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36.折り合い



 チュンチュンと鳴く可愛らしい鳥のさえずりを聞きながら、自分の部屋から廊下へと続く障子を開く。

「うおっ……。 相変わらずまぶしい」

 燦々と降り注ぐ太陽が激しく自己主張している様子をみて、思わず苦笑い。 この太陽がぽかぽかと暖かくきもちがいいようで、縁側でいまだスヤスヤと寝ている妖精と鬼もいたりする。

「……気持ちよく寝ているようだし、起こすのはよしておこうかな」

 風邪をひく恐れがあるかもと一抹の不安を覚えたが、萃香の顔をみて止めた。 たぶん大丈夫だろう。 腹を出して寝ているわけじゃないし。

 トコトコと廊下を歩く。 人里のほうでは朝市が開催されていて新鮮な採れたて野菜が所狭しと並べられ、威勢のよい掛け声が里中に響く。 俺が居候させてもらっている博麗神社はそんな人里より少し遠い位置に存在しており、対照的に静寂で満ちている場合もおおい。

 そんななか、トントンと小気味のよい音が聞こえてくる。

 その音に釣られるようにして部屋に入ると、

「あら、今日は早いのね。 昨日は眠れなかったの?」

「いや、そうじゃないさ。 きょうは仕事だからさ。 ちょっとだけ早起きしてみようと思って」

「ふ〜ん。 あ、ご飯もうすぐだから鳥居のほう掃除しといと。 その間に作っちゃうから」

「はいはい、んじゃ行ってくる」

 靴を履きながら、玄関にかけてあった竹箒を掴み外にでる。

「さて、ちゃっちゃとやりますか」

 早苗ちゃんの所もそうだったけど、神社という場所はどうしてこうも落ち葉がたまるのだろうか。

「って、周りを木に囲まれてたら当たり前か。 じゃあ、なんで木に囲まれていたり、高い場所に神社があることが多いんだろうか?」

 動かしていた手を止めて考える。 昔の人が天には神様がいると考えて、なるべく見つけやすいように高い位置に建てたとか? それか、神様のお告げとかかな。 高い位置に神社を作るがよい……とか。

「まあ、考えても仕方がない。 さっさと終わらせてしまおう」

 集めた落ち葉の上で遊ぶ妖精に注意しながらも、なんとか霊夢が呼びに来るときまでには間に合った。 妖精が遊ばなかったらもう少しだけ早く終われたような気がしないでもないけど。

    ☆

 食卓の上にはツヤツヤに光った白米と、赤味噌の鼻孔をくすぐるいい匂い。 味噌汁の中身のほうはワカメに豆腐にネギとオーソドックスながらも日本人なら嬉しいものに仕上がっている。 そしてそんな味噌汁の上に位置する所には、ほうれんそうの胡麻和えが胡鉢に盛られていた。 無農薬で人里の方の手によって愛情を一心に受けて育ったほうれんそうは、みずみずしく、しゃきりとした歯ごたえする。 ゴマのほうも個々で付け足すこともできるのが嬉しい。 といっても、俺も霊夢も付け足すことはないのだが。 最後はメインである、焼きししゃも。 長方形の皿には3匹づつのせられており驚いているかのように口を開けていた。 こんがりと仕上がったししゃもは食べるとパリッとした音がたち噛めば噛むほど甘味が出てくる。 骨もあまり気にせず食べることができるところもいいところだ。

「そういえば、彼方。 ちょっと左向いてみて」

「え? なんで?」

「いいからいいから。 何もしないからさ」

 そんな言葉を言われると、いかにも怪しい感じがして断りたくなってしまうのだが……

「はいよ」

 言われたとおりに左側を向く

「ん〜っと……。 あ、やっぱり。 あなたここの髪が黒から白に変わってるわよ」

 身を乗り出してきて、俺の髪の毛を摘まんだかと思いきや、霊夢はそう伝えてきた。

「うっそ……!? 成人にも達してないのにもう白髪が出てきたの!? おいおい……あんまりだろ」

 長い黒髪を大きな赤いリボンで束ね、腋が見える巫女装束を着ているこの子が博麗霊夢。 幻想郷の巫女さんであり、俺の居候先でもある博麗神社に住んでいる主だ。 俺はこの子に命を救われて、弾幕を教えてもらって、今日までなんとか生き延びてきた。 といっても、基本的に平和な幻想郷だ。 むやみに夜中外に出なければ、そうそう怖いことは起こらない……と思う。 いや、俺自身、あんな体験をしたわけだからこの認識は改めないといけないな。 とにかくこの子にはお世話になりっぱなしである。 そんなこともあって、昨日は花束をプレゼントしようとしたわけだが、失敗したんだよな〜……。

 ちなみに弾幕勝負で霊夢に勝てる人をいまだに俺はみたことない。 というか、霊夢が本気を出しているところをみたことがない。 ……本気出したらどれほど強いんだろうか。

「あんたが私に隠れて後ろめたいことなんてするからよ」

「べ、べつになにもしてないよ」

「ふ〜ん、本当かしらね? まあいいわ。 それより今日のお昼はどうするの?」

 湯気がたつお茶を啜りながら霊夢が疑惑の目を向けてくるが、あっさりと話題をかえてきた。

「うん。 そのことなんだけどさ、今日はちょっと寄るところがあるからお昼は外で食べてくるよ。 たしか、給料も出るはずだし。 霊夢のほうは?」

「私はお札作りかしらね。 あとはまあ……いつも通りのんびりかしら」

 博麗の巫女は相変わらずのんびりと過ごすようだ。

           ☆

「それじゃ、行ってくるよ」

「あんまり寄り道ばかりしちゃダメよ? それとむやみやたらな接触は禁止だからね」

 玄関でトントンと石造りの床に靴を叩かせ丁度フィットするように調節しながら話していると、霊夢からよく分からない禁止令を出された

「接触禁止……? それって寺子屋の子供たちと接触しちゃいけないってことか? おいおい、霊夢さんや。 俺だっていくらなんでも寺子屋の小さな子たちに欲情することはないぞ」

 まったく……甚だ遺憾である。 それに小さい子ってのは愛でるものであって、どうこうするものじゃないのに。 安城さんだって弁えてるぞ。 むしろ安城さんほどのそのラインが徹底されている人はいないぞ。 あの人、絶対に泣かせないし。

 霊夢は呆れたように額に手を当てる。

「まったくもって違うわよ、というかそんなおこちゃま達には警戒なんてしてないから安心しなさい。 私が言ってるのは、鈴仙やら慧音やらアリスとか、そこらへんよ。 いいっ! 此処は神聖な神社で、私はそこの巫女で、あなたはその巫女の了承を得て住んでるんだからねっ! そこんとこ、しっかりと刻んでおきなさいよねっ!」

 ズビシッ!と向けられた霊夢の人差し指をみながらコクコクと首振り人形のように頷いた。 

「そう、分かってくれたならいいのよ。 それじゃ行ってらっしゃい! 頑張ってきてね!」

 手を振りながら見送ってくれる霊夢に振り返しながら、俺はゆっくりと石段を降りていった。

 彼方が見えなくなるまで手を振った霊夢は、彼の姿が見えなくなると

「紫、もういいわよ」

 誰もいない空間に向けて言葉を放った。 空間からはパカリと大口を開けたようにそこだけが裂け、その中から八雲紫が顔を出した。

 霊夢は紫に向かって親指をたてる。

「すっごくいいわねっ!」

 そう声を上げた

「紫に教えてもらったとおり、ちょっと大人っぽくやってみたけど、好感触だったわ! これからもこれでいこうかしら……」

「すぐボロが出ると思うんだけど……」

 ぶつぶつと呟く霊夢をみながら、紫は困った顔で笑う。

 霊夢から相談があったのは昨日。 丁度、彼への墓参りを済ませたときだった。

 霊夢曰く、最近彼に手を焼いている、と

 なんでも馬鹿みたいに猪突猛進で後先考えない彼は、出会った女性とその後も仲良く円満な関係を作るために話しかけにいったり、遊びにいこうとするのだが、どうやら霊夢としてはそれが癪に触るらしい。 ならば彼を見捨ててはどうか? という紫の質問には

「い、いまさら見捨てるってのは、は、博麗の巫女のプライドが許さないというか。 どっかの誰かが拾うだろうし……。 そ、それにほら! うちの貴重な収入源でしょ!?」

 と、早口でまくし立てた。 そもそも博麗霊夢にプライドとかあったかな? 拾うなら見捨てていいんじゃないの? 収入なら私がなんとかしてあげるわよ?

 などなど、色々と思った紫であったが、そこは黙っておいた。

 そこで紫が考えた答えが、彼を観察していると大人っぽい女性に弱いところがあるので、霊夢も大人っぽくしてみればどうだ?

 という答えであるのだが

「いまさらながら……大人、というか、彼が胸の大きな女性に対しては弱かった。 なんて訂正しても無理よね〜……」

 たまたま胸の大きな女性たちが大人っぽいだけであったなんて口が裂けてもいえない紫である。

「あ、それはそうと。 今日は何の用? あなたがこれだけのために来たとは思えないわ」

 先程までぶつぶつと呟きながら、小さくガッツポーズしていた霊夢は我に返ったようで自分より高い位置にいる紫に話しかけた。

「今日は霊夢に話しておかなきゃいけないことがあるのよ」

 それまで年下の妹をみる姉の顔だった紫が、幻想郷の管理者としての顔をみせる。

 その雰囲気を肌で感じ取った霊夢も、浮かれた気分は既に霧消し、博麗の巫女としての顔へと変わっていった。

「厄介なことかしら?」

「そうねぇ……。 そこまではまだ分からないわ。 どう転ぶかわからないから。 ただ、これから話すことは覚えて置いて」

 念を押すようにそう言った紫に、霊夢は小さく頷く。 そんな霊夢をみて紫も喋り出した。

 周囲には妖精の話声や妖怪のうめき声はいつの間にか消え去り、霊夢と紫のいる周辺だけ抜き身の日本刀のような鋭い空気が辺りを支配した

 そんな中、紫の放った言葉は霊夢の考えていた予想の斜め上をいっていた

「数ある未来の一つに────不知火彼方を幻想郷の地上から追放するという未来もあるのだから」

                  ☆

 寺子屋にいき、慧音さんとの挨拶を済ませ軽く今日の打ち合わせをし子供たちのまつ教室に行く。 外では学生だった俺が、学ぶ者だった俺が、寺子屋で教える側にたつ……というのはちょっとくすぐったい気持ちを覚える。 寺子屋は外と違って順位付けというものを重要視しない。 どこの大学に誰が入るかだとか、高学歴とか、そういった話が一切ないのでのびのびと勉強ができるうえに、一種の遊び場のような感じもする。 大人の情報交換場がご飯屋だとしたら、子供たちの情報交換場は間違いなく寺子屋だろう。 

「よーし、それじゃ今日は漢字テストをしようか。 みんなー、机の上にある教科書はしまって。 そこ、机の上に漢字を書こうとしない」

 と、ある意味お約束なことをしながら黒板に板書した漢字が書いてあるプリントを渡していく。

 全員に渡ったのを確認して始まりの合図を出した。 とりあえず時間は5分間。 10問なのでそんな時間はかからないと思うけど、余った時間は睡眠ということで。 俺もよく睡眠学習をして早苗ちゃんに怒られていた。

「(さてと……安城さんと橘さんは来てくれるかな?)」

 寺子屋に行く手前、どうしてもあの二人に相談したいことがあったので八百屋さんやお肉屋さんに頼んでみつけたら蕎麦屋でまっていてほしいとお願いしたのだが……捕まったかどうか。 たぶん、あの二人なら来てくれるとは思うけど。 本当ならこういうことは慧音さんにも相談したかったのだが、慧音さんは人里の代表者で忙しいだろうし、寺子屋のこともある。 俺のわがままに付き合わせるにはちょっと心苦しい。 その他の面々は気ままに過ぎて捕まらないかもしれないし。 いや、幽々子さんあたりならずっとあそこにいるんだろうけど……一人であの場所に行く勇気はあまりない。 ほんと空を飛ぶことができる人たちっていいよな。

「(昨日の妖精達は“自然体”と言っていたよな)」

 昨日はあれから妖精たちに相談して、そのまま帰宅することになった。 なんで傷が治ったのかは分からないままだったが。 

 そして妖精達に相談したところ、答えはこうだった。

『そうですねー、やっぱり自然体でしょうか』

 口を栗の形にして顎に手を置きながら考えてくれた妖精はそういった。 自然体……とはどういうことだろうか? そう聞く俺だったが妖精は首を傾げるばっかりで『うーん、なんとなく?』というなんとも頼りない様子で逆に訊き返された。

「せんせーい、もう5分経ったよー?」

「へ? うわっ!? ほんとだ! はーい! みんなー後ろからプリントまわしてー! こらそこ、人の答えを写そうとするなー!」

 危ない危ない、あやうく慧音先生に怒られるところだった。 『教師は生徒の手本とならなければならない。 いくら普段の彼方がだらしなくても生徒の前でくらいはしっかりやるように』というのが慧音先生の言葉。 色々と反論したいことはあるけども、それよりもなによりもそう言う慧音先生が一番しっかりして生徒の見本となる存在であり続けようとしているから、俺もついつい見習って慧音先生の言うことを聞いて模倣している。 あーあ、慧音先生が外のときの担任だったらよかったのにな。

「よーし! それじゃあ俺の授業はおしまい! みんなお疲れ様でした!」

 プリントを集め、教卓の前で一礼すると子供たちも同じように一礼する。 かわいらしい「ありがとうございましたー!」という言葉をつけて。 それに笑みを零しながら教師の部屋……外でいうところの職員室へと戻る。

「あ、お疲れ様です、慧音先生」

「ん、お疲れ様彼方先生。 みんなちゃんと勉強してた?」

「ええ、それはもちろん。 にしても……その彼方先生ってのは色々とくすぐったいですね」

 なんというか……背中が痒くなってくる

「まあまあ、私はいいと思うぞ。 外の世界では寺子屋で教師をしている間は年齢に関係なく先生をつけるのだろう? 私としても新鮮で面白いことだよ」

「まあ、慧音先生がそういうならいいですが」

 ……やっぱり俺が先生と言われるのはな〜。 それに慧音先生のような綺麗な方から言われるとすんごいドキドキするし。

「あ、そうだ。 はい、彼方。 今月の給料だよ、いつもお疲れ様。 もし金銭的に厳しいのであれば言ってくれればもう少しだけ増やすこともできるよ。 里の皆だって霊夢にはお世話になってるし、彼方も仲がいいし。 このことについては誰も反論することはないと思うけど」

「いえいえっ!? 俺のような若輩者に給料をくれるだけありがたいですよ! それに霊夢も俺も充分生活することができてますのでこれ以上の金額は必要ありません。 気持ちだけもらっておきます」

 それに人里の皆だって、よくオマケをしてくれる。 小耳に挟んだ程度だが、霊夢はよくお札を人里の皆に配るらしい。 霊夢が作ったお札は下級妖怪くらいなら退けることができるらしくみんな重宝している。 あまり知能が高くない妖怪というのは時として食べてはいけない人里の者すらも食べようとすることがあるらしく、それの予防でもある……らしい。 お札は全て無料。 このお札を売って生計をたててはどうか? とも思ったが『う〜ん……これは妖怪が誤って食べることの防止でもあるわけだし、絶対的に人里の味方という立場でもないしね。 これでお金をとるのは気が進まないのよね』というのが霊夢の弁。 本当にお金に執着しているのかどうか疑問になる答え方だが、これが博麗霊夢の“素”なんだろう。 なんというか羨ましい答え方だ。

 俺がもし霊夢の立場だったらどうするだろうか?

 ────表面だけで取り繕った“主人公”なんて気持ち悪いだけだ。

 うん、俺なら心のどこかで見返りを求めると思う。 お札をつくってそのおかげで助かることなら喜ばしいことだし、作った甲斐があるだろうけど、やっぱり釣り合わないじゃないか。 こっちは労力と……あと霊力かな?を使ってお札を作ったわけだし。 人里の人達はみんな優しいからオマケと称してくれてるのだけど、それは単なる結果論にすぎない。 全員が全員、そんなことをするわけじゃない。

「それじゃ、この後用事があるので失礼します!」

「うん、お疲れ様」

 慧音さんに一礼して、懐に給料袋をしっかりといれ俺は蕎麦屋へと足を伸ばした。

             ☆

「は〜い、かなたん。 久しぶりね、元気にしてた?」

「久しぶりって……。 結構な頻度で会ってるじゃないですか。 たまに奢ってくれるし」

「いやんっ、違うのよ。 これは画面の外にいってるの」

「? なんだかよくわからないですけど誰もなにも期待なんかしてないと思いますよ」

 蕎麦屋に行くと安城さんと橘さんが待っていた。 無事に見つかってなによりだ。

「まあ、それはそれとして。 今日は俺のわがままに付き合ってくれてありがとうございます。 どうしてもお二人の意見が聞きたくて」

 軽く頭を下げ、二人をみる。

「べつにいいわよ、また困ったことでもあったんでしょ?」

「ええ……まあ」

 俺は昨日のことを二人に包み隠さず話した。 映姫さんに怒られたこと、ひまわり畑で出会った女性に殺されかけたこと、夢の世界でなんとも不思議な青年に出会ったこと、そこで受けた警告にもとれる言葉、そして自分が考えたこと

「それでまずは彼方くんと同じ、外来人の我々に相談にきたということかね?」

「ええ、恥ずかしながら雲を掴むようなことでして……どうも一人では解決策すらも見つからない状態です」

 いつものシルクハットに黒いステッキをテーブルの傍に置き、黒いコートに身を包んでいる安城さんは

「ふむ。 確かに君に注意を促した者達の言うことは一理あるな。 ところで彼方くん。 君は怒られてもなお、貫く想いは変わらないのだろう?」

「はい、かわっていません」

 俺は大きく頷く

「私こういう子好きよ〜。 食べちゃいたいくらい」

 橘さんが投げキッスを飛ばしてくる。 うわっ……飛んできたハートがうねうね動いてるんだけど……。

 遠くからみたらガタイのいい男。 近くから見ると|怪物《モンスター》 それはさながら人里に紛れこんでしまったビックフットのようであるのだが、当の本人は至って真面目に着物を着こみおめかししているものだから、一層恐怖感が出てくる。

 そんな橘さんが俺にいう

「でもね、かなたん。 理想を説くにはまず現実を知る必要があるのよ」

「現実を知る……ですか」

「そう、現実を知る。 人は皆、理想をもっているものなのよ。 でもね、その理想は大人になるにつれて風化し、あるいは心のどこかにしまうことになる。 それは現実を知ることになるから。 “スポーツ選手になりたい”そう小さい頃には思っていた子供が、大人になったらサラリーマンとして生活してる……なんてことよくあるじゃない? それは現実を知ったから。 遥か高い位置にあった目線が大人になるにつれて下へと下がっていく。 いや、下げられていく」

 テーブルの上には、橘さんが頼んだ天ぷらそば、安城さんが頼んだ山菜そば、俺が頼んだかけそばが置かれる。 

「確かにあなたが想い描く理想は素敵なことだわ。 この理想を私達二人は笑わない、そして妄想とも思わない。 でもね、どんなに理想を説こうとも“現実”は無常に残酷に付きまとうものなの。 そしてその“現実”から逃げるかどうかで人は変わっていくの。 例えば、ここに二人の人物がいるとして、一人はこう言いました。『僕は皆を幸せにします。 好きな服は好きなだけ買っていいし、おいしいものも沢山食べさせてあげます。』 と言う人と 『僕はみんなを幸せにする努力はするけど、全員を幸せにできるかわかりません。 お金もあまりないので、とくになにも買ってやることはできないけど、自分のできる範囲で最大限の努力をする』という人。 あなたならどっちを信頼するかしら? いえ、聞きかたをかえようかしら。 あなたならどっちが嘘をつくと思う?」

「……たぶん、最初のほうだと思います」

「そうよね、私もそう思うわ。 前者はあなたのように理想だけを説く人。 後者は、理想をみながらもそこにある現実を見つめ折り合いをつけている人。 前者のほうは、ふとした時に現実の壁にぶつかったときにすぐに折れると思う。 そしてこれはあなたにも当て嵌めることができちゃうわ。 “周りの人達を笑顔にする” この理想、一見現実との折り合いをつけているようで、全くみていないものなのよね。 綺麗なようにも見えるけど見方を変えればこうも取れてしまうのよ」

 ───俺と係わりをもった者は、問答無用で笑顔にする

「さながら独善主義の独裁者のような言い分へと変わってしまう。 あなたが行ってきた行為は結果として良い方向に転がったからよかったもののね」

 そう言われて気付いた。 確かにそういった見方にも捉えられることができるんだよな。 だとしたら、やっぱり俺は間違っているのか?

「だったら俺はどうすればいいんでしょうか……? 理想を説くためには現実を知る必要がある。 でも、現実を知れば俺の理想は必要ないことになるんじゃないでしょうか。 だって、俺がやってることは単なるお節介になってしまうじゃないですか……」

「そうね、だったら諦める? ふふっ、そんな首を振らなくてもいいわよ。 まあ、あなたの理想を叶えることは結構簡単だと思うのよね。 でも、これは自分で考えること、そこまでは私達も教えないわ。 とりあえず、かなたんは頭の中で理想を目指す自分と、現実を見つめる自分の二つをつねに心の中に宿しておくこと。 いまはまだ、それだけで充分だと思うわ。 無理に大人になろうとしなくていいからさ」

 そう言ったきり、もう何も喋ることのないかのようにもくもくと蕎麦を食べだした。 あつあつだったつゆは少しばかり冷めていて、麺も若干伸びていたけど美味かった。 やはり職人さんというのは凄い。

 どんぶりを持ちながら、チラリと二人をみる。

 既に二人とも何事もなかったかのように、違う話で盛り上がっている最中であった。 どうやら酒にかんしてらしい。 未成年の俺は飲酒することがないため、あいにく話に混ざることはできない。 ───いや、混ざれないように酒の話にしたのかもしれない。 俺が考える時間を作れるように。 絶対に答えは教えず、解答となる糸口だけを教えるのがこの人達。 でも、これでいいのかもしれない。 橘さんのおかげで、また一つ知ることができたから。 

「今日はありがとうございました! 今日は早めに失礼します。 あ、お勘定のほうは──」

「ああ、それはいいさ。 私達が君の分まで出しておこう。 なーに心配するな」

 安城さんがニッコリと笑いながら給料袋からお金を出そうとした手を止める。

「それと妖精ちゃん達が言ったことも、覚えておくといいだろうさ。 流石は自然とともに生きる妖精らしい答えだ」

 俺はそのまま優しく店から追い出された。 ……しょうじき、安城さんと橘さんがどうやって生計をたてているのか分からないのだが。 でもあの人達のことだから、危ないことはしていない……はず。

「さって……神社に帰ろうかな。 現実との折り合い……か。 はたしてできるんだろうか。 それに……俺の理想は簡単に叶うものなのか」

 澄みわたる晴天の青空をみながら、一人でに呟く

 なあ、早苗ちゃん。 早苗ちゃんならどんな答えを出すかな?

 居もしない、届くはずもない、そんな彼女に心の中で問いかけた。




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