プロローグ
「ねぇどうしてキミはそこにいるの?」
「んー……なんでだとおもう?」
少年の目の前にいるワンピース姿の少女は、屈託ない笑顔で逆に少年に質問する。少女に逆質問をされた少年は必死に考える。顎に手を置き、可愛らしい唸り声を上げながら一生懸命考える。それでも答えは出なかった。この答えに辿り着けるほど、少年は人生を経験しておらず、少年の心は醜く歪んでいなかったからだ。
「かんがえたけど……ちょっとぼくにはわからない」
少年は落胆と苦笑を滲ませながら少女に答える。少女はそれに笑顔で答えた。
「まぁそんなもんだよっ! まだまだおこちゃまなんだから、しゅりがどうしてここにいるのかはず〜っとあとにわかればいいんだよ」
「おこちゃま〜? ぼくとかわらないのに?」
「しゅりはず〜っとながくいきてるも〜ん」
そこで少女は初めて笑い声をあげた。ぽぽぽ、と。
「でもね、きみがなんでここにきたのかならしゅりしってるよ?」
「え? どうして?」
「だってしゅりがよんだんだもん!」
ぽぽぽ、しゅりと名乗った少女は笑いながら少年の手を取った。
「キミがぼくをよんだの?」
「うん!」
「どうして?」
「キミのことがすきだからかな」
「はへっ!?」
突然少女から放たれた好きという言葉に、少年は驚き少女と繋いでいた手を離す。
いきなり振り解かれた少女はふくれっ面で少年を睨む。
「むー!おんなのこにそんなことしちゃダメなんだよー!」
「あ、ご、ごめんなさい……」
「ぽぽぽ、やっぱりキミはすなおでいいこだねー!だからしゅりはキミをえらんだんだー」
少女は少年に抱きつく。少年の鼻腔をくすぐる柑橘系の甘いにおい。幼いながらに少年はしゅりという可愛らしい少女を前に胸の動悸を抑えることが出来なくなっていた。
この子に聞こえていないか?
少年にはそればかりがきがかりであった。
少年のそんな心を読み取ったかのように、しゅりは抱きついたまま少年の耳に優しく怪しく囁きかける。
「ねぇ……しゅりね、おねがいがあるの」
「な、なぁに?」
少女を抱きしめる度胸がなく両手を虚空に伸ばす少年。少女はなおも続ける。甘い声を出しながら、少年の脳髄を犯す。
「しゅりね?ここからでたいの。キミといっしょにちがうところにいきたいの」
少女と少年は異常とも呼ばれる空間で身を寄せ合っていた。
部屋は畳二枚で構成されており、逃げられないように少年が入ってきた襖を除いたすべてを金具でとめていた。少女の力では決して開けることができないだろう。しかし、この部屋の異常ともいえる最大の異常は部屋一面に貼られたおびただしい数の札であろう。
少女じゃなくてもここから一刻も早く出たいと思ってしまう。
少女は泣き目で少年の顔をじっと見つめる。
少年は考える。自分が祖母からどんな注意を受けたのか。
少年は結論付けた。自分が祖母から受けた注意はもう破っているという事実を。
少年はゆっくりと部屋を見渡し、少女の顔を見つめる。
まだまだ幼い少年に世の中の善悪など分からなかった。
まだまだ幼い少年はしゅりという存在が何故この部屋に隔離されているのかが理解できていなかった。
まだまだ幼い少年は正義感だけは一人前にもっていた。
意を決した少年は少女の手を取り立ち上がる。
「いこう! しゅりちゃん!」
「──ッ!?ほんと!?しゅりきみのことやっぱりだいすき!」
泣き顔から一転、華やかな笑顔を浮かべて少年に抱きつく少女。少年は突然の抱擁に軸足を崩し少女を庇いながら盛大に転ぶ。
「「……」」
つかの間の静寂。少女も少年も一言も喋らない無音の世界。
そんな世界の中、少女は少年に顔を近づけ──半ば強引に唇を奪った。
驚く少年をよそに少女は少年の唇を甘く噛み、次いで噛み千切るほどの勢いをつけた。
「──ッ!?」
硬直する少年、少女は満足したのか笑顔を見せた。
「これでしゅりときみはず〜っといっしょだよ? いつまでも、しゅりはきみについていくからね? ぽぽぽ」
隔絶された世界に住む少女は少年と一緒に新たな一歩を踏み出した。
ぽぽぽぽぽ、少女は笑う。 嬉しそうに可笑しく笑う。
目の前にいる大きな存在を見つめながら可笑しく笑う。
怒られているのは少年一人
それもそのはず──少女は少年以外には見えないのだから。
少年は翌日、両親と一緒に村を出た。 余りにも急な出来事に、少年はもとよりその友達も泣き喚き必死に少年を止めるが親たちは一切の非難も聞く耳をもたないまま少年たちの家族を追い出した。
そうするより他なかったのだ。
なにしろ少年は魅入られてしまったのだから。
愛らしくただひたすらに一途な少女に。
そして村は一週間後に閉鎖された。