくすと口元に手を当てながら笑う慧音。

 青年は戸を完全に開け、慧音を招きいれる。

「うふぁ……、よく寝た……。 ──って、なんで人里のお偉いさんが此処にいるわけ?」

 招かれた慧音が見たものは、卓袱台に頭を乗っけ寝ぼけ眼でこちらを見つめる姫海棠はたてであった。 なお、みかんの尻尾を弄ることはやめない。

「そちらは随分とダラダラしているようだな。 まったく……、烏天狗が人間の家で居候とは前代未聞だ」

「いいじゃない。 生活が楽よ?」

「……お前はちょっと甘やかしすぎじゃないか? そういうお人よしな所がお前のいい所ではあるが、時として逆効果にだな──」

 はたてとの問答の後、青年に振り返った慧音はくどくどと説教を開始する。 説教を受けている青年は、下を向き反省したように俯きながら慧音には見えない角度で欠伸をする。

 こつんっ

「人が話している間は欠伸をするな」

「……何故バレたんだ……」

 疑問符を浮かべながら額を擦る青年。 そんな二人のやり取りを見ながら、はたては青年に声をかけた。

「それより夕食にしましょうよ。 お腹がすきすぎて餓死寸前よ」

「はいはい。 今日は頑張ったもんね。 いますぐ夕食作ってくるよ」

 エプロンをつけながら、はたての声に応える青年。

 大きな鍋に水をはり、コンロを回し火をつけると、その間に小皿に塩を一掴み乗せ卓袱台に座っているはたてと慧音の前に置く。

 はたてはそれが当たり前なのか、自分の箸でかぼちゃのてんぷらを口に放り込む。 もぐもぐと咀嚼するはたて。

「……これが普通の日常なのか?」

「まぁ……日常ではありますね」

「?」

 苦笑する青年に、何故慧音が自分のほうを見ながら顔を覆っているのかわからず首を傾げるはたて。

「にゃー! にゃにゃっ!」

「はいはい、人参ね。 ちょっとまって、食べやすい大きさに切ってあげるから」

 袖を引っ張るみかんに答えながら、はたては器用に箸で猫の口に入る大きさに切っていく。 軽く塩をつけ、みかんの口に持っていくと、

「はい、あ〜ん」

「にゃ〜ん」

 自らも口を開けながら、手を添えてみかんの口に人参のてんぷらを運び込んだ。 はたてと同様、もぐもぐと咀嚼したみかんは目をカッと大きく見開き、嬉しそうに声を上げた。 どうやら、よっぽど美味しかったようだ。

「……お前と扱いが違うな」

「何言ってるんですか、僕の扱いはMの人にはご褒美ですよ。 たまたま僕がMじゃないだけで」

「はぁ……。 まぁ、当人たちが楽しく暮らしているのならいいのかもしれんな。 今日の訪問は少し様子見も兼ねていたが、それなりに不自由なく暮らしているようだな」

「あ、家計簿みます? 結構ギリギリで生活してますよ? お金ください」

「働かざる者食うべからずという言葉があるのは知ってるな?」

「だってよ、ニート」

「こっちみんな」

 青年は先ほどからこちらの話をガン無視でてんぷらを食べ続けるはたてに振り向く、が、はたてはそう一言青年のほうを見向きもせず告げるだけであった。

「僕には不屈の心があるからね、はたてに何言われても大丈夫だよ。 慧音さん、傷ついた僕を癒してください」

「お前の不屈の心は簡単に折れるんだな。 それより、鍋のほうは大丈夫なのか?」

「うわっ!? そういえばそうだった!?」

 指さした先にはいまにも吹きこぼれそうな鍋がカタカタと音を立てており、青年は慌ててその場に飛びつき火を抑え目にしてそうめんを三人前投入した。

 そうめんさえ入れてしまえば、青年のすることは何もない──というわけにはいかない所が辛いところだ。 鍋のほうを軽く見ながら、冷蔵庫から取り出したのは長ネギ。 それを軽く洗い、まな板で刻んでいく。 お次は計量カップに水を少々、氷を大量に投入し冷水を作るとつゆと一緒に卓袱台に置く。

「やはり手伝うぞ?」

「いいですよ。 もう終わりますので。 慧音さんはゆっくりしておいてください」

 腰を浮かした慧音に、青年はやんわりと断りを入れると急いで台所に戻っていった。 丁度いい具合に茹でられたそうめんをザルに移し水をかけながら手で揉む。 一度、手を拭き大皿に氷を敷き詰めると少量だけ水をかけ、卓袱台に運んで行った。

「おまたせー。 ささ、慧音さんもどうぞ」

 「あー、お腹すいた!」 そう声を上げながら自分の分のつゆを作るはたてと、慧音と自身の分を作り手渡す青年。 慧音は笑みを浮かべながら渡されたお椀を受け取り、そうめんを口の中へと運ぶ。 つるんとしたのど越しが食道を通り、慧音の胃へと流れ込む。

「おいしい……。 やはりそうめんはいいものだな」

「ですねー。 毎日夕食にしてもいいくらいですよ」

「それは体に悪いから止めておくんだ」

 真面目な顔してとんでもないことをのたまう青年に慧音はため息を吐きながら返す。

 大分食べられたてんぷらに手をつける青年。 青年が食べる頃には先ほどよりも冷めていて、食感もパリパリとはいかなくなっていたが、それでもおいしさは変わらず青年の胃を満たしていった。

 青年はみかんにそうめんを分けているはたてに話しかける。

「はたて、明日バイトが休みだし川魚捕りにいかない? 勿論、お昼と夕食がかかってます」

「そこまで財政は圧迫しているの……。 まぁ、それはべつにしても面白そうね。 幻想郷が出来た頃はよくやってたわねー。 意外と魚釣りはうまかったのよ?」

「流石おばあちゃん。 釣り名人ってだね。 だったら明日の魚釣りははたてにやってもらうよ!」

「……あんた、人に悪口言っておいて笑顔でお願いする癖止めたほうがいいわよ?」

「え? 僕がいつ悪口言った?」

 本当に不思議そうな表情を見せる青年に、はたては白い目を向け慧音はコツンと頭を叩いた。

「こら、女性に“おばあちゃん”はないだろ? 見た目は若いのだし、せめて違う呼び方をしたらどうだ?」

「そうよ。 ほら、あんたはいっつも自慢してるんでしょ? 『僕の家に居候しているのは、美少女烏天狗の姫海棠はたてなんだよ! 可愛すぎて僕死にそう!』って。 ほんと、あんたは役得よね。 私みたいにミラクル美少女と一緒に生活できてるんだから」

「え? プロニートがなんだって?」

「プロ舐めたら痛い目みるわよ」

 いったいどういう脅し文句なんだ。 何故かドヤ顔のはたてを見て青年はそう心の中で突っ込んだが口には出さなかった。 出すと色々と面倒なことになりそうだと、そう直感が告げたのである。

 そうめんを咀嚼しながらはたては何かを思い出したかのような表情を作る。 それに疑問の声を投げかける青年。

「いや……川魚沢山捕れたらお隣にもおすそ分けが出来るな〜、なんてことを考えて。 けど……あんたじゃ無理そうと思って。 精々2匹が限界かしら?」

 青年の顔を見ながら露骨にため息を吐くはたて。

「ふっふっふ、はたて……。 キミは僕のことを誤解しているようだね」

「え? サイフがなんだって?」

「せめて人間にランクアップしてください。 って、そうじゃなくて。 これでもはたてが来る前は結構釣りしてたんだよね。 まぁ、明日を楽しみにしてるといいよ」

「はいはい。 期待はしないけど、せめて明日のお昼の分はお願いね?」

「お昼の分と言わず、お隣さんと慧音さんの分まで釣ってあげよう!」

「んっ? 私はいいぞ。 もしもボウズだったときが大変なことになるしな」

 慧音が冗談半分、本気半分でからかうと青年はガックリと肩を落としその場に崩れ落ちる。 はたてはみかんを抱きながらけらけらと笑い、慧音は口元に手を当てくすくすと笑う。

「いいもん……明日は絶対大漁で驚かせてやるんだから……」

 二人の笑い声を聞きながら、青年は拳を握りしめて固く誓うのだった。




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