50.自分のために



 いつもいつもそうだった。

 勝つこと自体にはあまり拘りがなく、自分が勝つことよりも違うことをずっと優先していた。

 それが一番だと思っていた

 たった一つの冴えたやり方だと思っていた

 だって、幼馴染の彼女がそう言ったから。

 ずっとずっと、そうやって生きてきた。 自分の意見じゃなく、彼女の意見で生きていた。 それでも、今日までずっと生きていくことができた。 だからきっと、これが自分にとってのベストな生き方なんだと思っていた。

 幻想郷にきてからは、その生き方が色濃くでてきた。

 フランドール・スカーレットとの戦いで自分以外を優先した。

 レティ・ホワイトロックとの戦いのときも自分以外を優先した。

 鈴仙・優曇華院・因幡との戦いでも自分以外を優先した。

 それで満足だった。

 奴隷のように、従属のように、下僕のように、家畜のように、

 そうやって──生きてきた。

 苦痛になんか感じなかった。 苦労も当然だと思った。 苦悩はしなかった。

 それが間違っているか、そう聞かれたら俺は首を横に振るだろう。

 『それも立派な生き方の一つだ』

 いまならそういえる。 だけど、それでも、それだからこそ、俺は違った生き方をしようと思った。

 自己中心的に生きようと決めた。 自己の欲求を満たそうと誓った。

 自分のためにいまを生きよう

 自分のために道を歩もう

 これが全部終わった後、それからのことを決めていこう

 今はまず、目の前の女性に全てを注ぎ込み戦おう。

 負けようなんて思わない。 負けるなんて思わない。

 だって此処は幻想郷だから──人間が神に勝っても可笑しくない場所なのだから

              ☆

 対峙する相手は幻想郷で自分が戦ってきた者たちと比べても、決して劣ることはなく、それよりももしかしたら頭一つ分くらい抜けている人物かもしれない。 なんせ相手は神だ。 それほどの評価を下したところでなんの問題もないだろう。

 不思議なものだ、まったく負ける気がしない

 頭がイかれたのだろうか、先程から自分が負けるビジョンが浮かんでこないのだ。 いつもはどこかにチラついていた自分の敗北姿、鈴仙に注意された負けるビジョンが、現在は浮かんでこない。 それとりも、少しばかりの高揚すら感じられる。 気分がどんどん高まっていく。

「おかしなものだね、先程までいた痛い妖怪が消えたかと思うと、彼方が出てきた。 いったい、あんたの体はどうなっているんだろうね」

「どうなってると思います? 神奈子さんなりの推測を聞かせてくださいよ」

「ほお……随分と余裕じゃないかい。 何か良いことでもあったかい?」

「ええ、良いことありましたよ。 神奈子さんの笑顔が見られましたから」

 遠くのほうから霊夢が装飾銃を放り投げてくる。 それを受け取り構える。 ずっしりとした重みが増々余裕を引き出してくれる。

「夢でしか私の笑顔を見ることができないのかい。 それはなんとも悲しいことだねぇ」

「ええ、確かに悲しいですね。 俺は現実でも神奈子さんの笑顔を見たいものですが」

 神奈子さんの頬を一筋の弾が掠める。 たらりと頬が赤い液体が流れる。 それを神奈子さんは指ですくい取り舐める。 視線はこちらを離さない。 その視線はさながら蛇のように獰猛で、蛇のようにねちっこい視線であった。 ニヤリと嗤う神奈子さんにつられ、俺もニヤリと嗤った。

「礼儀を忘れた子供には、親が礼儀を叩き込んであげようか!」

「年なんですから無理しないほうがいいですよ!」

 両者駆ける。 間合いなど測る必要もなく全身全霊を込めて突進していく。 神奈子は御柱を出現させ、竹槍のように構え、彼方は装飾銃を下にだらりと下げながら突進した。 神奈子が神速のような速さで彼方の胸を貫かんばかりに刺しにいくと、彼方はそれを左足に少しばかりの力を入れ右斜めに移動した。

 それはまるで風に泳ぐ木葉のように

 風神に遊ばれる一枚の葉のように

 神速の御柱をひらりかわした。

 下げていた装飾銃の握る拳に力を入れ、彼方は神奈子の足を撃ち抜こうと引き金を引く──が、神奈子もそれを予期していたようで伸びきった腕にもかかわらず、強引に向きを変えて横殴りにしてくる。

「……うーん、いまのいいと思ったんだけどなぁ」

 大きく後ろに距離を取った彼方はそう呟きながら油断なく神奈子のほうを見る。 神奈子は少しばかり驚いているようであった。 それはそうだろう、ずっと自分の攻撃が当たってきた相手にああも簡単そうにかわされたのだから。 いったい、どういうことなんだ? そう神奈子が思うのは不思議ではない。 しかしながら、不知火彼方がこうもあっさり避けれることもまた、そこまで不思議に思うことはないのだ。

 彼はただ、学んできたことを実践しているだけなのだから。

 彼の中にある一つ一つのことが、いまをもって結晶として固まっているのだ。

 紅美鈴に教わった格闘戦、それがいま役に立っただけなのだ。

 神奈子が御柱を周りに顕現させ、離れた彼方に向かって放つ。 大小様々な御柱は全方向から不知火彼方という存在の臓物を喰らうために舌を出し獰猛に襲いかかる。

 とんっ、と一歩後ろに下がった。 先ほどまでいた場所目がけて貫いていく御柱。 彼方は右から向かってくる一つの御柱に弾幕をぶつけた。 御柱は軌道を変え標的より5cmほど離れた軌跡を描く。 そして左からやってきていた別の御柱とぶつかり合いながら地面へと落ちていった。

 されども御柱の猛追は終わらない。

 左から 右から 後方から 真横から 前方から 右斜めから 左斜めから 次々と御柱は襲ってくる。

「──」

 彼方は落ち着くようにゆっくりと息を吐き──弾幕に自ら突っ込んでいった。

 ひらりひらりと木葉のように、かわし、流し、進んでいく。 先ほどまでの機械の翼による高速移動がなくとも、不知火彼方は弾幕をくぐりぬけたのだ。

「……どうやら、少しばかり過小評価していたみたいだね」

 彼方に向け発した神奈子のセリフに彼方は首を振った。

「いえいえ、きっと神奈子さんの評価は適切だと思います。 自分だって驚いていますから。 けど、どうしてでしょうか。 いまの俺は、神奈子さんに負ける気がしないんですよね」

 それは、不知火彼方の本心だろう。

 自信満々に答える姿を見て、この場の誰もが確信した。

 それと同時にこうも思った。

 いったい、彼の中でどんなことが起こったのだろうか。

 変わったとするならば、先程の胡散臭い男が現れたことが関係しているはずだ。 “存在”事態が胡散臭い、あの男が現れてからだろう。 全員が確信する。

 そんな中、彼方は御柱の嵐を抜け──子供のような笑みを神奈子に向けた。

「どうしてもこの勝負、勝たないとダメなんですよね」

 あの小さな男が見せてくれた、幼き日のこと。 その裏側。

 それを知ってしまったいま、自分はこの勝負に勝たなければダメなんだ。 心配させたまま、はじめの一歩を踏み出すことなんてできやしないのだから。

「だから俺、絶対に神奈子さんに勝ちますよ」

 目を閉じれば浮かんでくる。 八坂神奈子が見せてくれたあの笑みが。 その笑みを曇らせないために──勝つしかないんだ。

 受け取る想いは八坂の想い

 八つの坂を登り心配してきた神の想い

 着火させるは不知火の炎

 眩み微睡みながら、確かに存在する小さな火

 その想いをもって──火は爆炎へと形を変える

 背中に生えるは機械の翼。 想いを受け取り止めどない進化を続ける炎の現れ。

 不格好な青年は、先程とは比べ物にならないスピードで神奈子へと迫る──が、神奈子はそれを予期していたらしく地を蹴り獲物を出現させる。 現れた御柱は青年に行く手を遮るが、いまの青年にはそんなもの障害にも成り得なかった。

 ゼロ距離からの弾幕射撃で粉砕すると、背中の翼の一本を展開させ神奈子の腕に撃ち込む。 近距離からの弾幕に神奈子はあえて狙われた腕を捨て、もう片方の腕で御柱を操作に彼方の顎に力の限りすくいあげるようにして打ち込んだ。

「──!」

 ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえてくる。 必死に舌を噛まないように気を付けながら、ここぞとばかりに攻め込んでいく。

 脇腹目がけて装飾銃をぶっ放す。 一発、二発、三発、四発、五発、六発

 撃ち込むたびに、彼方の体はどこかに御柱の傷跡を残していく。 それでも彼は止めない、それでも彼は止める術を知らないかのように襲い掛かる。

 蛇に睨まれた蛙が最後の抵抗を試みるように──

 やがてどちらかがその場から離れる。

 一人の体は無傷も同然で、一人の体は裂傷、切り傷、擦り傷のオンパレードであった。

 どちらが優勢なのかは一目瞭然であった。

 どちらが劣勢なのかは判断できなかった。

 霊夢や早苗から見てみたらそんな感想を抱くのも可笑しくない。 何故なら、彼方も神奈子も嗤っていたのだから。 苦痛な顔など感じさせず、無理に笑うことなく、純粋に自然に笑顔が溢れてきたのだから。 もはやこの二人の間に挟めるものなど存在しない。 止める術など存在しないのだ。

 ──風が止む

 先程まで吹き荒れていた風が急遽泳ぐのを止め、二人の様子を伺うように空気を読む。

 トントントン……

 彼方が足で土を踏み、タイミングを計る。 その瞬間──土の中から御柱が穿つように這い出てくる。 それを辛くも避けた彼方は後ろに下がるのではなく前へと前進する。 向かってくる御柱を装飾銃で撃退し、翼で避け、なんとか距離を詰めていく。

 神祭『エクスパンデッド・オンバシラ』

 嵐のように迫りくる御柱。 先ほどの比ではないほど襲い掛かる御柱を前に、彼方は臆することなく前に進む。

 怪我をしてもいい、傷を作ってもいい、

「一度でいい……! あなたの目の前まで、俺は行くんだ……!」

 鈴仙・優曇華院・因幡は的確だった。 周りを見て、自分に襲い掛かってくる必要最小限の攻撃だけを迎撃していけ、と。 今なら分かる、痛いほど実感している。 体験している。

「ありがと……鈴仙……」

 近づくにつれ激しさを増していく御柱を凌ぎつつ、彼方は自分に対して素っ気ない態度をとりながらも、優しいところがあるあのウサ耳な少女にお礼をいう。 自分を一歩進ませてくれた彼女にお礼を送る。

 彼方は一歩横に避ける。 自分の位置をずらす。 それだけで沢山の御柱が彼方に当たることなく通過する。

 紅美鈴は優しかった。 格闘に置いて大事な相手との間合いの距離と迫りくる相手の避け方を教えてくれた。

 これにどれだけ助けてもらったのだろうか。
 
 銃なんて遠くからじゃ当たることもあまり彼方には必然的に近距離からの攻撃を主軸に置いた戦闘も多かった。 そのとき、美鈴の教えがなかったら──きっと今この場に立ってることはないだろう。

 眼前には細い槍状の御柱。 鋭い軌道を描きながら容赦なく顔を狙ってくる物体を、彼方は臆することなくずらしという最小限の動作だけに止めた。 髪の毛の一本が巻き込まれるように地面に落ちた。 しかし、その槍状の御柱での被害はそれだけで終了した。

 博麗霊夢は辛抱強かった。 一般よりも若干成長の遅い不知火彼方に懇切丁寧に弾幕の撃ち方や避け方を教えてきた。 恵まれた環境なのにもかかわらず、成長しない彼方。 何度ため息を吐いたことだろうか。 何度拳を震わせたことだろうか。 それでも、彼女は 「止めましょう」 なんてセリフは彼方に向けることはなかった。 それどころか、ずっと励ましてくれた。

 それが、不知火彼方にはとてつもなく嬉しかった。

 だから、今この場面でグレイズが出来たことに感動で涙があふれ出しそうになった。

 翼による急加速を伴い、神奈子へと一気に接近する。

 東風谷早苗は変えてくれた。 二度までも自分の人生を変えてくれた。 あの手紙がなかったら、きっと此処に来る勇気が出なかっただろうとさえ思った。 風となり、彼女は背中を押してくれた。 そばにいないときでも、ずっと自分の心の支えになってくれていた。 それが彼方にとってどれほど心強いことになっただろうか。 どれほど力をもらったことだろうか。

 距離は既にないに等しく、神奈子が自分に向かって刺しにきた御柱を彼方は振り上げた足で力の限り地面に叩き込んだ。 若干めり込んだ御柱、彼方はすかさず装飾銃を額にかざす。

 八坂神奈子は立ちはだかってくれた。 自分の生き方を見つめ直すための機会を作ってくれた。 勿論、怒りがあるのは本当だろうし、それに対して謝罪をしたところでいまさらどうなるとは思わない。 だからこそ、彼方は好意的に受け取ることにする。 八坂神奈子はその身を挺して、不知火彼方と正面から向き合ってくれたのだ。と。

 位置と角度の問題で、彼方が神奈子を見下ろし、神奈子が彼方を見上げる形となった。

 人間が神を見下ろすなど、通常では考えられることではない。 幻想郷という場所を除けばの話であるが。

 その均衡も一瞬で崩れ、また彼方は大きく突き飛ばされた。 またしても遠くなる神への領域。 度重なる疲労と、無理な攻撃で、既に体は限界を迎えつつあった。 先ほどから笑う膝、時たまぼんやりと霞がかってしまう視界、上げるのも辛い腕、急加速と急制動に対応してくれない骨と筋、立っているのがやっとの状態だ。 賭けて出た勝負も失敗に終わった。 万策もすべて尽きた。

 荒い呼吸を刻みながら、彼方は神奈子へと声を発した。

「覚えてますか、神奈子さん……。 幼少時代、俺が泣いてるとき、神奈子さんが頭を撫でてくれたことを……」

 グラリと体全体が揺れ、渾身の力を込め必死に繋ぎとめる。

 神奈子からの返事はない。 それでも、彼方は喋り続ける。

「ずっと気になってたんですよね。 あのとき、確かに頭を撫でられた感触がして、それでも周りには誰もいないから……幽霊なんじゃないかと思ってしまって、それでまた怖くなって。 早苗ちゃんが来てからは安心してそんなことなかったんですけどね」

 苦笑する彼方。 遠くのほうで早苗で若干照れながら顔を隠す。

「あれって神奈子さんだったんですね。 ほんと、ありがとうございます。 あの時、そばにいてくれたのが神奈子さんでよかったです。 あのとき、頭を撫でてくれたのが神奈子さんで嬉しかったです。 強くて優しくて気高い、そんなあなたに言いたいことがあります」

 そこで初めて、神奈子が反応を見せる。 その反応を見て、彼方は大声を上げ、声を張り上げる。

「あなたは言いました! 早苗ちゃんには触れるなと、近づくなと、守矢神社に顔を見せにくるなと!」

 以前来たときに言われた言葉、それがいまでも突き刺さっている、感触として残っている。 それを振り払うように彼方は叫んだ。

「俺がもし神奈子さんに勝ったら──もう一度あっちの世界と同じように此処に出入りしてもいいですか! もう一度、東風谷早苗さんとちゃんとお話ししてもいいですか! 話したいことは沢山あります、幻想郷の皆にも紹介したいです! 自慢の幼馴染を紹介したいです!」

 叫んだ拍子に咳き込む。 ごほごほと危ない咳き込み方をしながら、目だけはまっすぐに神奈子のほうを向いていた。

 神奈子は嬉しそうに笑った。 母性を感じさせるほどの笑みで彼方に微笑んだ。

 そして現れる表現するのも困難な──そんな弾幕たち

「私に勝てたら──な?」

 神符『神が歩かれた御神渡り』

 言葉には出さない神奈子の試練であった。

 神が渡り歩いたこの道を、人間ごときに渡れるだろうか。

 四肢に力を込め、最後の疾走を開始する。

 人間が神の領域へと再度踏み込みに地獄の道を渡っていく。

 肩に弾幕が当たり、のけ反りそうになるのを必死に抵抗する。

 足に弾幕が当たり、倒れこみそうになるのを気力で捻じ伏せる。

 腹に弾幕が当たり、吐きそうになるのを強引に飲み込む。

 一歩一歩、ただ前に進んでいく。

 展開した翼の羽の一本が無残にも折れる。 続けて、二本・三本と折れていく。 折れるに従って彼方のスピードも落ちていく。 それでも歩みだけは止めなかった。

 ゴッと頭に弾幕が直撃し、額から血が流れ出る。 脳が揺さぶられ、自然と体が後ろに倒れこみそうになる。

 その瞬間、二人の女の子の声が聞こえた。

 まだやれる。 こんなところで倒れちゃいけない。

 信念が彼方の体を繋ぎとめた。 装飾銃を持つ手に力が入ってこない。 だらりと下げられた手、されど掴むことだけは忘れない装飾銃。 何度も助けてくれた父の形見。

 彼方の頭上に、御柱の大雨が降ってきた。 貫くように、串刺しにするかのように冷酷に残酷に降り続く雨に誰もが目を疑った。 ある者は目を背け、ある者は記憶に残し、ある者は信じて待ち、八坂神奈子は生存確認を行うために近づいた。

 死にはしない。

 そんな言葉を言えるほど、現場は楽観できる状態ではなかった。

 カツカツカツ……、と、近づいた神奈子は土煙で見えない現場に向かって大きく横にないだ。 ──否、なごうとした。

「──!?」

 土煙の空間から、突如男の手が伸びてきて神奈子の腕を掴んだのだ。 血まみれの手で、しかしガッシリと掴みあげたのだ。

 腕に力を入れ、男の体が這い出てくる。 ポスっ、と体が神奈子と密着する。 膝は震え、呼吸も浅く、いまにも倒れそうな状態であるのにもかかわらず、男は神奈子に宣言する。 胸倉を掴みながら言い切る。

「まだだ……、まだ負けてない……! 俺はまだまだ戦えますよ……? どうしたんですか神奈子さん……? 戦いましょうよ、次のスペルカードを使いましょうよ……。 それとも、今度は俺のスペルカードを受けるんですか? ちょっとまっててください、ここにありますから……」

 ポケットをまさぐる男は、いくら探してもないことに気づき笑う。

「ははっ、どうやら落としたみたいです……。 けど大丈夫です、スペルカードがなくとも、俺は十分戦えますから……。 だから、戦いましょう……」

 掴んでいた手を離し、装飾銃を神奈子へと向ける。 その途中で、手からは装飾銃が滑り落ち乾いた音を辺りに響かせる。 それに男は気づかないまま、神奈子へとトリガーを引いた。

 当然、神奈子に攻撃が届くはずもなく、当たるはずもないのだが、男はそれでもトリガーを引き続ける。 空想のトリガーを必死に引く。

「あれ……? おかしいなぁ、流石神奈子さんだ……。 俺の弾幕が通用しない……。 弾幕が通じないなら……格闘で……」

 ひょろひょろとしたパンチを神奈子にぶつける。 神奈子は逃げもせず、避けもせず、防御もせず、ただただその場で男の攻撃を受け続ける。

 誰も止めることが出来なかった。

 否、誰がこの男の行動を止めることができるだろうか。

 ぽす……ぽす……、そんな音が聞こえてくる。

 10秒 20秒 30秒 40秒 50秒 60秒

 男はがむしゃらに拳を振るった。

 やがて男の拳が止まる。

 膝は完全に支える力をなくし、男は無残にも地に倒れこもうとした。

「まいったな……、めちゃくちゃ格好悪いじゃん……」

 そう言い残して、男は意識を失い倒れこむ──が、それを三人の女が阻止した。

「お疲れ様、彼方。 いい道、見つけたじゃないの」

「彼方、ナイスガッツ。 私、そういうの嫌いじゃないぞ」

 左の肩を掴む霊夢と、その反対側を掴む魔理沙が男に向かって労いの言葉をかけた。

 そして最後の一人、後ろからがっしりと男に抱きつく早苗は涙を流しながら声をかける。

「もし……守屋神社にこれなくても、私が彼方ちゃんの所に会いに行きます……!」

 聞こえていないとわかっていても、早苗はこの言葉をしっかりと伝える。 そしてきっと、男が意識を取り戻してから、再度伝えることだろう。

 霊夢が肩から手を離し、神奈子のほうへと向き直る。

「こいつの想いに免じて、地に伏させることだけは勘弁願うわ。 さて、私はいつでも大丈夫だけど──どうする?」

 臨戦態勢に入った霊夢が話しかける──が、神奈子は首を横に振り御柱を消した。

 そして男のほうをみて、霊夢に話す。

「いや、今回の勝負……私の負けだ。 最後の拳、生まれてから一度も受けたことがないほどの想いの込められた拳に、私は完全に負けを認めよう」

 男に一歩詰め寄り、頭を撫でながら語りかける。

「どうやら、私はまだまだ過小評価していたようだ。 いい男になったな、彼方」

 想いのこもった弾丸が神に届いた瞬間であった。

          ☆

「賭けは私の勝ちになりますね、龍神様」

 八雲紫は口元を隠していた扇子を閉じ、横にいる可愛らしい女の子に話しかける。

「まったく、彼があんな行動をとるなんて思わなかったよ。 とんだ大誤算だ。 あーぁ、親友にも見放されて、また僕はどうやら一人ぼっちになったみたいだね。 ただまぁ、一番驚いたことは彼方クンのあの根性だね。 主人公級の活躍だったよ。 まぁ、例え話なんだけどね」

 ナイスガッツだぜ、彼方クン

 そう小さく新宮は呟いた。

「だが、これで大きな問題が出てきたのも確かだね。 どうするつもりかな? 想い神を野放しにしとくほど、幻想郷の管理人も落ちぶれてないだろ?」

「……決めるのは彼です」

「そうかい、それじゃ僕は僕のやり方で今度も行動を起こすことにするよ」

 新宮は背を向けて去っていく。

「キミの頑張りに素直に賞賛を送るよ。 まったく……男って嫌だね、女の子の予想を遥かに超える行動を起こしてくれるんだから」

 クスリと楽しそうに笑って、今度こそ新宮は消えていった。

 紫はそれに一瞥もすることなく、彼方をずっと見つめた。

「……いまはよく頑張ったと褒めるべきかしらね」

 やれやれ、とでもいったように頭を振って八雲紫はスキマで守矢神社に移動するのであった。




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