41.龍神の石像
カランッとガラスとビー玉がぶつかる音が聞こえる。 ついでカランカランとビー玉が上下左右に当たる音とともに男の声が聞こえる。 軽い落胆を伴って
「はぁ……ラムネって美味いけど量が少ないんだよな。 祭りごとのときにはついつい買ってしまうけどさ」
そう呟いた少年は右手を額の上にもっていき太陽と自分の額とも間に小さな遮断を作って、燦々と爛々とカンカンと降り注ぐ太陽へと視線を向ける。
「霊夢おそいなぁー……」
紅魔館のパーティーから数日が過ぎた今日は霊夢との買い物の日である。 博麗神社と人里との距離の関係上、毎日毎日食材を買いに行くということはできないので霊夢はこうやって買い込むことが多い。 正確に述べると、俺が毎日毎日買い物に行くことができないため仕方なくこういう処置を取ってくれている、といったほうがより正確であり正しい答えかもしれない。
そんでもって今日はその買い物をする日であるのだが、とりあえず雑貨と食材をそれぞれ両手に持ちきれないほどの量が買い込んだ霊夢なのだがなにを思ったのか、とある店の中へと入っていった。 俺を置き去りにして。 一応、俺も一緒に行こうとしたのだが霊夢が凄まじい勢いで拒否をしてくるので、ちょっとしょんぼりしながらすごすごと集合場所に決定された此処、龍神の石像の前で荷物番として待っているのがいまの現状である。
「そうはいっても暇である……。 そういえばこの龍神の石像って見事だよな。 この龍神も恰好いいし人里の名匠が作ったのかな?」
石像であるはずなのに、いますぐにでも動きそうな印象をもってしまうこの石像。 体毛の一本一本まで細やかに作り込まれていて、するどい牙と見開かれた眼、たくましい髭に鬼よりも強靭そうな2本の角。 曇天の空から流星のように地へと降り立つ気配を肌で感じる……ような気がしないでもない。
「いやいや、この石像を作ったのは河童であって人里の名匠ではないのさ、残念ながらね」
「──ッ!!」
その突然の声に首から変な音が鳴るのも気にせず自分でも驚くほど早く振り返る。
「おいおい、彼方くんダメじゃないか。 そんな勢いよく首を回したら骨が折れちゃうじゃない。 ただでさえ人間というものはとてつもなく脆いのだから」
「いやいや、突然妖怪から声をかけられたりしたら驚いて振り返っちまうよ。 それがあんな台詞を|吐《ぬかして》いた妖怪ならなおさらな」
「ラブコールとして受け取っておくよ」
「いますぐ投げ捨ててくれないか」
アイドルのようにウインクをかましながら、俺の横にどっかりと座る新宮妲己、本人曰く枕返しという妖怪らしい。 俺はこの妖怪が苦手である。
「苦手ねぇ。 素直に自分の仮面を剥ぎにくるから嫌いって言えばいいのにさ。 まあ、言ったところで僕が君に付きまとうことにはかわりないんだけどさ。 いまならヤンデレっ娘というオプションもつけてあげるよ? どうかな、それなりに演じることができると自負してるよ。 少なくても君と同じくらいの演技力はあるはずだよ」
「あいかわらずの妄言だな」
「いやいや、君の妄想には負けるさ。 けれど醜く浅ましいながらもあちら側に入ろうとする君の努力は素直にほめてあげたいな。 どうだい、舌を入れてのキスでもしてあげようか?」
そう言いながら首に手を回し、本気で唇と唇とをくっつけようとする新宮。 俺はそれに抵抗する形で全力で押し返す。 その頑張りもあってか、なんとかキスを奪われずに済んだのだが新宮は頬を膨らませてむくれっ面をした。
「おいおい、流石の僕もそれは傷ついちゃうかな。 そこまでして僕とキスをしたくないのかい? これでも僕は処女なんだぜ? 処女ビッチだぜ?」
「知らないよ、そんなこと。 それより……いいのかよ、あんたは確か自分のことを“人見知りが激しい”と言っていたはずだが……」
そんな人見知りの激しい奴が堂々と、この賑やかな人里の大通りを闊歩して此処までくることができるのだろうか?
「ああ、そうだよ僕は人見知りだよ。 僕のことを人が見て知りえることはできないんだもん。 僕はそういう存在なんだ、嘘だと思うなら試してみるかい? 性行為だってなんだってしていいよ。 人里の皆からしてみれば、君が一人で腰を振っているようにしか見えないからさ」
「……いや、やめとくよ。 なんとなく嫌な感じがする。 ただ……いま人が見て知りえることができない。 そう言ったけど、俺とあんたが初めて会ったあの夜、一人だけ目撃者がいるぜ」
それは勿論、紅魔館のメイド長こと十六夜咲夜である。 あの夜、確かに咲夜は俺を目撃していた。 だとしたらその近くにいた、話し相手であった新宮のことも確実にみているはずだ。 それを裏付けるように咲夜だって言っていたじゃないか。 着物を着ていた女性と俺が話しをしていたって。
「ああ、あの娘かい。 大丈夫、君が帰ったあと、ちょっとだけズラしたから僕のことは覚えてないと思うよ。 正確にいうならば君と他の誰かが話していた……という認識になっているはずさ」
新宮は平然と別段変わるわけでもなく、先程までと同じテンションで伝えてきた。
「ん? おいおい、何をそんなに驚いた顔をしているんだ。 これは当然のことじゃないか。 僕はあの娘たちとかかわるつもりなんか毛ほどもないんだぜ。 あっていいはずがないんだよ。 僕が自慰活動をしない日がないように、僕が彼女たちに会っていい日はいまのところ来ることはないだろうね。 とくに博麗霊夢や霧雨魔理沙、十六夜咲夜なんかとは会うことはないだろうさ。 元々、僕や君のような存在は彼女たちと接点を持つことはありえないんだけどね」
「それは……確かに俺の場合は幻想入りだし、その幻想入りだってそんなにポンポンと起こるものでもないだろうけど……アンタは接点を持とうと思えばいくらでもできるだろ? 妖怪なんだし」
霊夢や魔理沙、咲夜は人間だけど幻想郷ではそんなことは些細なことだ。 人里にだって妖怪用の店もあるし、きのいい妖怪はバイトにくるほどだし
そう言うと、新宮はゆっくりと首を振った。 ありえないとでも言わんばかりに首を振って、ありえない言葉を吐いた。
「いやいや……|原作組《こちら》と|創作組《そちら》は根本的に違うんだよ、彼方くん。 そこを勘違いしちゃいけない。 君はその差を否応なく感じていたはずだ。 紛い物の偽物の中心人物にされて感じていたはずだ。 その圧倒的な存在感を圧倒的な強さを圧倒的な心の広さを、君は感じていたはずだ。 そして同時にそれを羨ましく思っていたはずだ。 ──……これから少しだけ妄言と戯言と虚言を吐いてもいいかな。 |原作組《あのこ》たちに弾幕で勝ったからといってなにになるというのか? 仮に勝ったとしても、これほどむなしい勝利はないよ。 本気すら出していない女の子たちに勝ったところでそれを手放しで喜ぶのか? 僕ならあまりに情けなすぎて涙を流してしまうだろう。 そしてこうも思う。 彼女たちはそれほど弱い者達であろうか……と。 僕は常々思う。 どんな醜い過去があろうとどんなに酷い過去があろうと、それすらも受け入れて毎日を飄々と楽しく笑いながら、誰かの役に立ちながら、誰かと肩を並べながら生きている彼女たちは、そんなに弱いものなのだろうか。 |創作組《ぼくたち》が手を伸ばすほど困っているのだろうか。 僕は疑問を感じる。 彼女たちは自分が殺されかけた奴を、酷い仕打ちに合わせた奴を好くことができるのだろうか。 もし出来る娘がいたとするなら僕は素直に賞賛を送りたい。 僕にはそんなことできにないから、殺されかけて、訳のわからない説教をされて、それで好きになるなんて僕にはできないから。 実際問題として、君はいきなり赤の他人に殴られたりして、説教されたりして、それで感情が+に傾くかい? だとしたらMなんてものじゃないぜ。 お医者さんに行かれたほうが身のためだよ。 元々、ほのぼのゆるゆるまったり生活でもいいはずなのにさ。 ──と、まあ妄言と戯言と虚言はこのくらいにして、 君はどう思う?」
目線を離すことなく聞いてくる新宮。 俺はその視線に耐えることができなくて、目線を下に少し落とす。
「どうなんだろう……な。 ただ、俺なら気が狂う、ということは確かだと思う。 そして、いまの話を聞いて俺の悩んでいることの“解”がちょっとだけ見えたような気もする。 ……なんか悪いな、肯定も否定もできない答えで」
「いやいや、これは只の僕の妄言と戯言と虚言だ。 別に肯定も否定も求めてるわけじゃないからね、気にしないでくれ」
そう言って新宮は俺の持っていたラムネ瓶を優しく取ると一度ゆっくりとゆすってみせた。 すると、ラムネ瓶にはシュワシュワと気泡が立ち上りビンもキンキンと冷えた状態に戻っていた。 新宮はそのビンを俺に返す。
「あまり性欲を溜めすぎると|浴場《よくじょう》で欲情《よくじょう》することになるからほどほどに。 それと最後に一つ──全肯定って、無関心に似ているよね」
いつものように、瓶に目を向けたその一瞬で新宮は消えた。 そんな存在などどこにもいなかったかのように足取りを残さずに。 いや、この手に残る冷えた瓶が証拠になるのかな。
瓶を額にのせ、しばし時間に身を任せる。
「あやや、そこにいるのは彼方くんじゃないですか。 もしかして買い物の帰りですか?」
「ん、文か。 そうそう、霊夢が別行動なんで俺が荷物番を」
人々の声の中に見知った声を聞き目を開けると、鴉天狗の射命丸文が軽く手を振りながら近づいてきている途中だった。
「へ〜、どれどれ。 ほうほう……結構な食材を買ってますね。 私も御相伴にあずかることはできますか?」
「いや……それは霊夢に聞いてくれよ、俺の権限では無理だから」
文はそんなもの分かってますよ。とでも言いたげに笑いどっかりと隣に座った。 ──かと思うと、ふいにキョロキョロと辺りを見回しはじめた。
「あれ、にとりはどこに……」
「にとり?」
「ええ、私の友達なんですけど……ほんとにどこ行ったのかな。 にとりー? にとりー?」
立ち上がりながら手をメガホンの形にして、にとりと呼ばれる人物を探す。 これじゃかえって出にくいと思うのは俺だけかな……。
文はにとりが出てこないとみると、近くを通り過ぎた人に手当たり次第声をかける。 『青色の服をきた緑色の大きなリュックサックをからったツインテールの女の子知りませんか』と。 色良い返答はまったく返ってこないのだが、それでも文は質問した人に一回一回頭を下げながらお礼をいい、また探しだす。 正直、俺の中では文はどちらかというと意地悪するほうだと思っていたのだが……その熱心なところを見ると友達想いで優しい一面もあるようだ。 ちょっと意外。
クイクイ
「ん?」
探す文をみながら、俺もできる範囲でその友達を探そうと腰を浮かしたところで袖を引っ張られる感覚を覚え辺りを見回す。 しかし、見渡したところで誰もおらずどうせ気のせいだろうと、錯覚だろうと思ったのだが──
クイクイ
気のせいではないらしくまたもや袖を引っ張る感覚。 一度文をみて、それから荷物をみて、袖をみる。 頭の中でどれを優先させるべきか、霊夢に怒られるとどれほど怖いか、文はどうするか、等々を考える。 次第に強くなってくる袖の引っ張り具合。
「まあ……大丈夫だろう」
勢いに身を任せるままに引っ張られる形でついていくと、家と家の間の成人男性が一人分入るほどの横幅の道で勢いはなくなった。 どうやらここが終着点のようだけど……。
「ちょっと!? 文をどうにかしてよっ!?」
「……はい?」
不意に不思議なことに目の前の景色が一瞬揺らいだかと思うと、突然その人物は目の前にたっていた。 緑色の帽子に青色の服。 服には腰や胸・太もも辺りに小さなポケットが配置されている。 マッチ二箱分の横幅だろうか。 背中には大きな緑色のリュックサックをからっており、ちょこっとだけ開いているファスナーからはドライバーらしきものが見える。 先程、文が喋っていた人物像と色々と似ているところがあるのでどうやらこの子が文の友達である、にとりという人と間違いなさそうなんだが。
「あの……文をどうにかするっていうと?」
「うん、私まんまと文にはめられたんだよ。 本当のところ言うとね、君と文が会うときに文の隣には私もいたんだよ。 この光学迷彩をかけていたから気がつかなかったみたいだけど」
そういって大きく手に広げるは、一見普通にみえる包み込む形の一枚の布? どうやらこれをかけるだけで周囲からはみえないらしい。 いや、らしい……ではないな。 実際に俺が体験したんだから周囲からはみえないと断定できるものだ。
にとりはしげしげと興味深くみていた彼方の様子をみながら少しだけ誇らしげになって続きを話し始める。
「それでさ、文が君は知り合いだからちょこっとだけ驚かそうって提案して。 私もちょこっと人見知りだけど文が隣にいるから大丈夫、なんて思ってたんだよね。 そしたらさ、文ったらいきなり君の隣に座ったりしてまるで私が迷子になったような演技なんてしちゃって……」
「あ〜……その、お疲れ様です。 文っておちゃめなことをしますしね」
はっはっは と、とりあえず笑ってみる
「……いや、こっちの身にもなってよ。 これから人里行きづらいじゃん。 『あ、この前迷子になった河童さんだ〜』なんて言われるかもしれないんだよ。 君はそういうの耐えれる?」
「……すいません、耐えきれませんでした」
頭を下げる。 この年で迷子とか勘弁願いたい。 ……あれ? いま河童って言わなかった?
「あの……いま河童って言いましたよね?」
「へ? まあ、うん。 河童だけど……」
質問に目をまんまるにしてきょとんとしながらも頷き答える。
「ヒレがついてないし、ぬめってもしてない──ッごふ!?」
無意識にそう呟いてしまったらしく、にとりのアッパーが綺麗にアゴにはいる。 あまりの痛さにじたばたと暴れる彼方。 にとりはちょっとだけ|?《むく》れっ面で話す。
「も〜! そんなの見ればわかるでしょう? ほら、私の手にヒレなんてついてないでしょ? ぬめってしてないでしょう? まったく……おかしなことをいう人間だな〜」
いましがた?れっ面をしていたにとりだが、次の瞬間には破顔しやれやれ……とでも言いたげな目でこちらのほうをみていた。
「そうそう、君は龍神の石像の前にいたけどちゃんと活用してくれてるのかな? 結構当たる天気予報だと思ってるんだけど」
「え、ええ……それはもう。 原理はよくわからないんですけど」
「ふっふっふ、それは秘密というやつだよ」
チッチッチと口で声を出しながらそう言うにとり。 ただ、心なしか嬉しそうにしている。 やはり自分たちが作ったものを褒められるのは嬉しいんだろうか。
「って、こんなことしてる場合じゃなかったよっ!? はやく文をどうにかしないと……!」
「たしかにこのままってのはちょっと。 ん? 霊夢だ。 文に近づいていくようだけど……」
中身が見えないように紙袋をしっかりと握りしめた霊夢が文へと近づいていく。 文はそれに気が付き片手をあげて挨拶をすると、なにやら質問を開始したみたいだ。 おそらく人里の人達にした質問を繰り返ししているのだろう。 あ、ちょっとだけ文の口角が釣りあがっているのがみえた。 霊夢はその質問に、ひと際大きな山を指さすことで答えた。 それを見た文はちょっと焦った様子で慌てて空へと駆け上がり、ものすごい速さでその場を去っていった。
「……えーっと。 どういうこと?」
「いや、俺に聞かれても」
にとりと二人、顔を見合せながら首を捻っていると霊夢がこちらに振り返りちょいちょいと手招きする。 手招きされるがままにスキマから出て霊夢の方へと近寄っていく。
「おかえり。 お目当てのものは見つかったの?」
「ええ、ちゃんとみつかったわ。 それより──」
霊夢がにとりの方を向く
「文がアナタを探してたみたいだから適当に妖怪の山を指さしたけどよかったのかしら?」
「ばっちり!」
問う霊夢ににとりは親指を突き出してにっこり笑顔で答えた。
「まあ、文の顔も笑ってたからどうせそんなことだろうと思っていたけどね。 あとはそっちで片づけてよね。 私は巻き込まれるのなんてゴメンだから」
やれやれとでもいいたげに、というかため息を吐きながら霊夢は喋った。
「ほんとだよー、まったく文め。 きょうはきゅうりを山ほど奢らせてやるんだから。 それじゃ、ありがと!」
手を振るにとり。 霊夢はそれに軽く手を振り返し、俺はちょっと唖然としながら手を振った。 その様子に気付いたのか、霊夢が俺にどうしたのかと問いかけてきた。
「いや……やっぱり河童ってきゅうりが好きなんだなー、と思ってさ」
まあ、ぬか漬けとか美味いからわかるけど。
その返答に霊夢はクスクスと笑う。 可笑しそうにひとしきり笑ったあと、荷物の一つを持ち上げ
「さ、帰るわよ」
そう言ってきた。
「あ、うん。 なあ、霊夢──」
──全肯定って、無関心に似ているよね
先程の言葉が蘇る。 新宮の言葉は一理あるかもしれない。 相談や話しをしているとどこから肯定できる部分、理解できる部分と、否定的な部分、理解できない部分や違った意見の部分が出てくるものだと思う。 だからこそ、議論や討論と呼ばれるものがあるんだろう。 だとしたら、全肯定とはどういうことか。 それはまともに取り合ってない……とも言えるのではないだろうか。 もちろん、まともに取り合ってそれでも全肯定の場合だって世の中にはあるのだから、必ずしも俺が思っていることが正しいとはいえないのだが。
「霊夢は俺が傍目からみても間違ったことや、正しくないことをしたらどうする?」
霊夢は一瞬、何を言われたのか理解できていなかったがそれも数秒のことで、手をポンと叩き合点のいった様子で返答する。
「そうねぇ……べつにどうもしないわね。 ただ、アンタを見損なったとき、力の限り全力で歯が折れるほどに渾身の力で殴ってあげるわよ」
「そっか……」
それ以上、何をいうわけでもなく、かといって喧嘩をするわけでもなく、時折軽く雑談をしながら博麗神社へと帰っていった。