A's22.球技大会D



 ゴリ率いる教師チームの圧倒的かつ理不尽な力を見せつけられた俺達のクラスは、フリスビーで遊びババ抜きで遊び、ティーパーティーをして盛り上がっていた。

 ……いかん、これはいかんぞッ……!

 もはや完全に俺達のクラスはやる気がなくなっている。 それはそうだろう。 なんせ金属バットを6本も折ったゴリが決勝もピッチャーを務めるのだから。 クロスプレーなんて考えていないんだろう、なんせあちらは完全試合が当たり前のチームなんだから。

 私立聖祥大学付属高等学校は、生徒の質が高い水準であると同時に、教師の質も高水準である。 その質の中身は様々で勉学もあれば一芸(音楽や芸術)の質と様々である。 そして当然といえば当然であるが、教師のほとんどが運動が出来る人材だ。 ……まぁ俺らの担任とかいう人物は例外だけど。

「まいったな……普段は生徒の運動能力が高いから見落としがちだけど、教師もそれなりの運動能力をもってるんだよなぁ。 まぁそれでも俺ら高校生のほうが分はあるが」

 それがどこまで通用するか。 なんせあっちにはゴリがいる。 あいつ一人で9人分と考えてよい。

 1番バッターでピッチャー。 全ての打席でホームランを叩きだし、全ての試合を完全試合で終わらせている化け物。

 だが、あいつだって人間だ。 どこか、どこかつけている隙があるはずだ……!

 クラスメイトが撮ってくれていた教師チームの動画を食い入るように見る。 スロー再生で、早送りで、巻き戻して、時間を掌握し行動を制限する。 ゴリの動きを頭の中でトレースし、勝つ方法を探り出す。

 アタックアタックアタックアタックアタックアタックアタック────見つからない。

 アタックアタックアタックアタックアタックアタックアタック────浮かばない。

 既存のありとあらゆるシュミレーションをしてもゴリを倒す算段が思い浮かばない。

「いや、そんなはずはない……。 俺がこの球技大会に出場している以上、優勝するのは俺達だ」

 だというのに──全くもって困ったことだ。

「だからゴリラに球を渡すのはダメなんだよ……」

 この動画を見る限り、俺らの勝利はない。

 だとしたら、やるべきことはただ一つ。

「勝つ見込みがないのなら、俺が勝てるレベルまで引きずり降ろせばいいだけのことだ。 それを可能にする戦力が俺にはある」

 これまでのシュミレーションが役に立たないのなら、それを捨てて新たに作ればいいだけの話なんだから。

 幸い、決勝まで30分の時間がある。

 ペンと紙をクラスメイトから借り、まずは自分の戦力を把握する。

 まずはフェイト。 多分一番ヒットを打てる可能性がある人物だ。 閃光の異名は伊達ではない。 あのゴリのスピードでもフェイトは目で見て確認して、真芯でとらえることが出来るだろう。 だけど──あのフェイトの細腕で前に飛ばせるかどうか怪しい。 身体強化をすればいけるんだが──そんなことさせるわけにはいかない。 流石にそこは線引きしておかないと。

 チラリと横目でなのは達と談笑しているフェイトを盗み見る。 可愛い……可愛すぎる! いかん、やはりフェイトに身体強化までさせるわけにはいかん。 フェイトはきっと俺が頼めばやってくれる。 これまでもそうだった。 どんなに渋い顔をしていても、頼めばやれやれといった顔で何でもしてくれた。 フェイトはとても優しく、素敵な人だ。

 だから、こんなこと頼めない。

 俺のわがままで、俺の都合で、そんな素敵な人を”凡人”にしたくない。

「ただまぁ……身体強化はさせないとして、ピッチャーはなのはとフェイトの最強バッテリーに頼るしかないんだよなぁ……」

 身体強化はさせたくないけど、ボールは操ってほしい。

 なんなんだこのクソガキが考えたようなご都合主義のルール。

「でも勝つためには最低条件として打たれないが必要なんだよなぁー! そうなるとやっぱりなのフェイに頼むしか……」

 だけど身体強化はダメでボール操りは許可。 いやぁ……なんかこれは違うような──

 頭の中で自問自答していると、いつもそばにいる二人の気配を背後で感じた。 ふりむく暇もなく、顔の両横からそれぞれ頭を出して手元の紙を覗き込んでくる。

「あれ? 俊くんなにやってるの?」

「どうやって教師チームに勝つかのシュミレーション。 ゴリの強さを見て諦めたかもしれんが、俺は絶対に諦めるわけにはいかんのよ」

 なんせこっちはいつもお世話になっている校長先生のピンチ。 たったこれしきの不祥事でも叩く奴は死ぬほど出てくるわけだ。 そうなると、人がよい校長は学校の品位を下げないためにも自分からこの学校を去る。 というよりその方法しかない。 それこそがこの問題を計画した奴の真の狙い。 それを未然に防ぐためにも、俺は絶対に勝つんだ。

 ただまぁ──

 遊んでいるクラスメイトを見渡す。 ふむふむ、やっぱこうなるわな。 俺も校長先生に命令されてなかったらこうなってただろうし。

「諦める? 何言ってるの俊くん?」

 なのはが首を傾げながらこちらを見てくる。 少し前に顔を突き出せば唇が触れ合い距離。 その距離で、なのははいつもと変わらない笑顔で言った。

「みんな俊くんの作戦待ちなんだからね! 早く優勝できる作戦考えてよ!」

 肩をバシバシと叩きながらそう言ってのけたなのは。 思わず顔が点になる。

「そうそう、俊の指示で皆動くんだからね」

「いや、でもだってみんな遊んでたし──」

「そりゃ指揮官の号令もないのに動く兵隊はいないでしょ」

 やれやれと頭を振りながら、言っておくけどね──そう前置きして

「誰も負けることなんて考えていないからね」

 フェイトはウインクを飛ばした。

 周囲を見渡す。 見渡して、自分を責める。

 なんてことだ。 なんて見落としだ。 全員──瞳は前を向いていたんだ。

 この場で俺だけが負けることを一瞬でも考えてしまったんだ。

「……悪い。 ちょっとお前らのこと甘く見てた」

『困るぜ大将―』

『ここまできたら優勝しか興味ないんだからなー!』

『まぁ元から優勝以外いらないけどねー!』

 あぁ、まったくもってその通りだ。

 俺達はなんのために此処にきた?

「なのは、フェイト。 お前らにはピッチャーとキャッチャーのバッテリーを頼む」

 紙に守備位置を書き込んでいく。 と、なのはが横から手を出してペンを走らせていた手を止める。

「俊くーん。 お願いをまだ聞いてないよ?」

「……でも怒られるかもしれないし」

「怒られる……? ぷっ」

 俺のセリフを聞いたなのはが笑いだす。 それにつられてフェイトも一緒になって笑い出した。

「俊くん、もう2回戦で使ってるんだから今更だよそれ! あはは、あーお腹痛い! それに、身体強化とかしなければあっち側にバレないしね!」

 グッと親指を立てるなのは。 それでいいのだろうかエースオブエース。 いや……まぁいいか。 それに、勝つためには必要だしな。

「うん、頼んだ」

「うむ、頼まれた」

 うんうんと首を縦に振るなのは。 かわいい。

「さて、それじゃちょっと打順も弄っていこうかな」

 守備はこれで問題ない。 無敵のエースオブエースに任せる以上、俺が出来ることなんて皆無だ。

 後は攻撃。 1点をどういれるかだ。

 クラスメイトを巻き込んで全員で考える。 ゴリが体力切れなんて起こすはずはないし、かといってクロスプレーも出来ない。

 あーでもない、こーでもないと言いながらも、なんとか決まった打順と作戦。

 勝っても負けてもこれで最後。 これからが俺達の本当の球技大会だ。

 指定の時間となり、全員でグラウンドに整列する。 対面にゴリが目を瞑ったまま静かに問う。

「よくきたな上矢。 遺言書は書いてきたか?」

「そっちこそ、負け犬の首輪は買ってきたのか?」

 捻じ伏せる。 ただそれだけを胸に刻み、決勝戦を迎える。

         ☆

 コイントスの結果、俺達は後攻となった。 ここで守備位置の確認だ。

 ピッチャー・なのは キャッチャー・フェイト ファースト・アリサ セカンド・はやて ショート・俺 サード・すずか レフト・野球部A センター・野球部B ライト・野球部C

 という配置である。 だがまぁ──守備配置なんて問題ではない。 なんせ──

 ピッチャーマウンドにいるなのはが足を上げ、振りかぶって投げる。

 ボールは外角低め、フェイトが構えていたキャッチャーミットに寸分の狂いもなく剛速球で吸い込まれていった。

 一番バッターのゴリが思わず呻く。

「ぬぅ……高町。 2回戦のあの投球はブラフだったというわけか……」

「すいません、田中先生。 わたし毎日(魔法)球で遊んでいるので、実は得意なんですっ!」

 嬉しそうな表情を見せるなのは。

 ゴリはそんななのはにふっと笑いかけ、

「上矢。 球技大会終わったら校長室に来い。 親御さんを交えて、いまの高町の発言について問いただす。 あと高町、校則で不純異性交遊禁止だというのは知っているよな?」

 ──なんか壮絶な勘違いをしていた。

「まってなのはが言ったことはそういう意味じゃないからッ!? 日本人なら言外にあるその真意を汲み取って──」

「汲み取った結果があれだ。 つまりそういうことなんだろ? 貴様は殺す」

「だから違うって言ってるだろボケ教師が! なのはも反論して──」

『あぅ……しゅ、俊くんとなのはが……』

「なのはさぁぁぁああああああんッ!?」

 違うんだよ! 真っ赤な顔を伏せてほしいわけじゃないんだよ!? ゴリに反論してほしいんだよ!

 プツンッ

 なんだろう、一気に空気が弛緩した気がする。 俺らの一番の攻撃力であった戦意とピンと張りつめた糸が切れた音が聞こえてきた。

「さてはゴリめ……! 俺達の戦意と興奮を冷ますのが目的だったのか……!」

 ふと周りを見渡すと、顔を覆っているなのはを筆頭にグランドのメンバー、応援席にいるクラスメイト、全員とも明らかに瞳に宿っていた炎が鎮火していた。

 ──してやられた。

 ゴリを見る。 あいつはうっすらと笑みを浮かべていた。

 なのはが振りかぶって投げる。 外から内に抉るように入ってくるボールに、ゴリはしっかりと腋をしめて──

 カキンッ!

 真芯で捕えた。

 あぁ……やられた。

 ゴリにとっては、あのなのはのボールだって絶好の球だったんだ。

 高く高く羽が舞うように、白球が空へ登っていく。

 ぐんぐんと伸びていく白球は、その頂きに到達し引力に従って──なのはが構えていたミットにすっぽりと収まった。

「……へ?」

 思わず情けない声が出る。 あ、あれ? 俺の気のせいだったかな? ボールはホームラン一直線のはずだったんだけど……。

 ボールを手に取ったなのは、くるくると手の中でボールを弄りながらくすりと笑った。 俺の目はとうとうおかしくなったのだろうか。

 くすりと笑って、流し目でゴリを見つめるなのはの周りに、魔力光を模した天使の羽が飛んでいた。

           ☆

 高町なのはの雰囲気が変わった。 この場にいる全員がそう思ったことだろう。 いつもはぽかぽかとお日様を体現したような存在である彼女。 その彼女があのゴリを打ち負かしたのだから。 まるで鞘から抜き出た日本刀のように。 ウォーターカッターのように。 いまのなのはは触れるもの全てを切るような雰囲気を醸し出していた。

 皆が驚くその中、フェイトとはやて、そしてようやく状況を呑み込んだ俊だけが、戦闘モードに入ったのだと理解した。

 管理局のエースオブエース。 魔法の天才。 空に愛された魔導師。

 その異名を、その呼び名を、この場にいる全員が刻み込むこととなる。

 空に愛された彼女の前では飛ぶことすら許されない。

 それは何も、人間だけのことではない。

 なのはの手から放たれたボールは、フェイトが構えるミットに吸い付くようにはいっていく。

 2番打者相手には空振り三振を決めたなのは。 この調子かと思いきや、次ぐ3番打者には初球から綺麗に合わせられた。 これは抜ける── 誰もがそう確信した瞬間、ボールはギュルギュルとバックスピンを開始して、勢いをなくしストンとピッチャーであるなのはのミットにおさまった。

『チェンジッ!』

 野球部員の声とともに攻撃と守備が入れ替わる。 ピッチャーであるなのは、そして女房役のフェイトに拍手と賛辞がひっきりなしでかかってくる。 それになのははピース、フェイトは笑顔で応えた。

『なのはちゃんすごかったよ! なんかなのはちゃんの周りだけ空気が違った感じだったよ!』

『もう無敵って感じだったよ!』

「にゃはー、困ったにゃ〜。 でもありがと! わたしも打つほうでは役に立てないけど、ピッチャーで一生懸命頑張る!」

 Vサインを見せるなのはに、クラスメイトが沸き上がる。

 なのはのピッチングで優勝の2文字が現実的なものになってきた。 しかしとうのなのはは、

「(ふっふっふ……。 これで俊くんはわたしに惚れ直したかな? 最近、ずっとフェイトちゃんやはやてちゃんに尻尾を振ってるし、ここらで誰が俊くんにふさわしいご主人様かってのを再確認させないとね! あぁ……いまから楽しみ。 打ち上げで俊くんがわたしを見つめながら潤んだ瞳でなのはの名前を呼んで、それになのはが応えて、足を舐めさせてそして──って、ダメダメ!? まだわたしも俊くんもまだ高校生なのに……。 でも──もう高校生だもね)」

 などとピンク色の頭で幸せな夢を視ている最中である。

 この試合、なのははどう俊の心をゲットするかに重きをおいているようだ。 けど、だからこそ、なのはもこの試合負ける気などさらさらない。

「さてと、それじゃ私行ってくるね」

「おう、頼んだぞ」

 ベンチで水を一口含んだフェイトが、ヘルメットをかぶりバッターボックスに立つ。 相も変わらず、1番バッターとして切り込み隊長を務めてくれている。

「お手柔らかにお願いします。 先生?」

 ニコっと微笑むフェイトに、守備についていた男性教師たちが立ちくらみをおこす。 無理もない、スタイルも性格もよいフェイトは、生徒としても女性としても完璧すぎるほど完璧なのだから。 教師としても男性としてもくらっときてしまうものだ。

 ただ、ゴリだけは例外としてどっしりと仁王立ちしていた。

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンか。 全ての試合で圧倒的な出塁率を誇る強打者。 それに、あの高町のボールをいともたやすく捕球する姿。 上矢の軍勢で一番塁に出したくない人物だな」

「あら、そこまで私のことを評価してくれたんですか? ありがとございます」

 そう言っている間にゴリは投球フォームからなのはと同じスピードの球を放る。 ただ一つ違う点は球質の重さだろうか。 空気を平伏しながらキャッチャーの元へと向かう球。 バットを一段と強く握りしめたフェイトは、力いっぱいフルスイングする。

 何かが折れる音とともに、ボールはころころと力なくゴリの足元へと転がっていった。 それを手に取るゴリは、バッターボックスで両手を痛そうにぶんぶん振っているフェイトに声をかけた。

「ほぅ……いまのを打つか。 流石というべきだな。 ただ──その手でこれからの試合が──」

「あ、これくらいいつものことなんで大丈夫です」

「……そうか」

「うー、久々にあんな固い衝撃手に受けたかも。 なのはの魔力弾を素手で受け止めたとき以来だよ。 ねーなのはー! 救急箱取ってー!」

『はーい! ちょっとまってー!』

 いたたー、なんてことを言いながら両手をさするフェイト。 ネクストバッターサークルで救急箱を構えていたなのはの所にいって、手当を受ける。

「うー、じんじんする。 あれはちょっとアリサ達には無理だと思うよ」

「だねー。 見た感じそんな気がする。 はい、おしまい」

「ありがとー。 じゃあ次がんばってね!」

「うん!」

 まるで家路の別れ際のような気軽さで手を振り、ベンチに戻るフェイトとバッターボックスに入るなのは。

 よろしくおねがいしまーす! そう頭を下げながら入ってきたなのはは、すぐにベンチへと帰ることとなった。

「だから打てないってなのは言ったじゃん! 折角ピッチャーかっこよかったのに! かっこよかったのに!」

うわぁああああん! とフェイトの膝で泣くなのは。 本人の宣言通り、凄いのは投球だけのようであった。

「まぁまぁなのは。 次は俊だし応援してあげよ?」

「うっ……ぐすっ……うん。 しゅんくんがんばれー」

 まるで地蔵のようにフェイトの膝から動かなくなったなのはは、両腕でがっちりとフェイトを抱きしめて、体をバッターボックスのほうに向けた。 ひらがなばかりの声援を送った。

──

 俊はゆっくりと噛み締めるようにバッターボックスに立つ。 両手でしっかりとバットの根本を持ち、長打を狙う。 この一戦、決して負けるわけにはいかないのだ。 俊は自覚している。 自分がクラスを引っ張る存在だと。 自分とゴリの初戦が、この試合の勝敗を大きく左右することを理解している。 しかしそれはゴリとて同じ。 全ての試合を完全勝利で終わらせてきたゴリは、決勝戦もその予定で臨んでいる。 そして、ゴリも理解している。 このクラスは──起爆したら手がつけられないクラスだということを。

 動物園クラス。 それは嫌味であり賛辞の呼称でもある。 一度檻から解き放たれた動物たちは、勝利の雄叫びを上げるまで決して檻に戻ることはしない。 ありとあらゆるモノを狩り、不屈の魂をもつ存在。 そしてこの決勝戦、ついに檻は壊され動物たちは地へと降りた。

 ゴリはそのことを理解している。 そしてその中心で牙を光らせ瞳孔を見開き、虎視眈々と自分を狙う猛獣が誰なのかを。

「お前は本当に怖い存在だ。 普段はバカがバカを着てバカ歩きしているのにもかかわらず」

「先生、日本語が不自由なようですが大丈夫ですか?」

「一度本気を出すと、あいつらを纏めてあげて襲い掛かってくる。 本当に恐ろしい存在だ」

「そりゃどうも。 あんたに言われると体が痒くなってくる」

「心配するな。 俺は本音しか言わない主義だ」

 だが勘違いしてはいけない。

「決勝戦、絶対にお前と戦うと思っていたのでな。 お前の対策はバッチリだ」

 ゴリは一度も、彼を侮ったことなどないのだ。 彼のここ一番の怖さも知っている。 彼の火事場の馬鹿力も、彼の起爆の材料も、全てを知り尽くしている。

 だからこそ──発火している彼の炎を消すことなどいとも容易かった。

 世の中で一番重要なものは純粋たる力だ。

 どんなに権力をもっていようとも、どんなに金を所有していようとも、どんなに名声を得ようとも、圧倒的な暴力の前には全て平伏す。

 そう──ゴリが選んだ球種は全てストレート。 コースはど真ん中。 ゴリはその純粋たる力で彼を捻じ伏せたのだ。 彼の中で燃えていたロウソクの炎が消える。

 彼はバットを振った。 確かに目で見てよく狙ってスイングした。 しかし彼のバットは空気を叩きつけ、ボールはミットに収まる結果となった。

 それは誰がみても理解できる。 空振り三振というものであった。

「上矢、お前がどんなに凄いか知っている。 しかし、いまのお前では俺の球は打てん。 ハラオウンが打てたとしても、お前は絶対に打てない。 何故かわかるか? 簡単だ。 お前が弱いからだ。 ハラオウンのようにしなだれない木はすぐに折れる。 いまのお前はまさにそのしなだれかたを知らない木だ」

 バッターボックスからは舌打ちが聞こえてくる。 何も言わないまま、黙ったまま、彼はベンチへと引き下がり守備のためにグラブをはめる。 全員とも、どう声をかけていいのかわからなかった。 空振り三振という完全に打ち負かされた事実、フェイトが当たったのだからこいつなら……という期待が一気に理想へと変わった瞬間、この場にいる全員がそのことを理解していた。 否、一人だけ理解していない者がいた。

「どんまい俊くん! 次があるよ! 肩の力を抜いていこう!」

 軽やかに言い放つなのは。 俊の肩を叩き、まるで安心させるかのごとくドヤ顔で親指を立てる。

 そんな彼女の行動に、俊も顔をほころばせた。

「お前がヌいてくれたらそれで十分なんだけどな」

「このボケナス! もうなんで三振してんのハゲ!」

「あれッ!? 急に冷たくなってない!?」

「まぁまぁわたしと俊くんの中じゃない! それに、わたしは本当に俊くんが打ってくれると信じてるし。 それまでに何か対策立てないとね」

「だな、あともう1打席回ってくるんだし、そのうちに対策立てないとな。 まいったな……いまのままじゃ全然打てる気がしねえ」

 参った参ったとやれやれと首を振る俊。

 そんな俊にクラスメイトからも意見が飛ぶ。

『まずゴリのことだから絶対にストレートだろうな』

『ああ違いない。 ほんでコースもど真ん中だな。 ゴリ性格悪いし』

『でもあんなゴリでも妻子持ちだぜ? つまり童貞卒業してるんだぞ?』

『ゴリラの交尾か……』

『激しそうだな……』

「俊くん、どうしてわたし達のクラスはすぐにズレていくの?」

「バカしかいないからかな」

 至極当たり前な結論に達する。

 そしてその軌道修正をするのはいつもこのお方である。

「ほらほらあんた達! いつまで喋ってんの! 早く守備に戻るわよ!」

 手でベンチから追い払うようにレギュラーメンバーを外へやるアリサ。 自身もグラブをはめ守備位置に入る。 その時、俊の隣にそっと歩み寄り小さな声で胸を軽く小突きながらウインクを飛ばして言った。

「ここまで来させたんだから責任取りなさいよ?」

 笑顔で笑う彼女は、一片たりとも負けを意識していないようだった。

 その笑顔が、俊の胸にすとんと落ちる。 屈託なく笑う彼女。 いつもバカらしいと言いながら、それでもはいはいとその手腕でクラスを纏め上げる彼女。 お互いにLOVEではないがLikeな関係。 今日だって、クラスのために嫌な役を全部引き受けてくれた。 いつだって、クラスのために嫌な役を受け入れてくれた。

 そんな彼女の頑張りを俊はよく知っている。

「そうだな。 表彰式にお前の笑顔が見たいしな」

「バーカ。 そういうこと言わないほうがいいわよ? 普通の女の子なら惚れちゃうから」

「なんだよー、お前は惚れてくれないのか?」

「ふふっ、ホームラン打ったら惚れちゃうかもしれないわよ? なーんてね」

 あっかんべーをしながら自分の守備に戻るアリサ。

 自然と出るため息に頭を掻きながら、俊も自分の守備位置についた。

            ☆

 軽快にストライクをとるなのはの横顔を見ながら、自分がなのはのことを好きになってよかったと考える。 彼女は俺の理想でありヒーローだ。 何度彼女のように強くなりたいと思ったことか。 何度彼女のような存在になりたいと思ったことか。

 いつだって彼女は勝利を勝ち取ってきた。 歩く萌え要素でありながら、ウラボスのような存在。 それが彼女だ。

 今回だって、きっと彼女は一人も塁に出すことなく5回を終えるだろう。 例えゴリが相手だろうと、空を味方につけた彼女には敵わない。 だから結局、最後は俺とゴリの勝負になる。 勝たなきゃいけないこと前提の勝負。 一度負けた、敗戦を経験した。 フェイトより下だと言外に言われた。 だがそんなことは別に痛くも痒くもない。 だって彼女のほうが数段上なのは俺が一番よく知ってるから。 だが、そのフェイトが俺に期待してくれている。 なのはがアリサが信じてくれている。 他の皆もそうだ。 顔には出さないけども、皆でゴリの対策を考えてくれている。

 いったい誰のために?

 そんなの決まってる。 俺のためにだ。

 いったい何のために?

 そんなの決まってる。 俺が打てるためにだ。

 バシンッとミットにボールがおさまる音が聞こえてくる。 いまの打者で3アウト。 俺達は互いに声を掛け合いながらベンチへと戻る。

「そんじゃ、ちょっと野球部の意地でも見せるかね。 ひょっとこ、出来るだけ粘るからお前も目に焼き付けとけよ」

 そういって今日の大会、最後まで4番を背に背負ってくれた野球部はバッターボックスへと向かう。 軽く一礼しグリップを握ってまっすぐにゴリを見据える。

 ──1球目

 バットを短くもっていたあいつは、コンパクトなスイングでファールチップを当てにいく。

 いまの球種はストレートか……。

 ──2球目

 先程と同じ球威、先程よりもやや内角を攻めたコース。 ゴリは生徒にボールをぶつけたらどうしようなんて考えははなからない。 あいつにそんな脳みそあるかどうかも疑問であるが、それよりも『生徒に当てない』という絶対的な自信を持っているからである。 そして、その自信に裏打ちされるだけの実力を兼ね備えている。 しかし、だからといって、こちらも空振りで終わるわけにはいかない。 いくら球威が重く速くても、先程同様ストレートならあいつだって──

 打てないわけはない。 そんな俺の楽観論をあざ笑うかのようにゴリは遥か上を行っていた。

 ストン──

 まるで不可視の壁に当たったかのように、ボールは谷へと落ちていった。

 薄々感じていた。 あのゴリがストレート以外の球種を投げられないわけがないことを。

 でも! だからって!

『『ストレートと同じ速度で変化球とかせこいだろッ!!!』』

 俺らクラスの悲痛な叫びがグラウンド内に木霊した。

 なんなんだあのチート! あいつ管理者権限でも持ってんのかよ!

「おいひょっとこ!? お前ほんとに打てるんだろうな!?」

「いやいや難易度跳ね上がった!? わかんねえよ! 握り一緒だったし球速変わんねえし!?」

 あぁッ!? そんな会話をしてる間にも既にアウトになっている!?

 すごすごと戻ってくる野球部員に問う。

「おいどうだった!? お前からみてどうだった!?」

「あんなボールみたことない……魔物だわ完全に……」

 い、いかん……完全に戦意消失してるぞ……。

 はぁ……とため息をつきながらベンチに座る野球部員。 そっか、あおちからみてもアレはおかしかったのか……。

「……やばいな。 ストレートに絞ろうにもこれじゃ絞りようがないし、第一まだ変化球投げれるかもしれないしなぁ。 というかゴリが下方向の変化球だけしか持っていないはずがない」

 パワプロだとゴリは全方向に変化球マークがついてもおかしくない存在なんだから。

 せめて握りが違ったり球速が違ったりしてくれれば、こちらも活路を見出せることが出来るのだが……。

 唸りながら、眉を寄せる。 どうにかして、どうにかして勝機を──ちゅっ

 頬になんらかの感触が。 それを認識する頃には、触れた本人はこちらに抱きつきしなだれていた。

「は、はやて……さん? な、なにをしてるんですか?」

「んー? 補給」

 ……成程、補給か。 確かに補給ないと艦隊も進めないからな。 うん、おっぱい当たってるしなんの問題も──

「俊くん?」

「俊?」

 問題山積みだった

「い、いや俺は何もしてないぞ!? 一生懸命ゴリを攻略しようと──」

「ふーん……」

「ほーう……」

 指を鳴らして詰め寄るなあのはとフェイト。 抱きついて離れないはやて。 子猫が甘えるゆに頬を摺り寄せてくる。 ダメだ、この状況でゴリを攻略してるなんて言っても誰も信じてくれない。

 ぐわしッと頭を鷲掴みにされ──た直後に、はやてがぱっと離れる。

「うーん! 補給完了や! それじゃちょっと解明してくるで。 まぁわたしの読みが当たってればええんやけど……」

 ぶんぶんと手を振りながら、バッターボックスから帰ってくるすずかのバットを受け取るはやて。 いったい、何をするつもりなんだ?

 両隣にすとんと腰を下ろしたなのはとフェイト、それにクラスの皆もはやての動向に注目する。

 1球目
 ゴリは容赦なく、抉るように外側いっぱいから内側ギリギリに入る変化球で決めてくる。 やっぱこいつに容赦なんて存在しない。 流石のはやてもそれは打てないと判断したのだろうか、ピクリと体を反応させるだけに止め、バットを振ろうとはしなかった。

 2球目
 空気抵抗が存在しないのではと思うほど、力強いストレート。 空気の壁を破壊して進むようなその動きに、はやては素早くスイングで対応する。 ボールは真後ろに飛んでいき知らないクラスの男子に命中した。

 3球目
 追い込まれても顔色を変えないはやてに、ゴリが選んだ球種は大きくうねりをあげて斜め上から斜め下に落ちてくるカーブだった。 蛇が鎌首もたげて襲い掛かってくる様を彷彿とさせるそのカーブに、所見のはやてはなんとかバットには当てたもののころころと一塁線へと転がっていったボールは、ファースト自らがキャッチしベースを踏んでアウトとなった。 流石、このカーブも同じ速度とは化け物度が増してきたな。

『ふっ、いまのスローカーブを当ててくるとは恐ろしい奴だな』

「「「「どこがスローカーブだよ!?」」」」

「え!? 俺の中でスローカーブの定義が歪んできたんだけど!?」

「いやまて! あいてはゴリだぞ! きっとスローカーブを知らないんだ! ほら、俺には聞こえてくる……ゴリラがボールを持って嬉しそうにはしゃぐ声が……」

「「「「あぁ……確かに……」」」」

『貴様ら放課後生徒指導室へこい』

 ゴリラがなんか喚いてるようだが、あいにく人間には理解できないんだ。 ごめんね。

 それはそうとこれで2回も終了。 いまから3回目か。

「よーし! わたしがんばるよ! ズギャーンっていってドキューンって決めてくる!」

 両拳を握りしめて、ふんすっ!って聞こえてきそうなほど意気込んでいるなのはの頭をわしゃわしゃと撫でる。 なんか猫と遊んでいるみたいで気持ちいい……。

 なのはの頭を撫でていると、つんつんと後ろから誰かに肩をつつかれた。

 振り向くと、犬耳と尻尾(の幻影が見える)フェイトがニコニコした笑顔で立っていた。

「えっと……」

 何も言わずにただニコニコするのみ。 さ、触ればいいのだろうか?

 恐る恐る頭を撫でると、耳と尻尾がぶんぶんと反応している──ような気がした。

 か、かわいい……。

 まるで本物の犬耳尻尾のように動くフェイトの姿をみて、癒される。 フェイトのほうを向いたことで後ろのなのはから凍てつく波動が背中にビシビシと当たっているがいま振り返ったら間違いなく卒倒するので振り向かないようにしよう。

『こらー! あんた達早く位置につきなさーい!』

「はっ!? そうだった!」

 既に守備位置についていたアリサからのお叱りでようやく我に返る。 お、恐るべし……ドッグフェイト……。

 撫でていた手をどけると、名残惜しそうな顔を向けてくるフェイト。 それに後ろ髪をひかれる思いで自分の守備位置につく。 まぁ実際になのはに守備位置まで強引に引きずられていったんですけどね。

 1回、2回と無安打で抑えたなのは。 3回は7番8番9番の下位打線のため、あっさりと三者凡退を決めた。 試合を進めていくごとにストレートが重くなり、変化球のキレが増しているのが恐ろしいところだ。

 ベンチに戻り、スポーツドリンクを飲みながらこちらの下位打線(といっても野球部2人にラストバッターがアリサにしてあるのでまったく下位打線ではないんだけど)の応援をする。

 1人目は空振り。 本気で悔しさを露わにする。 よくわかる。 俺もそうだったから。

 2人目、続けて2球連続ストライク。 もう後がない。

「あれ? ネクストバッターサークルにアリサいなくていいのか?」

 まぁ俺達ほとんどあそこ使用してないけど。 律儀で真面目なアリサなら普段ならあそこで軽くスイングをし合わせている頃だ。 不思議に思い辺りを見回す。 いた。 ベンチに少し離れた場所。 はやての話を聞いていた。 はやてが話し終えると、黙ったまま腕組みをし考えこむ。

「ねぇ俊くん、アリサちゃんの番になっちゃったよ?」

「え? マジで? おーいアリサ! 出番だぞ!」

『あ、ちょっとまって! いま行くわ!』

 なのはと二人で手を振りながらアリサをよぶ。 アリサはそれに応える形で手を振り返すと、はやてと一緒にこちらに走ってきた。

「おまたせ! じゃあちょっと行ってくるわね。 はやて、あの話、信じていいのね?」

「うんええよ。 さっきの打席で疑心が確信に変わったから」

「オッケー!」

 足早に打席へと向かうアリサ。

 先程のはやてとアリサの会話、そしていまのやり取りを聞いて俺ははやてに問いかけた。

「さっきの話ってなんだ?」

「俊がなんでど真ん中ストレートを空振り三振したのかの謎が解けたから、アリサちゃんに教えて、わたしの理論で打ち破れるか実践してもらうおうとおもってるんよ」

 説明しながらこちらに詰め寄ろうとするはやて、その間にフェイトが当たり前のように座った。 はやてはそのまま立ち上がり、これまた当たり前のように俺の膝の上に座る。 お姫様だっこの形で両手を俺の首にかける。

 冷めた二人の視線もなんのその、はやてはそのまま説明を続ける。

「ゴリ先生のストレートはバッターがバットを振ってボールが当たる範囲にきたらホップする仕組みになってるんよ。 それも、俊のときは1球目2球目3球目、全部ホップする大きさを変えてきとった」

「……マジで?」

「マジやで。 俊はど真ん中ストレートを打てなかったショックで見てなかったかもしれへんけど、キャッチャーミットまでは流石に騙せん。 ただ怖いのは3段階ホップやから、ストレート一つにしても的を絞ることができへんってとこなんよね……」

 それってつまり、上向きの球種が3つあるってことか……。 なんつー無理ゲー。

 でも──

『ストライク! バッターアウト! チェンジ!!』

 はやてをお姫様だっこしたまま立ち上がる。

「ありがとうはやて。 お前がいてくれて本当によかったよ」

 下から見上げてくるはやては、若干潤んだ表情で優しく微笑んだ。

 着々と、ゴリを俺達のレベルまで引きずりおろしている。

              ☆

 フェイトちゃんもはやてちゃんも俊くんのお膝に座ってうらやましい……。

 わ、わたしだって……! いやでもちょっとまって。 なんでわざわざわたしから座らないといけないの? 別にわたし俊くんのことなんかこれっぽっちも好きじゃないのに。

 4回表。 バッターは田中先生。 ここ一番ってときに変なことばかり考えちゃう。 なんかもやもやする。 飼い犬が他の人間にじゃれてついて嫉妬する飼い主の気持ちがよくわかる。 あ、あくまで例えだよ? わたしべつに嫉妬とかしてないよ?

 そりゃまぁ、他の女の子と喋ったりするのをみるのは嫌だけど、嫌だけどそれだけだし。 呼べばすぐにクルシ、一日中部屋の中で一緒に過ごしたりもしたし。 べつに俊くんのことなんて好きじゃない。 好きなんかじゃないよ。 わたしがいま頑張ってる理由は好意からきてるものじゃないよ?

 じゃあなんのために?

「なのは! 4回表、頼んだぞ!」

「うん! 任せて!」

 うん、やっぱりこの笑顔だよね。

 俊くんには笑っていてほしいから。 だからわたしは頑張れる。

 自分の中で全ての動きがスローモーションに見えてくる。 そしてその中は自分だけはいつもと変わらない動きが出来る。 何度も何度も経験してきたこの感覚。

 バットなんて振らせない。 瞬きさえも許さない。

 一瞬で駆け抜ける

「これがわたしの全力全開……ッ!!」

『なのはぁ……手が痛いよぉ……』

 あ、ご、ごめんねフェイトちゃん!?

       ☆

 全てを無に帰し そんな表情で4回表を投げ終わったなのは。 ゴリに一振りも与えなかったとは、やはり管理局のエースオブエースは化け物か。

「すごかったわねぇ、なのはの『滅びよ……』」

「いやいやそんなこと一度も言ってないよ!?」

「あれ? 気づいてなかった? なのは言ってたよ。 キャッチャーの私のほうまでバッチリと。 アリサはちょっと笑ってたし」

「そんなぁ! ひどいよアリサちゃん!」

「ちょ、ちょっとだけよちょっとだけ! ほんのちょっと笑っただけ!」

 でも、正直俺もあの場面で笑いを取りにくるなのはは凄いと思った。 本人はまったくそんな気ないとしても。 そして同時に思う。 こんなに頑張ってくれている彼女のために、この試合に勝つと。

 4回裏、いよいよ俺の出番がくる。

 クラス全員でエンジンを組み、円の中心でアリサが話す。

「いい? ここが正念場よ。 フェイト、なのは、そして俊。 ここで一気に叩き込むわよ。 そしてなのはで逃げ切り。 追いつかれても、強打者引き入る4番5番6番でまた絶望へ叩き込む」

 そうだ、ここが俺達の勝負どころ。

「ここは戦場! 勝つるは強者のみ! あたし達は何を成すためにここまできたの!!」

「「「「友を救うためにッ!!」」」」

「討つべき敵はッ!」

「「「「眼前にッ!!」」」」

「いくわよー! 猛獣の恐ろしさ見せつけるわよッ!!!」

「「「「応ッ!!」」」」

 アリサの鼓舞でクラスの士気が一気に上がる。

 煌く牙を光らせて、40人あまりの猛獣が牙をむく。

 フェイトがバッターボックスに立つ。 今日2回目のゴリとの対戦。

 初球はファール。 ストレートになんとか食らいついた。 2球目もファール。 落としたボールに即座に反応しあてにいった。 3球目──中から外へと逃げる球に、腕をめいっぱい伸ばすことで対応する。 カンッと音をたてて三塁側ファーロゾーンへところころ転がっていく。

「フェイトちゃんがんばれ……!」

「フェイト! ファイト!」

 4球 5球 6球──と食らいついていくフェイト。 ただ、持久勝負となると、俺達に勝ち目はない。 ゴリ相手に体力勝負を挑もうなんてお門違いもいいとこだ。

『先生、もっとえぐるようなコース投げてきても大丈夫ですよ? それとも、私に遠慮してるんですか?』

『いや、いつでも俺は全力だ。 そうでないとお前達生徒に申し訳ないからな』

「俺……もうちょっとゴリはサボることを覚えてもいいと思うんだ」

「あぁ、確かに……。 あいつ無尽蔵なスタミナもってるからな」

「……正直あいつの空手チョップとか首折れるかと思うよな」

『お前らには120%で当たってやる。 心配するな』

「いやぁあああぁぁぁああああッ!?」

 俺らクラスの切実な願いは、本人の口から否定された。

 そんなことをしている間にも、フェイトとゴリの勝負は続く。 9球目をゴリが投げたそのとき、勝負は動いた。

 ゴリが投げたボールを、フェイトが押されながらもなんとか打ち返したのだ。 それは綺麗なセンターヒット。 一気に湧き上がるベンチ。 否、ベンチを飛び越して観客までもが沸き上がった。 本人は痛い痛いといいながら、両手をぶるんぶるんさせているけど。 それでもこの歓声を聞いて、笑顔でこちらにサムズアップしてきた。 なので俺らもサムズアップし返す。

「いける! いけるぞ! 次は──」

「がんばるおー!」

「「「「あぁ……うん。 いってらっしゃい……」」」」

「あれ!? なんで皆一気にテンション下がったの!?」

 えっ!? えっ!? と言いながらテンションを下げる皆に焦るなのは。 違うんだよ、お前が悪いんじゃないんだよ。 これは運命の女神様が悪いんだよ……。

「まぁなのははピッチャーでいっぱい頑張ってくれたからもうそれだけで十分だよ。 よっしゃ、後は任せろ!」

 なのはが持っていたバットを手に打席へと向かう。

「いやいやまって俊くん!? わたしの番でしょ!? なにさらっとハブろうとしてんの!?」

 俺の手からバットをもぎ取ったなのはは、ぷりぷりと怒りながらバッターボックスに立った。 かと思いきや、こちらに振り向き、

「わたし『ストライーク!』みんなが思ってるよりずっと『ストライーク!』出来るんだからね!『ストライーク! アウト!』よーしいくぞー! ……え? 終わり……?」

「よっしゃぁ! ひょっとこ頼むぞ!」

「ぶちかませ!」

「俊君! 頑張れ!」

「俊! 空振り三振なんてしたらただじゃおかないわよ!」

「俊、信じとるよ?」

『俊―! ホームで待ってるからね!』

 クラスメイトの声が自分の中で、炎となって燃え盛る。

 人間って不思議なものだ。 さっきまでは攻略不可能だと思っていたゴリだけど、いまは丁度いい相手だと考えてしまう。 この短時間で、まったく認識が変わってしまった。

「(´・ω・`)」

「お疲れ様、なのは。 後は俺に任せてくれよ。 なのはがこんなに頑張ってくれたんだ。 最後くらい、カッコイイとこ見せないとな」

「(*゚∀゚*)」

 しょんぼりしながら帰ってきたなのはの頭を撫でながら言った言葉に、すっかり機嫌を取り戻してくれたなのは。 けど、この言葉は俺の本音だから。 ご機嫌取りなんかじゃない、正真正銘な素直な気持ち。 そしてその言葉で、喜んでくれているのが嬉しい。

 ゆっくりとバッターボックスに向かう。

「ほぅ……一度は完全に消した炎、再び灯すことに成功したとはな。 だからお前らのクラスは面白いんだ」

 ゴリが土を鳴らしながらのゴリの言葉。

「勘違いしちゃいけないぜ。 前の炎と思うなよ? 今度はあんたがのまれる番だ」

 軽くスイングしながらゴリに言い返す。

 もう大丈夫。 フェイトのようにしなだれない木だけど、それでも俺はまっすぐに立てる。

 俺を支えてくれる人がいるから。 俺を信じてくれる人がいるから。

 ゴリが振りかぶって投げる。 インコースにきたボールに逆らわずに振っていく。 ボールがバットに当たる直前にストンとボールは落下していく。

『ストライク!』

 大丈夫。 心は平静だ。

「上矢、お前は本当にどうしようもない人間だ。 お前一人にこの学校は手を焼いている」

「そりゃどうも。 でも、いいじゃないすか。 毎日が面白くて」

 軽口をたたく。 ゴリはそれに少しだけ口角を釣り上げて応えた。

 やっぱり、なんだかんだでゴリもそう思ってるんだよな。 じゃないと、あんなに毎日俺達に付き合ってくれるわけねえか。

「今度はスライダーだ。 そういえば、お前は将来どうするんだ? ちゃんと考えてるのか?」

 えぐすぎるスライダーを投げながら、耳に痛い言葉のボールをぶつけてくる。

「まぁ……一応。 許可が出ればなんすけどね……」

 ちらりとなのは達を見ながら喋る。

『ストライーク!』

「ふん、ヒモ野郎が。 さて、ラスト1球」

「かかってきな、ゴリラ野郎」

 深く深く深呼吸をする。 なのはが頑張ってくれた。 フェイトが頑張ってくれた。 はやてが頑張ってくれた。 アリサが、すずかが頑張ってくれた。 皆が頑張って、必死に攻略法を探して、最後を俺に託してくれた。

 負ける気がしない。

 負けるわけがない。

 既にあんたは俺達の土俵に上がっているのだから。

 いまなら手に取るように分かる。 ゴリが何を投げるのか。

 ゴリが振りかぶり放ったボール。

 今日の試合、最大球威ともいえるボール。

 だから俺も今日一番のスイングで応える。

 タイミングはドンピシャ、真芯に当たるその間際、ボールは掬い上げるようにホップする。

 1段階、2段階、3段階。 ぐんぐん手元で浮き上がってくる。

 あぁ……成程これはソフトボールでいうライズボールか。 これを野球でするなんてこいつはマジモンの化け物じゃねえか。

 既に体は動いている。 いまさらバットの方向を変えることは出来ない。

 これで終わり。 俺達の優勝は泡となって消えていく。

 頭の中でなのはの笑顔が浮かんでくる。 フェイトの笑顔が、はやての笑顔が。

 優勝して皆で笑顔で写真撮影している光景を思い浮かべて──俺も自然と笑顔になった。

 白球がぐんぐん空へと上がっていく。 シャボン玉のように、頂きへと昇る白球はやがて綺麗な弧を描いてギャラリーの中へと消えてった。

 一瞬の静寂、そして──

『よっしゃぁああああああああああああああああッ!!』

『やってくれると信じてたぜひょっとこッ!!』

『上矢君素敵ッ! 抱いて!』

 クラスメイトの歓喜の声が聞こえてくる。

『すげぇ……あいつやっぱすげえわ……。 あのゴリからホームランかよ』

『やっぱりあいつら恐ろしいぜ……』

『でも、ちょっと上矢君カッコよくなかった?』

『こういう行事のときはカッコよく見えるんだよねぇ。 まぁ一週間もしたらそんな気起きなくなるけど』

 黙れビッチども。 俺にはなのは達がいるからお前らなんてこっちから願い下げじゃ!

 ダイヤモンドを回りながら、自分を賞賛する声に酔いしれる。 そして、ホームベースで迎えてくれているクラスメイトの元へと飛びついた。

             ☆

『明日から通常授業に──』

 背後に聞こえてくる先生の声をBGMに、校長先生に礼のものを渡す。

「どぞー。 なんとかMVP取れましたよ。 俺絶対にフェイトだと思ってたんですけどねー」

「ハラオウンさんの名前は確かに出てましたね。 それに高町さんの名前も。 けどどちらも本部のほうに辞退の旨を伝えにきたんですよ」

「うぉ!? じゃあ危なかったですねー。 というか、なんでそんな勿体無いことを……」

 そう言うと校長先生はきょとんとした顔をして、すぐに破顔した。

「成程成程。 キミもまだまだ子どもということですね。 その点やはり女の子のほうが男の子より大人になるのが早いようで」

「なのは達は処女です! 大人になんてなってません!!」

「分かりました! 分かりましたから校長先生を殴ろうとするのはやめてください!?」

 なんて老人だ! 危うく血祭りにするところだったぞ。

「しかしまぁ、よく見事に勝ってくれましたね。 信じてましたけど」

「そりゃ勿論っすよ。 俺は勝てる戦いしかしないタイプですからね」

「ふふっ1打席目でのあの表情も複線だったという訳ですかな?」

「うっ……それはそれということで……」

「まぁそういうことにしておきましょう」

 あぁそういえばこれを渡さないといけませんね。 そう言いながら校長先生は2枚のチケットを取出し差し出してきた。

 みるとそれは夢の国の招待券。 それも正真正銘の、ラブホなんて入っていない夢の国を楽しむためのチケットだ。

「これって……」

「えぇ、正真正銘MVPに渡す商品ですよ」

 ……なるほど。 ぬかりないあたり流石校長先生だ。

 招待券を受け取り、誰に渡すか考える。 2人か……うーむどうしたものか。

 ──あ、いい考えを見つけた。
 
「ふむ、どうやら使い道を発見したようですね」

「ええ、最高の使い道だと判断しました」

 うむうむ、我ながらいい考え方だ。

『俊くーん! 俊くんどこいったのー!』

『あいつMVP賞貰った瞬間に消えていったわねー。 どこいったのかしら?』

『俊のことやからなんか裏で動いてたりしてなー』

『ふふっそれありそう』

『流石の俊君でもそれはないと思うよ』

 遠くのほうでいつものメンバーの声が聞こえてくる。 そういえば既にBGMが止んでいることから考えて閉会式が終わったのか。 てことはこのままクラス写真だな。

「じゃあ俺はそろそろ行きますね。 あまり繋がっていると知られるとヤバイですし」

「それもそうですね。 それじゃぁ上矢君。 今日は一日お疲れ様でした」

「いえいえ、こちらこそありがとうございました」

 二人してお辞儀して、そのまま別れる。

 クラス写真を撮ったら打ち上げの準備。 今日はまだまだ始まったばかりだ! 忙しくなるなぁ!

「おーいみんなー! 愛しのイケメンがきたぞー!」

           ☆

「ほんと、彼は面白い生徒ですね。 どうでしたか? 球技大会は」

 俊が去った後、校長は校舎の影に隠れていた者に話しかける。 その者は校舎の影から姿を現し校長の前に立って顔を破顔させて嬉しそうに報告する。

「とても面白く、久しぶりに血が滾りました。 特に4回の攻防は最高だったと感じております」

「ええ私も見ておりましたが、とても嬉しそうなあなたを見ているとこちらも嬉しくなってきますね。 あの時、あなたを退学から守ってよかったと実感してますよ」

「いやはや、その説は本当にお世話になりました。 まんまと策にはまって学校を辞めるしか術がなくなったとき、あなたが手を差し伸べてくれなかったらどうなっていたことか……。 私はあのときのあなたに憧れて、教師という道を本格的に目指そうと決めたのですから」

「おやおや……それはそれは嬉しいことですね」

 笑顔を見せる校長に、ゴリも笑顔で応える。

『おいさっきから誰だよ! お前の頭小突いてる奴! 張り倒すぞ!』

『うるせー! なんでお前だけ5人娘はべらせてるみたいな構図で写ってんだよ!』

『そうよそうよ! なのはちゃんよこしなさいよ!』

『だぁああああまれぇぇぇっ! 今回何もしなかったモブ諸君が!』

『んだとッ!? 使い捨て装甲板の分際で!』

『だまれ自慰をすることでしか存在を見出すことができない馬糞以下のゴミクズ共が!』

「……あいつはまた……ッ!」

 ゴリは笑顔から一転阿修羅のような表情で拳を握りしめる。

 これには校長もフォローしきれないのか、あはは……と笑うばかりである。

「っとにあいつはしょうがないですね。 この後ちょっと生徒指導室で説教してきます」

「まぁまぁ、いいじゃありませんか。 ああいう子が学校に一人いたほうが賑やかで面白いですし」

「はぁ……先生は本当に人がよすぎます。 甘々です」

「ついつい高校生の時のあなたを重ねてしまうんですよ」

「いやいや!? 私はあんなにバカではありませんでしたよ!?」

 大きな身振りで主張するゴリに、校長は一枚の写真を内ポケットからそっと取出し見せる。

「ほら、あなたが球技大会で優勝したときのクラス写真です。 真ん中で全裸になっているのがあなたですよ? 多分彼よりひどいです」

「ぐぬぅッ……!? そんな昔のことを……!」

 こうして、元担任と元教え子の昔話は生徒たちが片付けを開始するまで続いていった。

 快晴の空のもと行われた長い長い球技大会は、動物園クラスの優勝で幕を閉じたのであった。




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