43.守矢一家の幻想入り
みなさんこんにちは、
「早苗―、そろそろ学校行く時間だよ〜」
「はーい、諏訪子さま。 ちょっとまってください」
制服に身を包み今日一日学校で使う分を鞄の中に入れた私は足早に玄関へと向かう──途中で一つやり残したことがあったので部屋へと戻っていく。 机の上に大切にたてかけられた写真立てには少し泣き顔の男の子と、そんな男の子によしよししながら笑っている女の子が写っていた。
「いってきます、彼方ちゃん」
優しくほほ笑みながら東風谷早苗はそう挨拶した。
☆
「あ、東風谷さんおはよー」
「おはようございます」
学校に登校してきた私は、玄関で靴から上履きに履き替えゆっくりと自分の教室へ歩いて行った。 自分でいうのもなんですが、交友関係はほどほどに良好だと思ってます。 クラスのみなさんとも仲良くできてますし、先生方もよく面倒をみてくださっています。
「そういえば……聞いた? なんだかこの頃神隠しなるものがまことしやかに囁かれてるらしいよ」
「神隠し……ですか?」
「そうそう。 ほら、少し前にもあったでしょ? 業界の中では有名なオカマの人が突然姿を消したり、資産家で有名な変わった紳士が消えたりしたの。 どうやらそのあともたびたびそういった話はあるみたいで一部では“神隠し”なんて呼ばれているの」
ちょっとだけ誇らしそうな表情で話すクラスメート。
「じゃあ……彼方ちゃんもその神隠しにあったんでしょうか?」
「へっ? あー、そのー……それはわかんないかな。 なんかごめんね」
「いえいえ、それに彼方ちゃんは生きてますから大丈夫ですよ」
巫女さんの家に居候している、という点は大変気に食わないですが。
それから世の女子高生が話すようなたわいもない世間話に花を興じる。 10分ほど話し込んでいると、担任がやってきてそれと同時にホームルームを告げる朝のチャイムが鳴った。 さて、今日も一日頑張りましょう!
授業というものはやはり退屈なものです。 なので延々と流れる教師の言葉をBGMにちょっとしたことを考えようと思います。 それは自分の幼馴染のことです。 私の幼馴染の不知火彼方という少年(?)は私の忠告を無視して、私の忠告を無視して、森の中へ入っていきました。 これが間違いのはじまりでした。 それからいくらまっても戻ってこないものだから神奈子様と諏訪子様の三人で探しにいったのですが……とうとう彼の姿を見つけることはできませんでした。 もちろん、私はすぐに捜索届けを警察に出し警察も帰ってこない彼方ちゃんを心配して探してくれたのですが……結果はむなしく終わりました。 もう打つ手がない、そう思っていた私なのですがその矢先──彼から一通の手紙が来たのです。 それをみた瞬間、不安と安堵の気持ちが胸に押し寄せてきました。
それはまさしく彼らしくありました。 手紙の内容は、自分は普通に生活していることと、巫女さんや義妹さんと一緒に生活しているとのことです。 ちょっとお説教が必要です。 いつからそんなになったんでしょうね? 私の教育に問題はなかったはずなのに……。 とまあ、あれこれいうのは彼に会ってからにしましょう。 とりあえず無事に生活しているようなので一安心です。 むしろ、いま問題があるとするならば“守矢”のことだと思います。 私の親代りである八坂神奈子様と守矢諏訪子様は、俗にいう神様という方々です。 神様とは人の信仰によって形を得て存在することができるのですが……現代の日本では神様を信仰すること自体が少ないのでその存在を保てなくなっているのです。 話によると昔、人間は神様を信仰することにより神様に力を貸してもらうというギブ・アンド・テイクの関係を続けていたようです。 しかしそれも時が経つにつれて、時代が過ぎるにつれて薄れていきました。 科学が発達してきたのです。 理屈では片付けられないものを無理やりな理論で説き伏せたりするさまはみていて嫌な気分になってきます。 でもそれを諏訪子様に言ったところ苦笑されながら一言『しょうがないよ』そう言われたのを覚えています。 いまだに納得はいきませんが……長い年月を生きた諏訪子様にはなにか思いがあるのかもしれません。
キーンコーンカーンコーン
随分と長い間思考の渦に入っていたせいなのか、いつの間にか6限目も終わってしまったようです。 これから夕食の買い物をしてお二人がまつ我が家に帰ることにしましょう。
「ただいま帰りましたー」
「おかえり早苗!」
「うわっ! 諏訪子様いきなり抱きつくなんて危ないですよ」
少しだけ長い石段をのぼり玄関を開けると諏訪子様が胸に向かって飛びついてきた。 諏訪子様は小さくて童女のような可愛らしい人です。 チャームポイントは頭にかぶった大きな帽子で、これがまた……こう……可愛さを引き立ててくれるんですよ。
「まあまあ、早苗。 いいじゃないか」
「あ、神奈子様。 ただいま帰りました」
「ああ、おかえり。 諏訪子も早苗がいない間は退屈でしょうがないんでよ」
「神奈子だって退屈してたくせに」
ぷっくりと頬を膨らませる諏訪子さま。 なんとも可愛らしいものです。
「そういえば早苗。 ちょっと話があるんだが……」
三人でほんわかしていると、神奈子さまが真剣な表情でそういってきます。 なんなのか問い詰めようとしたところ、神奈子さまは黙って首を横に振るだけで答えてくれませんでした。
「とりあえず居間に行こう。 そこで話しがしたいから」
なんでしょうか……神奈子さまの顔をみているとなんだか胸騒ぎがしてきます。
☆
「げ、幻想郷……ですか?」
「そう、幻想郷。 なんでも神や妖怪が住まう、人間以外のモノたちの楽園。 そこに移住しようと思っているのさ」
居間で神奈子さまから聞かれた話は信じられないものでした。
幻想郷──神と妖怪と妖精が住まう地上の楽園。 この地上の楽園とは私達にとっての、ようは神様や妖怪たちにとっての楽園みたいです。 話によると、もちろん人間もいるらしいのですが全体としての割合はさほど多くなく、妖怪や神が中心として存在しているようです。
しかし──何故またそんな話を?
「あの……なんで移住なんか?」
「早苗もわかっているだろう? 此処にいても信仰が得られないことは。 もう、世の中は科学が主流になってきている。 超常現象やオカルトを否定し、自分たちの都合のいいように解釈する。 そんな世界になってしまったよ。 遠い昔に助けられた恩を、遠い昔にともにいた神様という存在を否定しようとしているんだ。 率直に言ってしまえば、この世界では私達は生き残れない」
「で、ですが……!? その、え〜っと、それはわかってますけど……」
「なんだい早苗。 なにか心配でもあるのかい?」
神奈子さんが心配そうに私の顔を覗き込みながら聞いてくる。 べつに心配ごとというほどのことではないけども……仮に、私達が消えてしまったら彼が戻ってきたときにどういう反応をするでしょうか?
「神奈子、それくらいにしておきなよ。 早苗も困ってるじゃないか。 それに……私達が移住したとなると、彼方が戻ってきたときにどうするんだい? 早苗がいなくなったと知ったら、最悪狂うかもしれないよ?」
近くで私達のやり取りをみていた諏訪子さまが神奈子さまを止めにはいる。 あの……諏訪子さま? 流石に彼方ちゃんもそこまではないと思いますよ? まぁ……それほど思ってくれると嬉しいのですが。
しかし、神奈子さまは彼方ちゃんの名前を出した途端、
「またあいつか……。 帰ってこない男のことなどどうでもいいじゃないか。 あいつはあいつで好きにやってるだろう。 手紙でもそう書いてあったし」
そう吐き捨てるように言いました。
「そんなことないと思うよ。 いつか必ず帰ってくると手紙でも書いてあったし」
神奈子さまの言葉に諏訪子さまが反論します。 というか……お二人ともバッチリ手紙読んだんですか……。
「いつか必ず帰ってくる……ねぇ。 はて、あいつは本当に帰ってくるのだろうか? 私はそう思わないけどね。 手紙の内容だって要領を得ないうえに、自分から帰りたがってないように感じたよ」
「……それはまぁ、そうだけど。 ……なにかのっぴきならない事情があるのかもしれないし」
「早苗より優先される事情があるっていうのかい? 何年も一緒にいた早苗より優先されることが? あいつは手紙で安全宣言をしたはずだ。 それでも帰ってこないってことは……帰ってくる気がないのさ」
「神奈子!! いまのは言いすぎだよ」
「……ごめん、早苗」
「いえ、大丈夫ですよ神奈子さま」
諏訪子さまの怒号を聞いて、神奈子さまはバツが悪そうに謝ってきます。 神奈子さまの言うことはもっともかもしれません。 ですが──それでも私は彼方ちゃんが帰ってくることを信じています。
「とりあえず、夕食にしましょうか。今日も腕によりをかけて作っちゃいますよ〜!」
私は笑ってその場を誤魔化した。
☆
夕食も済み、お風呂から上がり自室でのんびりとした時間を過ごします。 この寝る前ののんびりタイムが私はなによりも好きです。
でも──今日ばかりはそんなことも言ってられません。
「幻想郷……かぁ。 私はどうしたらいいんでしょうか?」
写真立てに立てかけている写真に向かって一人で呟く。 私しかいない自室で、その言葉はゆっくりと空気に紛れて沈み消え去るはずだった──のですが、
「僕としてキミにきてもらいたいかな。 彼もなかなか頑固でね。 やはり強い縁で結ばれているキミが必要なんだよ」
「──ッ!?」
「あー、大丈夫。 取って食べたりなんてことはしないさ。 というか、僕は一秒でも早くこの場を立ち去りたくてね。 僕とキミがかかわるのは本当によくないことだから。 ああ、自己紹介がまだだったね。 僕の名前は、新宮妲己。 しがない枕返しとよばれる妖怪さ。 そして彼方クンのストーカーでもある。 はじめまして東風谷早苗ちゃん」
その女性はふいに唐突にいきなり現れた。 最初からこの場にいたかのように、声をかけてきた。 金色の瞳に青いミニスカ和服。 高い位置で髪を結んでいるツインテール。 少女のようで童女のようで──公女のような雰囲気を醸し出していた。
私は立ち上がり、女の子と向き合う。
「あの……! あなたはいったい──」
「何者なんですか? っという問いにはもう答えたと思うんだけどな〜。 いやなに、僕がこうして此処にきた理由は、恥を忍んで此処にきた理由は、怖がりながらビクりながら此処にきた理由は、キミたちを幻想郷にご招待しようと思ってきたわけだよ。 もっとも──アレが先に手を打っていたみたいだけどね。 おかげでキミの説得だけで済みそうだよ。 いや、説得じゃないな、僕がキミにお願いするだけで済みそうだよ」
「……お願い、ですか」
「そう、お願いだよ。 彼方クンのことに関して、お願いがあるんだよ」
彼方クン
この方は何度も何度もそう言っている。 彼方──なんて名前、そうそうつける人もいなければ見る人も少ないと思う。 げんに私だって幼馴染の不知火彼方以外にそんな名前を聞いたことがないのだから。 そう──彼方、私とこの方とを結ぶ可能性がある存在は、きっと彼だけだと思う。 だから、この人の言っている彼方は私のよく知る不知火彼方なんだと思うけど──
「どうして……あなたがその名前を?」
「だって僕は彼のファンだからね。 僕の処女だってあげたさ」
「えぇっ!? ほんとですか!?」
「もちろん嘘。 いまの彼方クンじゃ魅力不足でそこまで気が起きることはないよ」
「ほっ……よかったです」
「ただまぁ……あまりモタモタしてると誰かに取られちゃうかもしれないね」
「えぇっ!? ほんとですか!?」
「なあ、あくまで可能性だけど。 だけど可能性は、起こることがあるから存在するものだ。 まあ、ヘタレな彼では何もないと思うけどね」
「そうですか……」
ようやく安堵する。
新宮さんが切り出した。 それはもう唐突に、なんの脈略もなくあっさりと
「ところでさ、キミは彼方クンに会いたくないかい?」
「知ってるんですか!? 彼方ちゃんがどこにいるか!?」
彼の居場所を知っていることに驚愕し、思わず詰め寄る。
「おいおい、そんなガッツかないでくれるかい。 もちろん、僕は知ってるよ。 彼は腋出した巫女さんとイチャイチャしながら神社で仲良く過ごしているさ。 ──幻想郷という名の楽園にして逃げ場所でね」
幻想郷──奇しくもそれは先ほど聞いた名前であった。
「そこに彼はいるよ。 しかしながら、彼って頑固でさ。 いまだに自分の本心を語りたがらないんだよね。 幼馴染の約束を言い訳にして、くだらない理想を追い求めている」
くだらない理想──
──幼馴染の約束
「そう……ですか」
「そうなんです。 けどまぁ、こんなことをしていても、物語はいつまでたっても終わりを迎えることはできないんだ。 それに彼の想いを無視してずっと進めていくのも忍びない。 そこでキミを迎えにきたわけだ。 彼が盲信して敬愛して寵愛してやまない幼馴染のキミに。 東風谷早苗に来てもらいたいわけだ」
「そこにいけば……彼方ちゃんに会えるのですね?」
「ああ、会えるさ。 キミのその口ぶりから察するに、幻想郷に来てくれるという解答でいいのかな? だとしたら、これほど嬉しいことはないよ。 ところで、キミは物語を動かすときに、物語が重要な局面を迎えるときに誰が一番活躍すると思う? 主人公? 悪役? 作中最強のキャラ? 全然違う。 そんなことはありえない。 主人公でも悪役でも作中最強キャラでもありえない。 それは物語の華──つまりヒロインだよ。 期待しているよ、東風谷早苗ちゃん。 僕を失望させないでくれ」
そういって笑いながら、姿を消した。
唐突に突然と不意に、先程からいなかったかのように消えていた。
彼女が消えた部屋で私の彼女の言葉を反芻させる。
反芻して──神奈子さまと諏訪子さまの部屋を訪れるために戸を開けた。
☆
居間の一室で、神奈子と諏訪子は対峙していた。 互いに酒をついで酌をもちながら、頬を赤くさせることはせず、真剣な表情で話し合っていた。
「神奈子、もういいじゃないか。 私は十分生きたから、もういいと思ってるよ」
そういう諏訪子に神奈子が反論する。
「私はそうは思わない。 幻想郷という場所にいけば、昔のようにできるんだ。 これほど嬉しいことはないはずだ。 それに何故諏訪子は難色をしめす?」
「私は土着神だからね。神奈子みたいな考え方はあまり合わないというか、なんというか。 早苗が却下するのであれば、私は全力で早苗の味方をするよ」
「それでも、強引にでも私は幻想郷に行こうと思うけどね。 それにもしかしたら、あいつと会えるかもしれないよ。 諏訪子と早苗が大好きなあいつに」
「……神奈子だって、結構好意的にみてたと思うけどね」
「私にとって、早苗は家族みたいなものだよ。 あいつは──その早苗を泣かせたんだよ」
早苗を泣かせた。 家族を、娘を、不知火彼方は泣かせた。 直接暴力を振るったわけではない。 ただ──間接的に泣かせた。 失踪という形をもって泣かせたのだ。 たったそれだけのことだが、八坂神奈子が不知火彼方に負の感情を抱かせるには十分であった。
「まったく……短気というかなんというか。 確かに、私も憤りを感じたけどさ。 彼方だってバカじゃないんだ。 絶対に戻ってくるよ」
「それじゃダメだ。 そんな受動的ではダメだ」
首を振る神奈子。 そんな神奈子に同意する者がいた。
「神奈子さまの言うとおりです。 幻想郷に行きましょう」
東風谷早苗が立っていた。 しっかりと目でちゃんとした意志をもって言葉を発していた。
「いきましょう、幻想郷に。 そうすれば、神奈子さまや諏訪子さまだって消滅しなくて済みますし、彼方ちゃんにも会うことができます。 一石二鳥ですよ!」
そういって笑った早苗を、諏訪子は呆れたように、神奈子はにこやかに笑っていた。