45.天罰
いつから思い違いをしていたのだろう
彼女なら許してくれると思っていたのだろうか
『もう……やっと会えたね。 今度からはちゃんとこまめに連絡いれなきゃダメだよ?』
そう笑いながら──許してくれると思っていたのだろうか
『なにはともあれ、彼方ちゃんと一緒に生活できて嬉しいかな』
そう恥ずかしそうに照れて──何事もなく幻想郷で生活できると思っていたのだろうか
思い違いも甚だしい 勘違いもここまでいくと滑稽だ
それこそ妄想の産物だ
俺はわかっていなかった 違う──目を逸らしていた
臭いものに蓋をしていたんだ 見たくないから壊してしまったんだ
少し考えればわかることだろう
俺が幻想郷で生活している間も──彼女はずっと外の世界で生活してたんだ
俺を探しながら──俺を心配しながら──母さんと一緒に生活してたんだ
俺がのうのうと咲夜や霊夢や魔理沙や鈴仙やフランちゃんや慧音さんと楽しく生活してる間も──ずっと生活してたんだ
誰かを笑顔にする?
そんなこと無理に決まってる できるわけがない 無茶で無謀だ
だって──俺が此処にきた瞬間から
俺が此処にきたその時から──彼女の笑顔は曇ったから
ずっと傍にいてくれた幼馴染一人笑顔にできないで、どんな理想を叶えるというのだ
どんな理想を掲げることができるのだ
結局のところ、俺は最初から目標を叶えることができなかったのだ
目標は──妄想にすぎなかったのだ
これは天罰なのだろう
文字通り、神がその手を汚してまで──俺にくれた天罰なのだろう
腹から溢れ出る血を見ながら考えた
ズタボロの状態から考えた
おかしいなぁ……自分が悪いはずなのに、一人前に涙を流している
涙を流すことさえ許されないはずなのに
おかしいなぁ……こんなときだっていうのに、早苗ちゃんの顔をみようとしている
顔向けすることさえ許されないはずなのに
おかしいなぁ……手ひどくやられたからだろうか、本来思うことがない想いをもっているよ。 無謀にも、神様に勝ちたいと想ってしまってるよ
願っちゃいけないことなのに
俺は全てのことが嫌になり、瞼をゆっくりとおろした
☆
妖怪の山を緑髪の女の子と黒と白が入り混じった髪の男の子が二人揃って頂上を目指しながら歩いていた。 二人とも、手には買い物袋をぶら下げたまま。
「それじゃ、彼方ちゃんは博麗霊夢さんという方に救われた……ということですか」
「うん、そうなるね。 それだけじゃなく、今現在も博麗神社に居候許可してくれてるし……弾幕だって教えてもらってる。 きっと、幻想郷で俺が一番頼っていた人なのかもしれない。 ……本人の前では、ちょっと言いづらいんだけどね」
苦笑を漏らす男の子に、女の子は──
「それじゃ其処にも挨拶にいかないといけませんね。 彼方ちゃんの面倒を見てくれたのならば」
と、真剣に考えながらそんなことを言った。
緑髪の女の子──東風谷早苗はなおも続ける。
「私が此処にきたからには、彼方ちゃんは勿論、守矢神社に住みますよね? だとしたら、やはり私からもお礼を言っておくのが筋でしょうし」
「ちょッ!? ちょっとまって早苗ちゃん!? いつ決まったの!? 俺が守矢神社に住むなんていつ決まったの!?」
「え? 住まないんですか?」
「いや……どうなんだろう……。 そんなこといきなりは決められないよ。 それに、霊夢はずっと俺のことを助けてくれたんだ。 だから──このまま博麗神社を去るわけにはいかないよ。 霊夢にお礼をするまでは」
「クスっ、彼方ちゃんらしいですね」
男の子──不知火彼方の答えに微笑みながらそういう早苗。 どこか余裕がありそうである。
「それじゃ、今度は妹さんのことについてお話を聞かせてください。 手紙にも書いてありましたし」
「え? 妹? ……あぁ、フランちゃんのことか。 正確に言うならば、妹ではないんだけどさ」
「知ってますよ? 彼方ちゃんが一人っ子なのは知ってますよ?」
「あ、うん、そうだよね。 でね? その子はフランドール・スカーレットっていう吸血鬼の女の子なんだ。 綺麗な瞳と、これまた綺麗なシャンデリアみたいな翅が美しくてさ。 まぁ……ちょっとだけ危ない子ではあるんだけど、それも含めて可愛いというか、妹みたいだな〜、って思ってるんだ。 ──……って、早苗ちゃん? どうしたの?」
「いえっ……なんでもないです……」
饒舌に喋る彼方の横で、早苗は顔を引き攣らせながら話を聞く。
「それでさ、その子の住んでる場所ってのが凄くてね? 紅魔館って場所なんだけど、建物全てが赤一色なんだ。 しかもそこで働いてるのが妖精メイドさんと、時を止めるメイドなんだ。 時を止めるメイドの名前は十六夜咲夜っていうんだけど、この人がまた色々な意味で凄くて。 初対面はすんごい立派で綺麗な人なんだな〜、って思ってたけど意外と口が悪くて困ったよ。 まぁ、そんなところも咲夜のいいところなんだろうけど。 紅魔館は地下に図書館も設置されていて、この図書館がまた広くてさ。 そしてまたこの図書館に住んでる人が変わり者で、パチュリー・ノーレッジっていうんだけど、病弱なのかな? あまり外には出たがらないみたいなんだよ。 それでも、魔法については一流で俺のスペルカードの製作にも携わってくれたんだ。 あと、門番に紅美鈴という背の高い女性がいるんだけど、たまにサボってるせいかメイド長の咲夜に怒られているんだよね。 で当主のレミリア・スカーレットなんだけど──」
「彼方ちゃん、ストップ」
ぺらぺらと喋る彼方の口を早苗が人差し指で制する。 口にあてがわれた人差し指をみながら、早苗に言われた通りに黙る彼方。
「わかりました、わかりましたよ。 彼方ちゃんのお話をいっぺんに聞こうとした私がバカでした。 ごめんなさい」
「あっ……その、ごめん。 早苗ちゃんに話せるのが嬉しくて、つい……」
「それは嬉しいのですが、ああもマシンガンのように話されると困ります。 でも、それでけ私に話す内容があるということですよね? なんか安心しました。 私、心配だったんです。 彼方ちゃんが一人で寂しくしてないか、とか。 彼方ちゃんが苛められてないか、とか。 けど、こうして私に話したくなるような日常をずっと送っていたみたいで安心しました」
そう笑いかける早苗。 その笑顔は、どこか寂しげで儚く、ともすれば今すぐにでも消えて無くなりそうな──そんな笑顔だった。
「うん、そうだよ。 早苗ちゃんだってそんな日常を送ることができるよ!」
けれども、彼方は気付かずにあっさりとそういった。 流してしまった。 無意識のうちに流してしまった。
「ふふ、それは楽しみですね。 あ、もうすぐつきますよ。 久しぶりですよね? ようこそ──守矢神社へ」
その光景に目を奪われた。
外の世界では汚れていた小さな湖も綺麗な青さを取り戻しており、それだけじゃなく神社もいくばくか清潔さを醸し出していた。
そして──空気すらも違っていた。
神様のいる場所は神聖な場所だとはよくいったもので、例にも漏れずこの場所もそれ相応に相応しい場所になっていた。
思わず彼方が一歩後ろに下がってしまうほどの──神聖さを取り戻していた。
「どうですか、彼方ちゃん。 久しぶりに守矢神社にきた感想は」
そう怪しく笑う早苗に、彼方は驚きながら答える。
「すげぇ……! すごいよ早苗ちゃん! なんか、外の世界できたときよりも威厳があるというか、こう……神聖があるというか……」
彼方はそう光景から目を逸らせないでいた、S磁石とM磁石がくっついて離れないように、彼方の視線もまた守矢神社から離れられないでいた。 それほどまでに──守矢神社は美しかったのだ。
『早苗〜!!』
「あ、諏訪子さま!!」
そんな神社の奥から、一人の女の子が東風谷早苗の名を呼びながらドタドタとパタパタとさせながら走ってきて──早苗の胸にダイブした。
「きゃっ!? だ、だめですよ諏訪子さま!? そんな所に抱きついちゃ!?」
「えへへ〜、いいじゃんいいじゃん。 私が揉んであげたからこんなに大きくなったんだよ?」
「揉んでもらってませんよ!? 誤解されるようなこと言わないでください!?」
「いや〜、早苗は相変わらず可愛いね〜。 ──ねぇ、彼方?」
「……ほへ?」
突然女の子に呼ばれた彼方は、思わず変な声を上げる。
「え……あの……え……?」
この子は誰なのだろうか? どうして俺の名前を知っているんだ? 早苗ちゃんって妹いたっけ?
そんなことが頭の中を駆け巡る。
「ちょっ!? 諏訪子さま! 外の世界では彼方ちゃんは諏訪子さまと神奈子さまのお姿は見えなかったのですから、いきなり話しかけてたりしたら困惑しますよ。 ほら、みてください。 彼方ちゃん、必死で自分の記憶を探っている状態です」
「あらら……そういえばそうだったね。 私達からはずっと見えてたけど、彼方からは一度も見えたことがないんだった。 私としたことが失態したな〜。 お〜い、彼方」
「は、はいっ!?」
「まったく……そんな畏まらなくていいよ。 ええと……はじめまして、かな? 洩矢諏訪子だよ。 これでも神様なんだよ? そして、早苗の育ての親……で、あってるよね、早苗?」
「はい! そうですよ!」
彼方は困惑した。
いきなりの神様宣言に困惑した。
彼方だって幻想郷にきてから神様は見たことはある。 豊作の神様だって見たことがある。 しかしながら──こんな小さな女の子とは思っていなかったのだ。
そして東風谷早苗の親宣言にも困惑した。
こんな小さな女の子が育てたとでもいうのだろうか?
彼方の目の前では、東風谷早苗が洩矢諏訪子に果物をあげている最中であった。 どちらかというと、傍目からみれば、客観的にみれば、東風谷早苗が洩矢諏訪子のお姉さんといったほうが納得できるだろう。
それでも──
「……神様で……早苗ちゃんの育ての親……」
なんとか受け入れることができた。 受け入れることができてしまった。
見ているから。 体験してるから。 経験しているから。
不知火彼方は、既にそういったことを幻想郷で体験しているから。
だからこそ、受け入れてしまった。
それでも、若干ながら懐疑な視線を向けてしまう。 それに諏訪子は気付き──
「おやおや、やっぱり信じてくれないみたいだねぇ。 まあ、しょうがないといえばしょうがないけどさ」
「いや……べつにそういうわけでは……!?」
「いいっていいって。 それより早苗。 神奈子が呼んでたよ? やっぱり、神奈子の中では戦って幻想郷を手に入れるという選択肢しかないみたいだねぇ。 困ったもんだよ」
「えぇっ!? あれほど私と諏訪子さまが止めたのに、神奈子さまは強行するつもりなんですか!?」
「うん。 もともと、神奈子はそういった奴だからね。 領土を奪うことはなんとも思ってないよ」
そういった諏訪子の顔は幼いながらも真剣で、どこか遠い過去を振り返っているようでああった。
「あ、あの……! 幻想郷を手に入れるって……どういうことなんですか……?」
二人の間に彼方が割り込む。
「どういうことって……。 言葉通りの意味だよ。 私達の家族である八坂神奈子は、幻想郷を乗っ取ることにしたのさ。 信仰を得るために」
「でも、流石に止めたほうがいいのでは?」
「あ〜、やっぱりそう思う?」
「幻想郷を乗っ取ろうなんて考えちゃダメだ!」
彼方の大声で早苗と諏訪子の会話は止まり、かわりに一陣の風が三人の間を縦横無尽に駆け回る。
大声を出した彼方に驚きながらも、諏訪子は宥めるように話す。
「そりゃ、私と早苗は反対したよ? 此処で生活するだけでいいってさ。 けど、神奈子はどうしても信仰を集めたいらしくてね。 ほら、力で制圧したほうが早いでしょ? え〜っと、いまは天狗の所にいるっけ。 神奈子は」
首をヒネりながら、家族が行ったであろう場所を思い出す。
「違うんですよ! 俺が言ってることはそういうことじゃないんですよ! もしそんなことをすれば──霊夢が動いちゃいます! いまはまだいいかもしれませんが、異変として扱われてしまうかもしれません! そうなったら、いくら神様でも敵いません! 弾幕勝負で本気の霊夢に勝てる存在なんて此処にはいません」
不知火彼方は直観でわかっていた。 博麗霊夢に勝てる存在などいないことを。
吸血鬼であろうと、鬼であろうと、天狗であろうと──こと弾幕勝負においては博麗霊夢に負けはないのだ。
不知火彼方は知っている。 間接的だが知っている。 直接的に知っている。 博麗霊夢の実力を知っている。
知っているからこそ、止めるのだ。
おそらく、ここで自分が止めないと八坂神奈子という神様が行っている行動は異変として扱われる。 それも近いうちに。 だからこそ、不知火彼方は焦りながら喋る。
「ねぇ彼方? その霊夢って人物は人間なの?」
「は、はい……そうですけど」
「なら大丈夫だよ。 神奈子の実力だけは本物だからね。 人間に負けるほど、神奈子も弱くないよ」
そうじゃないのだ。 そんなことは関係ないのだ。
博麗霊夢には神様とか妖怪とか関係ないのだ
自分が知っていることを説明するのは意外に難しいものである。 それこそ、説明する対象のことをよほど詳しく知っていなければ説明などできない。 自分が理解していなければ、説明すらできないのである。
そして彼方はうまく説明できないでいた。 東風谷早苗と洩矢諏訪子の二人に説明できないでいた。 それはすなわち──不知火彼方は博麗霊夢という少女のことをちゃんと理解していないことと同じであった。
「と、とにかく止めてください!」
なおも喋る彼方に──上から声が降りかかってきた。
「最初の参拝客が、よもや貴様になるとはな。 普通ならば参拝客としてもてなしたいところではあるがお前に限っては別だ。 ──不知火彼方、どの面をさげて此処にきた。 どの面をさげて此処にこれた。 此処は──守矢神社は貴様のきていい場所ではない」
その者から感じる感情は拒絶・敵視・憎悪・嫌悪
すべて負の感情であった。
背にはしめ縄を背負い、不遜な態度で彼方を見下ろしていた。 否、見下していた。
その者の名は八坂神奈子
かつて洩矢諏訪子と激闘を演じ、その激闘に勝ち──洩矢諏訪子の領土を奪った神様。 されど心までは奪うことができず、形だけの神様として居座った。 その力は絶大であり強大。 昔はその絶対的な力で妖怪と人間からの信仰を得ていた人物である。
「おぉ、神奈子。 やっと戻ってきたのかい? いまちょうど早苗も帰ってきたところなんだ」
「へぇ、それはいいタイミングだね。 こちらもあらかた片付いたところだよ」
地上で諏訪子が片手を上げながら神奈子に呼びかけると、神奈子もまたそれに答える形で状況を報告する。
「それじゃ早苗。 お昼を食べようか」
「は、はい! そ、それなら彼方ちゃんも一緒に──」
「いや、それはいいさ」
「えっ? で、でもせっかくここまで来たのですし──」
「──いいのさ」
神奈子は優しく、しかししっかりと、早苗に拒絶の意思を示す。
その神奈子の態度に、早苗はただただ驚くばかりで──諏訪子はただただ黙るだけだった。
東風谷早苗には理解できないだろう。 八坂神奈子が何故そこまで拒絶しているのか。
洩矢諏訪子は理解しているのであろう。 八坂神奈子が何故ここまで拒絶しているのか。
洩矢諏訪子もまた、同じ想いをもっているのだから。
この場でわかっていないのは、東風谷早苗と──不知火彼方の二人だけであった。
早苗の腕を強引にとり、神社に向かう神奈子の背中に不知火彼方は無謀にも声をかけた。
「あ、あのっ! あなたですか……? 幻想郷の乗っ取りを計画している方は」
「そうだねぇ、もしそうだとしたら?」
神奈子は振り向かないまま答えた。 顔も見たくない──そう背中が物語っている。
「もしそうだとしたら──あなたをここで止めます」
「ほぅ……貴様が、この私は止める? ──笑わせるなよ、小僧」
「──ッ!?」
「気が変わった」
そう言って、八坂神奈子は振り向いた。 不知火彼方に向かって振り向いた。 振り向いて──不知火彼方の頬を切った。
「…………え?」
茫然と愕然と唖然と、不知火彼方は動けないでいた。 動く暇さえなかった。
いつの間にの“間”すら、彼方には視えなかったのだ。
何故か手には剣がある。 手には剣がある、という結果しか見えないでいた。 剣を抜き取った、という過程が見えないでいた。
「彼方、私はお前を許さないよ。 お前は犯してはいけない過ちを犯してしまったんだよ。 けど、それでもお前のことを少なからず評価はしていた。 だから私の取れる最大の譲歩として“かかわらない”という選択をしてたのだが、それもやめることにしよう。 きっと誰かが、お前にわからせてあげないといけないのだと思うから。 だとすれば、その役目は私しかいないだろうさ」
そして神奈子を、いまだ動かない彼方に指を突き付けていった。
「武器を取れ。 私を止めるんだろ?」
☆
八坂神奈子と不知火彼方の戦いは、実にあっけなく終わった。
簡単に決着がついてしまった。
八坂神奈子の圧勝という形で
「期待外れだよ、彼方。 それが、早苗を置いてまで此処にきた者の実力か? お前はこんな力に固執するためだけに、早苗の元に戻らなかったというのか? ──ふざけるのもいい加減にしろ。 こんな力のためだけに──お前はずっと早苗のもとに帰らなかったというのか!!」
神奈子の見つめる先には、装飾銃すら握ることができないほどにボロボロにされた彼方の姿があった。 服は破け、顔面は痣だらけ、体全身には裂傷。 むしろ裂傷がついていない場所を探すほうが困難なほどである。 そして腹には──直径20cmほどの御柱が刺さっていた。
「やめてください神奈子さま!! もう止めてください!!」
そんな彼方を前にしてもなお、いまだ言い足りない神奈子を──早苗はすがるようにして止めさせる。
「もう十分ですよ! いや、やりすぎです!」
「大丈夫だよ早苗。 見た目が派手なだけで、死に至るほどの傷じゃないよ」
「けど……! けど……!」
何故神奈子がそうも冷静に分析できるのか、早苗には全く理解できなかった。
幼馴染のボロボロの状態をみるだけで、涙が止まらなかった。
どうして自分は止めなかったのだろう。
そう思わずにはいられなかった。
しかしながら、だからといって早苗を責めるのは酷というものだ。
何故なら、東風谷早苗もまた洩矢諏訪子に止められていたから。
腕を掴まれていたから。 抜け出すことができないほどの強い力で。
だから東風谷早苗に非などあるわけがない。 ──しかし、それでもこの優しい少女は泣いた。 自分を置いて、のうのうと暮らしていた幼馴染のために泣いた。 泣きながら止めてくれた。
「ごめんね、彼方ちゃん。 私、大丈夫だから。 こうして彼方ちゃんともう一度会うことができて幸せだから。 だから大丈夫、私は大丈夫だよ。 彼方ちゃんが笑顔なら、私はそれでいいよ」
少女は健気に呼びかける。
ただ──その声は彼方には届かなかった。
死んだ魚のような目で、指先一つ動かさず、ぼんやりと虚空を見つめていた。
神奈子は彼方を見つめながらゆっくりと喋る。
「なぁ彼方。 ずっと傍にいてくれた女の子の笑顔を曇らせることが、お前の叶えたかった理想だというのか? お前のくだらない行動のためだけに、早苗の笑顔は曇ったままだったのか?」
問う神奈子に、彼方は返事を返すことができない。
鳥居に背を預ける形になりながら、壊れた人形のように動かない彼方には答えることができない。
それがまた神奈子の琴線に触れた。
「答えろ!!」
「もうやめてください神奈子さま!!」
神奈子が一歩前に踏み出す瞬間──
「悪いけど、そこまでにしてくれるかしら?」
そう上空から声がかかり、次いで針の嵐が襲い掛かってきた。
それを全て防ぐ神奈子。
「彼方……大丈夫かしら? すぐにこの柱抜いてあげるからね?」
「あ〜あ、こりゃまたひどい傷だなぁ……。 永琳でも完全には治せないんじゃねえの?」
「つべこべ言わないの。 まずは傷を治すことが最優先よ。 それには永遠亭以外に他がないんだから」
「まったく……文からの情報とはえらい違いだなぁ」
「まったくよ……。 どこらへんが『彼方くん、ラブコメってましたよ』なのか、教えてほしいくらいだわ」
唐突に現れた少女たちは、そんな会話をしながら体に刺さっている御柱を引き抜きそれぞれ彼方の肩に手を回す。
いざ飛ぼうとした瞬間、二人のうちの一人、大きな赤いリボンが特徴的な腋だし巫女服の少女がはじめて八坂神奈子のほうを振り向いた。 まるで、いましがた存在に気が付いたかのように振り向いた。
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったわね。 私は博麗霊夢よ、彼方の居候先の主人ってとこかしら。 とりあえず、これは異変として対処することにしたからさ──容赦、しないわよ?」
殺気を全方位にまき散らしながら、そう宣戦布告する少女に神奈子は不敵な笑みを浮かべて答えた。
「上等じゃないか。 丁度、私もそちらに宣戦布告しようと思っていたところなんだ」
かくして、不知火彼方の瀕死と東風谷早苗の涙によって──物語ははじまることとなった。