最終回.栞
9月20日の朝10時、俺は自室で一人パソコンの前でキーボードを操作していた。 画面上には文字の記号が羅列してあり、それと並行して違うファイルでとあるものを作成していた。 目の乾きを覚え、常備している目薬をさす。 おっさんがビールを飲んだときのような声をだしながら、俺はしばしの間目を閉じていた。
昨日は色々あった。 最高評議会のこと、俺自身のこと、ヴィヴィオが危うく漏らしそうになったこと、リンディさんに絡まれたこと。 列挙しきれないほどの出来事が24時間という限られた時間の中で起こることとなった。
「人生って不思議だよな。 24時間を一瞬で過ごした日もあれば、濃密に過ごす日もある。 それこそ体感でいえば1年は過ぎたと思うほどにさ。 それでも……きっと総合的には変わらないんだろうなぁ」
首を鳴らしながら、目薬によって閉じられていた目を開ける。 そこに映っていたのは勿論パソコン──というわけではなく、
「あれ、ヴィヴィオ? いつの間に膝の上に? まったく気づかなかったんだけど……」
「えへへー、なのはママがまほうでうごかしてくれたのー!」
両手をバッと広げ怪盗ポーズを決めるヴィヴィオ。 このポーズは俺とヴィヴィオが毎週見てる魔法少女コミカルゴメットちゃんの主人公、ゴメットちゃんがよくするポーズだ。 あの子、魔法(物理)という所が好きなんだよな。 ちなみになのは達は見ていない。 だけどその後はバリアジャケット姿なのだから目の保養と理性の崩壊で体に悪い。 やはりまずは先方の両親に挨拶してからが普通だと思うんだ。 それを怠るのは言語道断だと考えるの。
ヴィヴィオを膝の上に乗せながら、作業中断せざるおえなくなった俺はパソコンに手を伸ばそうとした直後──後ろから何者かの攻撃によって妨害された。 攻撃手段は後ろからの抱きつき行為。 抱きついてきた相手はそのまま両手を俺の首の横からぶら下げて楽な体制へと入っていった。
「ふっふっふっ、俊くんは既にわたしの魔法によって拘束されています」
「ほう。 どんな魔法なんですかな?」
「ひっつき虫になるという魔法です。 つまりわたしは俊くんの後ろをこうやってずっとひっつくしかないのです」
「それは残念だ。 なのはを真正面から抱きしめたかったのに」
しかしこればっかりはしょうがない。 なのはの魔法は俺には解けないからな。 それに、正面はヴィヴィオがいるしヴィヴィオを抱きしめよう。
そう思い立ち、ヴィヴィオを抱きしめようとした瞬間、なのはが椅子を回転させ、俺と自分とを正面の位置で固定させた。
「えっと……なのは?」
「そ、その……くっつき虫は正面からでもくっついて平気というか……なんというか……」
指を絡ませもじもじとするなのは。 頬が朱に染まり、視線をこちらにちらちら向ける。 思わず息子が立ち上がる。 それを必死に座らせることに多大な労力を使ってしまう。
「なのはママ? どうしたの?」
「へ? い、いやなんでもないけど……。 ──ヴィヴィオ、ちょっとそこどいてくれるかな?」
俺に抱きついているヴィヴィオに、両手を合わせてお願いするなのは。 ヴィヴィオは一層俺の首に回した手に力を込める。 その様子を見て、なのはの何故か言葉を強くした。
「ヴィヴィオー、ちょっとだけだから。 ね? ね? 譲ってくれるよね?」
「いやー! ここはヴィヴィオのばしょなのー!」
なのはがヴィヴィオの腰を掴むと、ヴィヴィオが膝の上で暴れだしそれによって俺はバランスを大きく崩すことになり──椅子ごと床に倒れこんだ。 なんとかヴィヴィオは無傷だったけど……いまのは正直どうかと思う。
「おい、なのは。 いまのはいくらなんでも──」
「パパー、いまのたのしいねー!」
「ヴィヴィオが喜んでるからどうでもいいや!」
ヴィヴィオの笑顔が生きる原動力です、はい。
いまだヴィヴィオは膝──ではなく腰に座っていた。
「なのは〜、起こしてくれ〜」
なのはに救いを求めて手を上げるも、なのはは俺のパソコンのディスプレイに夢中であった。 急いで立ち上がろうとする俺の腹を、なのはは足で押さえつけ体の動きに制限をかける。 事実、腹の上あたりを押さえつけられた俺は全く動けない。 ただただ静かになのはのパンツを眺める仕事に精を出すだけであった。
「ふーん……これまだ続いてたんだ。 あー、昨日のこともちゃんと書いてるじゃん。 全部キミ視点な上によくわからないけど」
「俺は有言実行型だからな。 絶対に出版まだこぎつけてやる」
「その時はデータを破壊するか俊くんを破壊するかの二択になるね」
「どSな笑みでこちらを見るのは止めてください」
なのはは俺をサンドバックか雌犬ならぬ雄犬とでも思っているのだろうか。 実質その通りだから否定しようがない。
椅子に座ったまま俺を足で無造作に押さえつけているなのはは足を組む。
「見えた! ピンクのふりふりパンツだ!」
左の鼓膜が破れた瞬間だった。
後でアロエ軟膏でも塗っておこう。
「ところでなのはとヴィヴィオは何しにきたの? フェイトの車まだ直ってないんだろ?」
今日の本当の予定としては、皆で朝早くから遊園地に行くはずだった。 しかしながら、家族全員で準備を、いざフェイトの車で出かけようとした直後に問題が起こってしまったのだ。 有体にいえば、車の後輪がパンクしたのだ。 これには思わず全員が押し黙り、ヴィヴィオに至ってはいまにも泣きそうな始末。 移動手段を絶たれた俺達だったが、そこに名乗り出る者がいた。
それが──ガーくんであった。
よくわからんが、一時間もあれば車を直せるみたいなので大人しく待機することにしたのが20分前。 俺はその間作業を、なのはとヴィヴィオはリビングでテレビを、フェイトは執務官の雑務処理を。 各々が自由に過ごすはずの一時間なのだが……。
「暇になりました!」
「なりましたー!」
予想を裏切ることなく揉み揉みしたいおっぱいを張るなのは。 乳首をちゅーちゅーしたくなるおっぱいを張るヴィヴィオ。 この思考が覗かれていませんように。
「ということで、なのはママは俊パパのパソコンのチェックでもしますか。 あ、これを一から見るというのも……」
足をどけずにマウスを操作しだすなのは。
「ヴィヴィオはパパとあそぶー!」
腰の位置を微妙に動かしながら俺の顔に詰め寄ってくるヴィヴィオ。 つい手が勝手にヴィヴィオのスカートをめくる。 いちごパンツだったので、とりあえずぷにってしてみた。
右の鼓膜が破れた瞬間だった。
「ちょっとまて……!? いまなのはの足がありえない動きをしたんだけど……!?」
士郎さんに鍛えてもらった俺だが流石にあんな化け物じみた動きを出来る自信はない。 そもそも士郎さんも恭也さんも化け物すぎだよな。 なんだかんだ大先生と呼ばれていた俺でもあの人たちには勝てないわ。
結局、俺はなのはとヴィヴィオとダラダラと残りの時間を過ごすことになり、丁度一時間が経った頃ガーくんとフェイトが呼びに来た。
「おーい俊になのはにヴィヴィオー。 パンク直ったからいくよー!」
「おー! ガーくん流石だな」
「モットホメテ! モットホメテ!」
飛び跳ねるガーくんの頭を撫でながら、俺達は部屋を出ることにした。
と、そこになのはが袖を引きながらパソコンを指さす。
「題名は書かなくていいの? 分かりにくくない?」
なのはの疑問はもっともであったが、俺はそれに首を横に振ることで答えた。
「まだ終わっちゃいないからな。 なんとなく、題名はつけたくないわけよ。 俺の題名は却下されましたしね」
「あれは当然の結果だと思います」
いい題名だと思ったのに。
嘆息する俺になのははくすくすと笑う。 それが不思議で堪らずつい質問すると、こんな答えが返ってきた。
「いや、いつまでもこんな日常を過ごすのかな〜、と思ってね」
「お気に召さないかい? こんな日常は?」
なのはは極上の笑みを浮かべ答えた。
「こんな日常は大好きです」
天使のように笑いながら話すなのはに、心臓がドクンと跳ね上がったのを自覚する。
まったくズルいよな、女って。
──あんな顔されたら、まともに見つめることなんか出来ないじゃないか。
青年は惚れている女性の顔を見ることが出来ず、ひょっとこのお面で顔を隠しながら部屋を出る。 その後から、栗色の髪の女性が首を傾げながらついていき、金髪の幼女が青年に抱きつきながら話かける。 金髪の女性は、素知らぬ顔で青年の隣をキープしながら歩き立ち、アヒルは定位置となった青年の頭でちょこんと座る。
『ねぇパパー。 なんかおもしろいはなししてー』
『んー、そうだなー。 それじゃぁ……時というものは残酷なものである。 9歳でロリロリでツインテールで天使のような幼馴染も昔は“魔法少女”といわれみんなに可愛がられたものだ。 バリアジャケットだって小学校の制服を参考にしたらしく9歳という年齢も相まってそれはそれは可愛らしいものであった。 しかしどうだろう……10年の歳月が過ぎ、その幼馴染も随分とかわってしまった。 あの純粋無垢だった幼馴染はいまは19歳にもなるのにいまだに“少女”と信じて疑わないらしい。 本当に俺と3年間高校に通ったのかと疑いたくなってくるほどである。 髪型にしてもそうだ、いつもはサイドテールにしているのにここぞというときにはツインテール。 確かにツインテールはかなりの萌えポイントであるがいかがなものかと思う。 極めつけはあのバリアジャケットである。 あれっていまだに小学校の頃の制服をモデルにしているみたいだし正直コスプレにしかみえない』
『ニートの人にそんなこと言われたくないんだけど……』
『あれ……? 遠まわしに私のことも言われてるような……』
いつものように笑いながら、いつものように怒りながら、いつものように冗談を言いながら過ごす──いつも通りの家族の光景が広がっていた。
☆
──これは 『ひょっとこ』こと上矢俊がお送りした 非日常が日常的な 喜劇 気楽 喜話 幸運 幸福 な物語である。
──ん? どうやら彼女達が呼んでいるようだ。
まったく、まだ終わっていないというのに。
……しょうがない、栞を挟んで終わることにしよう。
それでは皆さんまたいつか──ステージ上でお会いましょう。