34.その女性、優雅にして残虐
色とりどりの花が咲き誇り、柔らかい風が頬を撫でる。 まるで、母親が自分の子供の頬を慈しむように撫でるその風はどこかくすぐったいような、それでいて優しく包んでくれるような、そんな感覚を覚える。
此処は外の常識が一切通用しない、妖怪や神様といった現実の進化とともに忘れ去られた者たちが集う楽園。 その名も幻想郷。
その幻想郷に、およそ不釣り合いな少年が三途の川から離れた花の道を一人トボトボと歩いていた。
少年は動く屍のように左へ右へ、ときたま後ろへ、不規則に歩く。
くるぶしまである黒色のズボンに、赤の長袖。 黒色の髪は目より少し下にまで達しており、前がちゃんと見えているのか甚だ疑問である。
歩いていると、168cmの自分の背丈よりも高いひまわりの花が見えた。 そのひまわりの手前には人里の大人一人が余裕で座れるほどの斬られたように平べったい岩があり、少年はそこに座り頭を抱えながらため息を吐いた。
「……妄想……か」
『あなたが掲げるものは、理想ではなく、想像ではなく、幻想ではなく、─────妄想なのです』
あのとき、俺はなにも言い返すことが出来なかった。 口を開くことはできただろう。 しかし、音として閻魔に届かせることができたかというと、首を横に振らざるおえない。
「けど、妄想ってことはないだろ! 妄想って! なんなんだよ、あんなこと言っていいのかよ!」
まあ、それとこれとは別にしてハッキリと正直に嘘偽ることなく言われた彼はそのどうにもできない気持ちを声に出して少しでも発散させた。
彼方の手の平サイズの妖精たちはその大声に驚き、あたふたと逃げ出したり、心配そうに下から覗き込んだりと様々な反応をみせる。
「……もしも……もしも早苗ちゃんなら、あの時どんな反応をしたのかな?」
あの人に言われて叩き折られ、馬鹿にされて、最終的には激昂した俺だけど……
「早苗ちゃんなら、あの笑顔でそれすらも受け入れるのかな?」
いつもいつも、俺に向けてくれたあの笑顔で、『しょうがないですね!』とか、『やってみなきゃわかりませんよ!』とか言うのかな……? いや、言うんだろうな。 だって早苗ちゃんだもん。
「……会いたいな。 やっぱり」
幻想郷だってとてもいい処だ。 生活してて実感する。 少しだけ文明が外より昔だけどそれも気にならないし、逆に外では廃れていきつつある本当の人付き合いができる。 一歩間違えれば妖怪に喰われるが、人里にいれば慧音さんが守ってくれる。 霊夢だって、いる。 俺はその霊夢の神社に居候の身であり、変なかんじに交流関係がある霊夢のおかげで妖怪、人間、妖精、種族など関係なく知り合いもできた。 日々だって充実してる。 寺子屋の子供たちは素直だし、美鈴はずっと特訓に付き合ってくれてるし、霊夢もまたしかり。 霊夢に至っては、俺が夜中、一人で特訓をしていると、隠れてみていてくれたりする。 そして、何か悪いところがあったら朝ご飯の時にさりげなく注意までしてくれるんだ。
怪我をしたときだってそうだ。 永琳さんは、外の医者が驚いて心臓発作起こすくらいの名医で大抵の怪我は治してくれる。 実際に、置き薬として人里の皆に売っている薬も評判がいい。 人里の医者で治せないのなら、“竹林に住む医者に頼み込め”と言われるほどだ。 俺も何回もお世話になっているので、永琳の凄さは身に|沁《し》みている。 永琳さんだけじゃない。 その永琳さんの弟子にあたる鈴仙にもお世話になっている。 同じ外からきた者同士、なんというか喋りやすくついつい竹林に入る一歩手前の場所でよく人里の子供たちが遊んでいる光景をみながら話しこむ。 内容は、それこそいまどんな特訓をしている、とか。 今日はどんな失敗をした、とか。 月と外ではどれくらいの進歩の違いがあるのか、とか。 色々なことを話す。 真剣に話すこともあれば、おちゃらけて話すこともある。 ちなみに暗黙の了解として、50cmばかり距離を離して喋る。 鈴仙の正面に座らない(下着が見えるから。 だったら、もう少しスカートを下ろせばいいのにとは思うけど、前科があるので言うことができない) そして、お互いあまり相手の顔を見ない。
正直、俺はこの鈴仙との距離感がとても安心で、落ち着く。 近すぎず、遠すぎず。
でもふとした時、それこそ誰かとの会話で一瞬止まったときや、夜寝るとき、風呂に入ってるときや、人里まで歩いているとき、そんな誰とも話すことなく“一人の時間”のときにはどうしても思い出す。 記憶の中のその娘を勝手に探している。 手紙は出した、すくなくともこれで早苗ちゃんは俺の安否はわかったから安心はしていると思う。 でも、それじゃダメなんだ。 もっと会って早苗ちゃんと話したいんだ。 外の時のように、二人で早苗ちゃんの部屋でゲームしながらお菓子食べながら、ときには母さんと三人で。
『今日はこんなことがあったんだよ』
そう話したい。 早苗ちゃんに手紙を書いた翌日から、俺は人里で霊夢に内緒でノートを買い、手紙を書いている。 宛先人は届くことのない母さんと早苗ちゃん。 (変幻自在で神出鬼没の萃香にはあっさり見つかったけど、見なかったことにすると約束してくれた。) 霊夢にバレたらやっぱり怒られるかな? そんなことを思いながら毎回書いていたりもする。
「ねえ、早苗ちゃん。 俺はどうしたらいいのかな?」
幻想郷にきて、早苗ちゃんとの口約束を果たそうと頑張ってはみたものの、俺はやっぱり親父や早苗ちゃんのような正義のヒーローにはなれないみたいなんだ。 親父が世の人々を救ったように、早苗ちゃんが失意に沈む俺は救ってくれたように、俺も頑張ってみた。 自分なりに努力した。 本当は俺だって正義のヒーローになってみたい。 でも、俺にはやっぱり無理だったよ。 所詮、俺には村人Aがお似合いみたいだ。
君と遊びたい
またあのときのように、朗らかな笑顔をみせてほしい
君と話したい
またあのときのように、俺に進むべき道を教えてほしい
君に会いたい
またあのときのように、背中を押してほしい
そう想って思う。 なんとも自己中心的な考え方で、傲慢なんだろう。 こんなことを早苗ちゃんの前で喋ったらビンタを一発もらうことになりそうだ。 このことの解決手段なんてとうの昔に分かっている。 俺が幻想郷から外の世界へ戻ればいいだけの話だからだ。 そうすれば、また“いつもどおり”の日常が戻ってくる。 母さんと一緒に暮らして親父の墓に挨拶して、学校に行くときは早苗ちゃんと肩を並べて歩いて、教室では友達と談笑して授業を聞いて、昼休みになれば母さんが作ってくれた弁当と、早苗ちゃんが自分で作った弁当を見せあいっこしながら、一緒に食べる。 放課後には早苗ちゃんの神社に行って、本堂や外の掃除したり、部屋でゲームしたり将棋したりして遊ぶんだ。
たった一言、紫さんに「かえりたい」そう言えば戻ってくるんだ。
ならどうしてそうしない?
それは心のどこかで願っているからなんだ。 此処から離れたくない、と。 幻想の世界にずっと居たいと。 そう願っているんだ。
だって此処は俺にとって、とてもいい処だから。 過ごしやすいところだから。 勉強だってしなくていい。 うるさい大人だっていやしない。 空気はおいしいし、ご飯だってうまい。 夜空は綺麗だし、春夏秋冬、四季折々の食材や行事が沢山ある。 それに此処で知り合った人達と別れてしまうんだ。 霊夢や魔理沙、紅魔館の皆に白玉楼の幽々子さんに妖夢、天狗の文に妖精のチルノ。 俺は素直に皆と別れたくなかった。 もしかしたら、皆の意見は違うかもしれないけど、すくなくとも俺はそう想っている。
「俺はどうすればいいんだろう……」
答えはでているのに、その答えを見るのが嫌で目を背け、無限ループの中へと堕ちていく。
彼方はひまわり畑の目の前でため息をついた。
後ろに人がいるとは知らずに。
「あら、珍しいわね。 このひまわり畑に人間が来るなんて」
「うわぁっ!?」
この空間に自分一人だけがいると思っていた彼方は、いきなり耳元で囁かれた声に飛びのき、その拍子に岩から転げ落ちた。
「いてて……」
転んだ際に、地面で打った額を擦りながら彼方は振り返る
「くすくす。 危ないわよ、人間は脆い生き物なんだから気を付けないと」
軽やかに笑いながら、その人物は手を差し出す。
膝下まである赤のチェックスカートに、同じく赤のチェックできめたジャケット。 太陽を遮断するように差した日傘をくるくるとむやみに回しながら、笑う姿は、背中に広がる巨大なひまわりを連想させた。
「あ、す、すいません。 周囲に誰もいないと思ってたので、つい驚いてしまい……」
「ふふ。 集中していたのか、はたまた注意力が散漫なのか。 どちらなのかしらね?」
差しだされた手を取りながら、困った顔で苦笑いする彼方。 明らかに後者である。
「いや〜……、あはは。 どっちなんですかね」
「ふふ。 ところで、こんな所で何をしているのかしら? もしかして、ひまわり畑に悪戯でもするつもりかしら?」
「いえいえっ!? そんな滅相もない! 俺はただひまわりが綺麗だったからついつい立ち止まってしまったんですよ!」
目を細めて問う女性に、両手をブンブン振りながら彼方は否定した。 問うた時の女性の目が、いまにも襲いかからんとする獰猛な動物に見え彼方は膝が震えた。
この感覚には覚えがあった。 鬼である萃香と初めて会ったときに感じた恐怖だ。
女性はそんな彼方を見ると、ふいに顔を綻ばせ彼方の後ろ、辺り一面に燦々と生えわたるひまわりの一つをそっとつまむ。
「そう、あなたも嬉しいのね。 よかったわね、人間さん。 ひまわりも貴方にそう言われて嬉しいみたいだわ」
「えっと……ひまわりの声が聞こえるんですか?」
「ええ、ひまわりだけじゃなく、植物なら何でも聞こえるわ」
外の世界でも植物の声を聞くことができる!と豪語している人は少なからずいた。 しかし、そのほとんどがどうにもウソ臭く思えたし、心の底から信じようとも思わなかった。 だが、目の前にいる女性の言葉はあっさりと信じることができた。 自分でも驚くくらいに、すんなりと。
「ははっ、凄いんですね。 言葉を喋ることができない植物の声を聞くことができるなんて。 いつも会話してるんですか?」
「ええ、そうよ。 どう?羨ましいでしょ?」
首を大きく縦に動かす
「あら、中々素直な子じゃない。 どっかの誰かさんと違って。 あなたたちもそう思うわよね?」
女性の問いに、ひまわりたちは一斉に左右に大きく動くことで肯定の意を表す
「あははっ。 ひまわりがいま一斉に動きましたよ! 凄い!」
きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ彼方。 その周りにはいつの間にか妖精たちも一緒にはしゃいでいた。
はしゃぐこと1分。
ふと、あることが気になった彼方は女性に尋ねた
「あの……やっぱり、ひまわりが一番好きなんですか? 桜とかたんぽぽとかよりも」
大抵の場合、こういった時の回答として、『どれもこれも一番好きだから選べない』という回答をしてくる。 それか怒る。
彼方からは女性の背中しかみえないので、黙ったままの女性を見て、どうにもこの質問は禁忌だったのではないか、という懸念がでてきた。
「あ、あの! すいませ────」
「私が一番好きな花? ふふ、決まってるじゃない」
沈黙に耐え切れず彼方が女性に向かって謝ろうとした────が、それは女性の言葉で遮られる形になった。
「真っ赤なお花よ。 丁度、あなたみたいな───ね」
へそより左の位置に妙な違和感を感じ、思わず下を向くとそこには、いままで女性が持っていたはずの日傘が中間くらいの位置までズブズブと抉り込むように、貫くように突き刺さっていた。
「…………え?」
貫いた拍子にこびりついたと思われる肉片が、ゆっくりと重力に従い落下する。 日傘が栓となり、おもうように飛び散ることができない血液がちょっとずつ、ちょっとずつ、体内から体外へと隙間を縫うようにして漏れ出る。
痛みすら忘れて、先程まで過ごしたことすら忘れて
呆然としながらも、実に機械的にゆっくりと顔を上げた。
そこには、太陽のような笑顔を浮かべていた女性はどこか遠くへ旅立ち、代わりに口角を釣り上げて楽しそうに、愉快そうに、見下すように、弄ぶように、恍惚と愉悦が入り混じった表情で彼方を見ている女性だけが立っていた。
あぁ……これはなんてことのない只の事故か。 俺がひまわり畑にきたばっかりに起きた事故。 もしも、俺以外の人間が此処に来ていたら、こんな事故は起こらなかったんだろう。 偶然と偶然が重なっただけなんだ。
倒れ込みながら真っ暗になっていく意識の中で、俺はおもった。
あぁ、霊夢に手渡す花束────どうしようかな。と。