外伝A〜氷上の嬢王と鬼火〜
見渡すかぎり一面が木々に支配されている場所で一人の青年と少女が口論をしていた。
青年のほうは、黒髪に赤い髪が混じっており、目は挑発的というか、ほんの少し病んでるような、射に構えたような目をしており、どこか取っつき難そうな雰囲気を醸し出しており、対する少女のほうは流れるような金髪に透きとおるような白い肌、ふわふわした服にお姫様を守るかのように太陽と少女を遮る日傘、それでいて妖艶かつ甘美な雰囲気を醸し出す。 そんな二人が口論していた。 正確にいうならば、少女のほうが一方的に怒っているようだ。
「だから昨日の晩何処に行ってたのか聞いているでしょう? なんでそんなことも忘れるのっ!? 鬼火の頭の容量は昨日の晩に自分が何をしたかも忘れるほどの容量なの?」
「『そもそもなんで俺がアンタにわざわざ行動を逐一報告しないといけないんだ? アンタにはそれを知る義務でもあるのかい?』」
「あなたは私が面倒をみることになったのよ? それを知るのは当然じゃない。 ましてや貴方は最弱の存在。 その貴方を匿うのだから本来ならば感謝されるべきよね」
「『ふむ……しかしながらそれはそちらが勝手に決めたことだろう。 俺は匿ってほしいなんて一言も言っちゃいないさ』」
ああいえばこういうとはこのことである。 金髪の少女、八雲紫は震える拳をぐっと力で抑え込み、なんとか笑顔を浮かべる。
「(落ち着いて……この男はこういう男よ。 紫、耐え忍ぶのよ)」
そんな紫の心境など露知らず、青年はさっさと何処かへ歩き始めた。
「ちょ、ちょっと何処行くのよ?」
声を張り上げ、怒った口調で呼びとめる紫に青年は紫のほうなど一瞥もくれずに歩き去った。
「『面白い人物に会ってくる』」
そう言い残して。
追うことを諦め、青年の────不知火の背中を黙って見つめながら紫は、大きく長い溜息を吐いた。 なんで私はこんな男を保護しようと思ったのだろうか……とあの時の自分を叱りたい気持ちを押さえながら。
▽ ▽ ▽ ▽
────回想────
自分のことを最弱だと名乗った青年は、そのまま紫に一つだけ質問をした。
「『お譲さん、龍の神を知らないかい? 詳しくは居場所なんだけどさ』」
「龍の神……? もしかして龍神様のことかしら? だとしたら居場所を私は知らないわ。 そもそも滅多に姿なんて見せないわよ」
そう答える紫に、不知火はあからさまに落胆したような顔をして、小さくぼやいた。
「『まったく……呼びだした後は放置プレイかい。 することがサディスティックだねぇ。 おもわず燃やしたくなるよ』」
しかしながらそれも一瞬の出来事で、不知火はすぐさま足を先程行こうとしていた方向に向けた。
「『時間を取らせて悪かったな、お嬢ちゃん』」
そう言って不知火は紫のほうを見ずに歩き去ろうとする。
「まちなさい」
が。 しかしそれは紫が腕を掴んだことによって実現することはなかった。 腕を掴まれた不知火は一度強制的に止まり、ゆっくりと振り向く。 紫はそんな不知火に対し
「あなた、どこへ行くきかしら? そこから先はオススメしないわよ。 鬼のテリトリーですから」
キツイ眼差しで止めた。
“鬼”────それは妖怪の種族の中で最強を地でいく存在。 嘘が大嫌いな存在。 八雲紫ですら能力がないと倒されてしまうかもしれない。 ましてや目の前にいる男は自分よりも遥か下に位置する力の持ち主である。 自分がここで止めなければこの男は“鬼”のテリトリーにはいり殺されてしまうだろう。 それはいくらなんでも後味が悪い。 月に攻め込み同胞の死を沢山みたいまの自分には、ここで彼を見送るという選択肢はない。
そう思う紫であったが、目の前の男は若干口角を釣り上げ、自分が行こうとしている道、そしてその道を遥か登った所にそびえ立っている山。 すなわち“鬼”と“天狗”が住んでいるであろう場所を見つめる。
「『へー……あの種族最強の鬼があそこの山にねぇ』」
「ええそうよ。 他にも天狗だっているんだから、貴方には危険な地帯であることには違いないでしょ」
腕を掴みながら不知火に言い聞かせようとする紫。
「『たしかに危険だな。 ……けど俺のような存在から言わせてもらえば、何処にいても危険な場所であることにかわりないよ。 まぁ……スキマ妖怪様にはわからないと思うけどね。 強者の気持ちが弱者にわからないように、弱者の気持ちもまた強者にわかるはずがない。 まったく、嫌な世の中だことで』」
やれやれと頭を振りながら不知火は、オーバーリアクション気味に言う。 そんな様子をみて紫は反論する。
「そんなことないわ。 現に私には貴方の気持ちがわかるもの」
そんな紫に一言に、不知火は眉を顰める。 顰めてから、紫の正面を向き試すような口ぶりで挑発するように笑いながら話す
「『それは愉快な頭をお持ちだこと。 だったらいまの俺の気持ちというものを教えてくれないかい?』」
その言葉を聞いて、紫はニヤリと笑い不知火と話していたときに閉じていた扇子を、勢いよく開き、そのまま不知火が立っている場所を空中で横に裂いた。 その一連の行動を黙って見ていた不知火であったが、次の瞬間にはその場から消えていた。 正確に言うならば、八雲紫が開いたスキマの中へと落ちていった。
☆
突如やってきた浮遊感に、驚く時間も疑問に思う時間すらないまま飲みこまれ、数秒もしないうちに吐き出された。 辺りを見渡すと、木のテーブルや畳があるので、どうやら家のようだ。 それに誰かが現在進行形で生活をしているようで、そこかしこから生活臭がする。
いきなりなんなんだ?
そう思った不知火に、答えるように目の前にスキマが開き中から紫が出てきた。
「どうかしら? 私なりに貴方の気持ちをくみ取ったのだけど」
「『どこをどう汲み取ったのか教えてほしいものだな』」
その言葉を聞いて、待っていましたといわんばかりに紫は扇子を突き付けて言った。
「あなた、住む家がなくて困ってるでしょ? 特別に妖怪の賢者である八雲紫の家で匿ってあげる」
悪戯兎がいたずらを企てているときのような笑みで、楽しそうな笑みで、優しそうな笑みで紫は不知火に手を差し出しながら言う。
そんな紫に不知火は呆然とし、一拍して差し出された手を無視してそっぽを向きながら、なにかを諦めたような顔で言った。
「『アンタは俺の嫌いなタイプだよ。 勝手にしてくれ』」
────回想終了────
☆
それから私は、彼を家に置くことを藍に伝え、藍も最初は眉をひそめたものの流石に追い出すようなことはせず最終的には了承した。 その日はそれだけで終わるはずだったのだが、私は彼のことを見誤ったらしく、彼は夜中に気配を隠すような真似は一切せずに堂々と玄関から外へくりだした。 妖怪の本来の活動時間は夜である。 そのことを考えると彼の行動はべつにおかしくはなく、私も追うようなことはしなかった。 というか、私だって眠いのだから自分の体に鞭打ってでも追うようなことでもないだろうと思った。 そして2時間くらい経った頃だろうか……。 ふと気配を感じて寝惚け眼をこすりながら、その気配のしたほうに視線を向けると服全体に血をつけた状態の彼が何食わぬ顔で自分に宛がわれた部屋へと帰って行くのを発見した。 私はその場で彼を捕まえて何処に行ってたのか、何をしてたのか、聞こうと思ったのだが夜も遅いし、なにより自分が睡魔に勝てなかったので昨晩は何も聞かずに今日になってまたもや一人で出かけようとしていた彼を捕まえて、尋問をしていたのだが……結果は燦々たるものだった。 まず彼は自分が何をしていたのか絶対に話そうとしない。 朝食の時間にもそれとなく聞いてみたのだが、『|アンタには関係ないだろ。』 『しつこい女は嫌われるぞ』と、だんまりどころか挑発してくる始末。 そんな彼に藍も鋭い目線を向けるわけだが、その視線さえもどこ吹く風で自分に与えられた物を食すのみ。 そのあまりの態度っぷりに卵かけご飯用の卵を投げつけたほどだ。 当たらなかったが。
「ここに居られましたか紫様。 探しましたよ」
「あら、藍。 どうしたの?」
「ええ、すこしばかし面倒なことがありまして……」
藍は申し訳なさそうな顔をいて紫を見る。 ここに妖怪の楽園を作るにあたってかれこれ“面倒”なことを100回以上も経験し、解決してきた。 妖怪というものは“我”が強いものであまり協力というものをしようとしない。 これは力が強い者ほどその傾向にあるみたいだ。 その最たるものが花の妖怪であり、ひまわり畑をテリトリーとしている風見幽香である。 まぁ……彼女にそういうものを求めること自体が無理難題であるので、このさい置いておこう。 いまはそれよりも、藍がいう“面倒なこと”がどういったものなのかを聞くことのほうが大切だろう。
「その面倒なこととは、何かしら?」
「はい。 紫様は氷上の嬢王を知っていますか? 氷帝とも呼ばれているそうですが」
「氷上の嬢王? 氷帝? 随分と大層な名前ね。 そんな名前なら私の耳にも届くと思うのだけれど……残念なことに私は知らないわよ。 それで、その氷帝がどうかしたの?」
「はい。 その氷帝を名乗る者は妖精なのですが……。 どうもこの妖精、突然変異のようなものでして、妖精としては破格の力を持ちその力で暴れているようなのです」
「随分困った妖精ねぇ……」
口でこそ軽く言っているものの、内心紫も驚いている。 妖精は自然現象が具現化したものである。 元々、弱小の存在であり、人間より弱い存在だと言われている。 小さいものは手の平におさまるくらいで大きくとも人間の幼子ほどだ。 その妖精が突然変異で、しかも妖怪と張り合おうなんて……。
「妖精は自然のようなものですから、殺されてもすぐに復活するでしょう。 それにいくらその妖精が強くとも流石に妖怪に勝てるとは思わないわ。 それよりこれから天魔の元へ行くのだけれど、藍もくるかしら?」
「はい」
そう結論付けて紫はこれからの話しあいをしに、天魔が住んでいる妖怪の山へのスキマを開いた。
▽ ▽ ▽ ▽
紫たちのいる場所よりずっと東の湖にその者はいた。 透きとおる氷の羽は天使を彷彿とさせ、青色の腰まで届く長い髪は同じく可愛らしい青色のリボンで結わえられており、その眼光は鋭く冷徹で、その眼光で睨まれた者は氷漬けにされたかのように動くことができなくなってしまうだろう。
「そこにいる者、出てきたらどうだ?」
「『べつに隠れていたわけじゃないのだけどな。 ご機嫌はどうだい?』」
「たったいま気分が最悪になったところだ。 昨晩あれだけ氷の槍に貫かれたというのに、よくくるものだな。 それとも、作晩の記憶を既に失くしてしまったのか?」
「『……つい先程、同じようなことを言われたよ』」
茂みから詫びることなく現れた不知火は、丁度いい具合の石に腰かけその者を見る。
「ほう……。 その者とは相性がいいかもしれぬな」
「『やめといたほうがいいよ。 あれはなにを考えてるか分からないから』」
親切心で止める不知火に、何が可笑しいのかその者はいきなり笑いだし、あまりに笑うものだから目には涙を溜めるほどであった。
「くくっ……。 そなたほど何を考えているのか分からない者はいないであろうに。 そんなそなたを、何を考えているのか分からないかと言わしめる人物か……。 益々興味がわいてきた」
「『行き過ぎた興味は時として身を滅ぼすこともあるってことを覚えておくことだな』」
「ほう……まるで実体験を元に話しているみたいだな」
女性は笑うことを止め、氷上から不知火が座っている石へと歩く。
「『べつに』」
自分の目の前まで来た女性と目を合わせないようにしながら、不知火は吐き捨てるように言った。
「ふん……まぁ、いいだろう。 それで? 此処へは何用で来た。 また無様に貫かれにきたわけではなかろう」
いやらしい笑みを浮かべながら不知火に挑発的な眼差しを向ける。 そんな目で見られながらも、不知火は至って普通に自分がきた要件を喋り出した。
「『昨日殺し合いをしてわかったけど、あんた強いな。妖精としてのその強さで、どこまでいけるのか興味がわいてきてな』」
「なんだ……そんなことか」
「『ん? そんなことって……随分楽しくなさそうだな』」
「当たり前であろうに。 このような力が何になるというのか」
妖精にしては破格な力をもったこの女性は、この力を異様に毛嫌いしていた。 歩けば力によって歩いたきた道のりが凍り、腕を振るえば結晶となり、その身に近づく者は皆、絶対零度の寒さゆえに凍ってしまう。 そのような力を女性は嫌っていた。 そんな力、自分は一言もほしいと願ったことはない。 そしてその力だけが独り歩きをし、変な異名を持つことになった。
「私は他の妖精と同じようにただ遊びたいだけだったよ。 まぁ、いまじゃ皆私を恐れ近づく者はいないが。 そしてそれは変わることがないだろう。 この力があるかぎりな」
女性は先程とは打って変わった様子で、しんみりしながら話した。 そんな様子を不知火はどこかつまらなそうに、白けた目で見ていた。
「『つまんねえな。 ガッカリだ』」
唐突に、ほんとうにつまらなそうに不知火は女性は見る。 さっきまどの興味はいまや微塵も存在していないだろう。
「『自分には過ぎた力だからいらないか。 あーあ、さっきまでの興味が失せた。 もういいよ』」
そう言って立ち上がる不知火。 自分よりもほんの少しだけ背の低い彼女を見下げながら、おもむろに手をかざし手の平に十徳ナイフくらいの大きさのナイフを出現させると、そのナイフで彼女の胴体をなんの躊躇いもなく切り裂いた。
「……なっ!?」
いきなりの行動に困惑する彼女。 しかしもっと困惑することが起こった。
「『あんたにゃその姿がお似合いさ』」
そう言ってくる不知火と自分との身長差が明らかにおかしいのである。 それこそまさに、人間の幼子くらいの大きさしかないくらいに。
「え……? ってなにこれっ!? 身長が縮んでる? アタイどうなって────あれ? アタイってなにアタイって!?」
不知火そっちのけで喚きだす彼女。 先程まで彼女の周りにあった氷は既に溶けかけていて、彼女の周りにいてもひんやりする程度にしか感じなかった。
「『精々その姿と、その程度の力で頑張ることだな。 …………いつの日か、アンタと一緒に行動してくれるもの好きが現れるかもしれないけどな』」
背を向けて去ろうとする不知火を彼女は呼びとめる。
「あんたって、ほっっんと素直じゃないんだね。 アタイそういうの大嫌い」
「『嫌われるのには慣れてるさ。褒め言葉として受け取っておくよ』」
「ふ〜ん……。 それじゃアタイあんたのこと大好き」
不知火の足が止まる。
「なんてね。 冗談に決まってるじゃん。 ばーか」
「『それはよかった。 その単語が死ぬほど嫌いでね。 あやうく昇天するところだったよ。 それじゃあな、氷精さん』」
軽く手を上げ、不知火は去っていった。
☆
「おい、確かこっちのはずだよな?」
「ああ、そうに違いねえ。 ったく……妖精ごときが好き勝手暴れやがって……!」
「けどよー。 本当にやるのか? ちょっと可哀想じゃないか?」
三匹の妖怪が、そんなことをいいながら森を歩いていた。 牛の皮を体に纏っている牛打ち坊と呼ばれる、牛や馬をもっている猛毒で殺してしまう妖怪である。 そんな三人は、あーだこーだ言い合いながらも、真っ直ぐに湖がある場所へと足を進めていた。 そんなとき、いま彼らが向かおうとしている場所の方角から、青年が一人歩いてきた。
「おいあんちゃん。 ちょっと聞きてえことがあるんだけどよ。 この先に妖精のくせに俺らと変わらないほどの力を持った妖精がいるらしいんだが、見たことあるかい?」
「『さあ? 悪いがみてないね。ちなみにアンタ達が向かおうとしている場所には、ちょっとだけ力が強い氷精しかいないぜ。そもそも聞き間違いじゃないのかい? そんな強い妖精がいると本気で思うかい?』」
「う〜ん……。 言われてみれば確かにな〜……」
「ほら、やっぱ嘘だったんじゃないか?」
「まぁ、普通に考えたらおかしいよな」
青年の言葉を聞いた彼らは、そんなことあるわけないか……。と言い残していま来た道を戻っていく。
「『べつに威厳とかまで消したわけじゃないけどね……。 やっぱこれを扱うのは難しいな。 身の丈に似合わない力だ。 まぁ、できるといいな。 そばにいるだけで安心する存在が』」
誰もいない空間が不知火は小さく、ほんとうに小さく呟いた。