42.いまだ勝てず
右斜め後方から弾幕が容赦なく降ってくる。 目の前にはいましがた弾幕を放ったであろう少女がいるのだが……後方から弾幕がくるということはどうやら目の前にいる少女は自分だけが認識している幻覚のようだ。
左足に力を込めて前に大きく一歩ジャンプする。 丁度自分が跳んだ瞬間、一秒前までいた場所が弾幕の激しい雨に襲われた。 それと同時にぶつかったはずの少女も霧のように消える。 すかさず、大きく一歩前にでる。 彼女曰く、この弾幕を避けた瞬間が危ないらしい。
前に出ると同時にこちらも微量の弾幕を後方に放つ。 幕といいながらも実際は“幕”なんて呼べるようなものではなく2〜5くらいのはたからみたら同情をしてしまうくらいの弾幕である。
彼はそんな弾幕を少女がいるであろう空間に放つ。 一瞬空間がぐにゃりと歪みそこから彼女が忽然と姿を現す。 いや──これはただ彼が正常に戻っただけにすぎないのだが。 彼女は彼が放った弾幕をギリギリまで凝視して当たる寸前で3cmほど体を右にずらす。 たったそれだけのことで──たったそれだけのことで彼が放った弾幕は彼女に着弾することなく悠々と大きく翼を広げた鳥のように消えていった。
以前の彼ならここで意気消沈して次の手を出すことができなかったであろう。 しかし悲しいかな彼は知っている。 自分の弾幕がどうせ外れることを。 彼は知っている。 彼女と自分では地の強さの差がありすぎることを。 彼は知っている。
今回も負けることを
外れたと見るや否や彼はすぐさま彼女の真下へと駆け出す。 上空というものは地上よりもはるかに見晴がよく地上にいる者を攻撃するのに適しているのだ。 しかしそんな上空でも苦手な場所というものが存在する。 それが真下である。 だからこそ彼は真下へと体を滑り込ませようとし、彼女はそれを阻止しようと弾幕で止める。 ちょこまかちょこまか動く彼はその弾幕に距離を置くようにバックステップ、そして立ち止まる。 どうやら攻めあぐねているようだ。 しかしそれを待つほど、彼女は優しくない。 もし待ったとしても彼に得るものがあるとは思えない。 だからこそ彼女は容赦なく円で囲むように弾幕を放ち、本格的に足を止めたあと急降下、それをみた彼も応じるようにタイミングを見計らうようにして右足を軸にして捻りをいれた蹴りを繰り出す──が、彼女は当たる瞬間に急制動をかけ彼の蹴りを空振りさせた。 すっときょきょんな声を出してむなしく半回転する彼に、彼女──鈴仙・優曇華院・イナバはゆっくりとしかし逃がすことなく頭にピストルの形をした指を突き付け
「はい、これで私の40戦40勝0敗0引き分けね」
そう告げた。
不知火彼方、いまだ1勝も奪えず
☆
人里の入り口門が見える場所に背中を木に預けながら彼方は一人溜息を吐いた。 永遠亭とのいざこざ以降、こうして俺と鈴仙と弾幕勝負をするわけだがいまだ1勝を勝ち取ることができず、それどころか鈴仙と交わるにつれて自分の弱さが明確にクッキリと判るようになってきた。 まずはじめに、空を飛べる者と飛べない者の差は自分が考えている以上に大きかった。 上下左右に斜め移動もできる鈴仙や霊夢・魔理沙に比べ俺はいまだ浮くことしかできないでいた。 これは数ある問題の一つだが、これがなんとも難しい。 浮くまでならなんとかできた。 しかしこれからが全くといっていいほどできないのだ。 これには霊夢も首をかしげていた。 『そろそろできてもいい頃なんだけどねー……』というのを耳にしたこともあったし。 べつに指導している霊夢が悪いなんてことは断じてない。 天才肌の霊夢の指導はなかなか面白く、凡人である俺とは一線を画していた。 たんに俺が霊夢の期待に応えることができなかっただけである。 それでも諦めようといわず、愚痴一つ言わず教えてくれる霊夢は本当にありがたい。 度量の器が違いすぎる。
弾幕にしても同じだ。 他の人たちとは違い“幕”が張れているとは思わない。 俺が撃つ弾幕は2〜5の弾丸といったほうがしっくりくるものである。 これだって鈴仙のように間髪すかさず何度も何回も撃てるわけじゃなくちょっとした空白の時間が生まれてしまうのだ。 もともと、撃つことが上手いほうじゃないので紅魔館の門番、紅美鈴直伝の接近戦も組み込みながらの勝負になるのだが……空を飛んでいる者たちが相手だとその接近戦も存分に発揮することができず、接近したら接近したで鈴仙には全くもって通用しない。 鈴仙が強いということが第一前提なのだが、そのことを取っ払ったとしても自分と彼女たちとの差が離れていることがよくわかった。
プロ野球と草野球くらいの違いである。
彼はもう一度溜息を吐く。 自分の中の何かを外に逃がすように、よどんだ何かを、どす黒い何かを外に出すように……彼は溜息を吐く。
ふいに冷たい何かが頬に当たり
「うおっ!?」
驚きながら座ったまま後ずさる。
「あははっ、ちょっと驚きすぎよ。 はい、お水」
彼方の驚いた顔と様子が面白かったのか前かがみになりながら笑う鈴仙。 先ほどまで彼方と弾幕勝負をしていたというのに、汗一つかいていなかった。 可愛らしい顔とちょっと垂れているうさ耳、歩けばだれもが振り向いて確認するような美少女でありながらどことなく困らせたいという気持ちをふつふつと湧き上がらせてしまうような女の子。 迷いの竹林と呼ばれる場所の奥にひっそりと佇んでいる永遠亭に住んでいるらしく、仕事はしていないがお手伝いをしたり人里の子供たちと遊んだりしている蓬莱山輝夜、幻想郷一の頭脳をもつと言われ、ありとあらゆる薬を作ることができるので医者の真似事をして生活費を稼いでいる輝夜の付き人八意永琳、子供の姿をしているが実は幻想郷でも長生きな部類に入る悪戯好きなウサギ因幡てゐ、という個性的な家族と暮らしている。 勿論というかなんというか、鈴仙はその中ではいじられ役である。 それもこれもみんなが鈴仙のことを好きだからなのであるが。
「あっ、ありがとう鈴仙」
鈴仙から水のはいったコップを受け取り、一口飲んで咽喉を潤す。 火照った体にひんやりとした水が美味い。
そんな彼方の様子をみて、鈴仙も一定の距離を取りつつ座る。 互いに顔をみることはなく、彼方も鈴仙も前だけをみる。
「ねぇ、彼方。 あんた、ちょっと弱くなった?」
鈴仙の口から飛び出してきたのは意外な言葉だった。 これには前を向いていた彼方も驚いて鈴仙のほうに顔を向ける。 危うく水を落とすところだったのだが……それはなんとか持ちこたえたようだ。
「……え? 弱くなった? 俺が?」
「うん。 あ、でも違うのよ! べつに能力とか弾幕とかじゃなくて、なんていうか……その……はじめてた頃の彼方のほうが勝負をしててやりづらかったというか、前のほうが勢いがあったというか」
自分でもうまい言葉ができずに顎に手を置いてうんうんと唸る鈴仙。 その姿はなんとも可愛らしかったのだがいまの彼方にはそんな余裕はなかった。
「それじゃ、それじゃいまはどうなんだ!?」
「きゃっ!? ちょ、ちょっとそれいじょう近づいたら怒るわよ! よし、そのままあと一歩後ろに下がって。 よし。 え〜っと……いまの彼方は勝負している自分をどこか冷めた目でみているような気がするのよね。 なんというか……勝負している自分とそれを遠くから眺めている自分。 これが悪いなんてことは言わないわ、これだって大切なことなんだから。 視野を広く持つことができ、余裕を持つことで次の一手につながることもあるわ。 でも、彼方の場合は既に諦めから入ってるような気がするの。 “どうせ、ここに撃っても避けられるから撃つのやめようかな”みたいな感じで自分からチャンスを潰してるように思えたわ」
それは頭の中に彼方がよぎったことでもあったのだ。 だからといって、彼方は諦めたわけじゃなく自分なりに考えた次の一手を考えて行動を起こしていたつもりなのだが……
「もしも、それが次の一手じゃなくて逃げの一手だとしたら?」
「え?」
「一人でぶつぶつ呟いていたわよ」
片手でアヒルの口のようにぐわっぐわっと遊びながらいう鈴仙。
「よくあることよ。 自分では攻めているつもり、戦っているつもり──だけどはたからみれば逃げて逃げて逃げているなんてことは」
鈴仙はふいに立ち上がり、彼方のそばに歩み寄る
「それに──アンタこの頃ちゃんと笑ってる? 不細工な笑顔になってるわよ」
左右から頬をめいっぱい引っ張る鈴仙
「いい! こっちはわざわざあなたのために時間を割いてあげてるのよ? こっちの身にもなりなさいよ──笑ってるあんたがいないんじゃ何のために来てるのかわからないじゃないの」
小さな声でか細い声で呟く声は彼方に届くことはなかったが、その気持ちはしっかりと彼方へと伝わる。 そのことが嬉しくて彼方はたまらず鈴仙に声をかけた
「あのさ……鈴仙──」
「あ、お師匠さまのところに行かないといけないんだった! わたしそろそろ帰るわね!」
そう言って掴んでいた彼方の頬をから離れ何かを言おうとした彼方を置き去りにして走り去っていってしまった。
茫然と見送る彼方
そんな彼方に顔面パンチをいれようと力をためている上海
「って、あぶなぁッ!?」
間一髪のところで避ける。 ブンッと風がすぐ横から聞こえてくるのに対して冷や汗を垂らす。
「上海っ!? なんでこんなところに!? というか、いま思いっきり顔面狙ったよね!?」
「シャンハーイ?」
いやいや首をかしげて知らないアピールしても無駄ですからね!? というかいつの間に?
辺りを見回す。 上海がいるのだから当然、アリスも近くにいるはずなのだが──
俺の予想は当たり、人里のほうからアリスがこちらに向かって走ってきた。 そばには蓬莱がふよふよと楽しそうに浮いている。 アリスはこちらまで来ると上海をつかみ自分の顔を向かい合う形にして母親が子供を叱るように言った。
「こら、ダメでしょ上海。 一言断りをいれてから殴らないと」
決してそういう問題ではないと思う
「いや……あの……そういう問題じゃないと思うんだけどアリスさん」
「ふふっ、冗談よ冗談。 まあ……あなたは殴られてもしょうがないと思うけどね。 さっきの様子見てたわよ」
「うっ……」
少し体が強張る
「遠目からみたらあなたが女の子を泣かせたように見えたしね」
「いやいや、そんなこと絶対にないから!」
「知ってるわよ、それくらい。 それにしてもどうしたの? 顔、色々と悪いわよ?」
「うん、まあちょっとね。 ……あれ、いま心配してるようで罵倒してなかった?」
「気のせいよ」
まあ……アリスがそういうならそうなんだろうけど。
といってもさきほどのことをアリスに話していいのやら……。 これは俺の問題なんだし。 いや、何を考えている不知火彼方。 お前はヒヨコなんだ、自分では何もすることができないヒヨコなんだ。
「あのさ……アリス──」
だから俺は思いきってアリスに相談することにした
☆
博麗神社へと続く石段を上っていると、鳥居のほうから轟音が響いてきた。 遅れてやってくる突風に髪を遊ばれながら、急いで残りの石段を駆け上がっていく。 駆け上がった瞬間、俺の頬を何かがものすごい勢いで通り過ぎる。 その何かを確認する暇もなく俺は誰かによって蹴り飛ばされた。
「あれ、彼方? そんなところでどうしたの?」
「霊夢の……いやなんでもない」
霊夢がバク転した拍子に俺の腹を蹴ってしまい、それによって俺が落ちました。 なんて言えるわけがないよ。
「そう……それなら少しの間だけ下がっていなさい。 さあ……続きをやりましょうか?」
霊夢がほほ笑むその先には、ヒラヒラしたフリルつきの服に可愛らしい帽子、日傘で直射日光を遮りながら怪しくほほ笑み返す。 幻想郷の管理者こと八雲紫がいた。
紫は日傘を畳むとその先端を霊夢に向ける。 たったそれだけのことで、霊夢の頭上に弾幕が降り注ぐ。 霊夢はそれをギリギリまで引き付け──かすめるほどの位置で避けた。 まるで散歩でもするかのようにひらりひらりとかわす霊夢は、紫が一瞬だけ弾幕の勢いをおとした瞬間に超低空飛行で距離を詰めお札を紫に投げつける。 お札は紫に当たるか否かのところで炎に燃やされたかのように炭になって灰になり消えた。 しかし霊夢の攻撃はそれだけでは終わらない。 お札が効かないとみるや両手を背中に回し一気に前に突き出す。 その手から放出されるは幽々子の弾幕勝負の際に使った特殊な針。 これが刺さればいくら妖怪といえども、痛さで負けを認めることも多い。 ──だがしかし、そこは幻想郷の管理者である八雲紫。 紫が足をタップすると迷いの竹林に生える竹のようにいきなり外の世界の電柱が現れた。
キンッ、キキンッ!
電柱は姫を守る騎士のように、悪漢からいたいけな女の子を守る男性のように、博麗霊夢から八雲紫という少女を守った。 そしてそれがこの勝負の終止符となった。
くすりっ、そう笑った紫はスキマへと消え──霊夢の背後を取る。 首に扇子を当てながら。
お互いに喋ることなく時が過ぎ──やがて霊夢が手をあげた
「わかったわかった、私の負けよ」
「ふふ、まだ実力の3割ほどしか出していないんじゃないのかしら?」
「それをいうなら紫だってそうでしょうが」
腰に手を当てながら紫に言う霊夢だが、紫はお得意のほほ笑みで流す。
そんな二人を彼方を茫然と唖然と黙ってみることしかできないでいた。
二人の勝負は時間にしてわずか3分。 カップヌードルができる時間であれほどまでの目まぐるしい攻防を演じたのだ。 目が追い付かなかった、認識することができなかった。 これが霊夢や紫さんにしてみれば普通のことなんだろうか。 だとしたら凄すぎて頭がおかしくなりそうだ。 これで実力の3割みたいだし……。
「あら彼方。 帰ってきてたのね。 おかえりなさい」
「あ、えっと……ただいまです。 紫さん」
紫さんが俺に気付いたようで頭をなでながらそういってくる。 ……なんだかこうやって頭を撫でられると小さいころを思い出す。 父親に撫でてもらったこと、母親に撫でてもらったこと、早苗ちゃんに撫でてもらったこと、そして……泣いていたときに知らない誰かに撫でられたこと。 親父が死んだとき、早苗ちゃんの神社で泣いていた俺を誰かがそっとあやしてくれたのを覚えている。 その誰かはいまだにわからないけど。 それでもあの暖かさは覚えている。 いつの日か、会えたらお礼をいいたいものだ。
「ちょっと、いい加減撫でるの止めてもらえるかしら? いまから二人で夕食を作るんだから離してもらえるかしら」
「え〜、もうちょっとだけ触りたいわ」
「却下よ」
霊夢が紫さんの腕から俺を引きはがし自分の胸元にもってくる。
「まったく……霊夢も可愛いわね。 まるで大好きなぬいぐるみを取られた子どもみたい」
「う、うるさいわねっ! ほら、もう用事は終わったんだからさっさと帰りなさいよ!」
一層彼方を抱きしめながら紫に近づけさせまいと自分の体を紫と彼方の直線上に割り込ませる。 彼方はというと、ちょっと嬉しそうな、それでいてどこか申し訳なさそうな顔をしていた。
紫はそんな霊夢をニヤニヤと見ながらふいに二人には気付かれないくらいの真剣な目で彼方の髪の毛をみた。 全体の2.5割ほどが白髪へと変貌を遂げたその髪を。
悲しそうに 悔しそうに
「? どうしたの紫、黙ったりなんかしちゃって」
紫の反応がなく心配したのか霊夢が聞いてくる
「いえ、なんでもないわ。 さて……私は帰るとしましょうかしら。 こんなことで霊夢の怒りを買うのもどうかと思うしね」
その言葉に対して霊夢がなにか反論する前に紫はスキマを開いて消えていく。
あとに残されたのは霊夢によって抱かれた彼方と、彼方を抱きしめていた霊夢のみ。
ゆっくりとぎこちない動きで目を合わせる二人
「ご、ごめんなさいっ!」
「いえいえ、こちらこそっ! そんな!」
二人して同時に離れてぺこぺこと謝る。
謝ったあと、彼方は先ほどからの疑問について霊夢に質問してみた。
「なあ霊夢。 なんで紫さんと勝負なんてしてたんだ?」
「さあ? 本人曰く、稽古をつけてるみたいだけど」
「稽古ぉ?」
「ええ、彼方が来る前まで神様を降ろす稽古もしてたしね」
肩を叩きながら何事もなかったかのように玄関から家にはいる霊夢。 こちらはいまだにドキドキしているのになんだ悲しくなってくるような気がしないでもない。
それにしても……
「巫女さんってそんなこともできるのか。 ちょっとだけ見せてくれよ」
「ダメよ」
間髪入れずに、普段より少しだけ低い声で霊夢は答えた。
「とくに……彼方の前じゃね」
そのときの霊夢の横顔は博麗の巫女としての顔になっていた。