外伝C〜『』つけない言葉〜



 ある晴れた日、朝餉を済ました不知火が、家を出ようとしているところに八雲紫から話があると声をかけられた。 

「『いったいなんのようだい?』」

「穀潰しの貴方におつかいを頼もうと思ってね」

「『へえ……。 いったい何処まで?』」

 穀潰しと言われも怒ることもせずにいるが、もしかしたら不知火も若干そう思っているのかもしれない。

 そんな穀潰しの不知火を見ながら、紫は一つの場所の名前を告げた。

「妖怪の山。 これから知人の所に向かうから、貴方には天魔と鬼宛ての手紙を渡してきてほしいの。 といっても、渡すのは天魔だけで充分よ。 その中に二つとも手紙が入ってるから」

「『あくまで鬼と合わせないってわけか。 悲しいねえ、家族の信用すら得られないとは』」

「感謝こそされど、非難されるいわれはないわね。 こちらとしては、貴方が傷つかないようにしているのだから。 ……それにしても意外ね。 あなたの口から“家族”なんて単語が飛び出してくるなんて」

 此処に来てからから、此処に住みついてから一カ月が経とうとしていたが彼は私達のことを決して名前では呼ぼうとしなかった。 私のことはスキマ。 藍のことは九尾……と。 既にその呼び方に慣れていた私達であったが、そんな彼から例え嘘だとしても“家族”という単語を聞くことができたなんてね。 ふと隣を見ると、藍もいまの彼の発言に気付いたのか私のほうを向いて微笑んでいた。

 不知火はいまさらながら自分が発言してしまったことに驚き

「『……いまのは“ナシ”だ』」

 そう言って家を出て行った。

 それはほんの小さな変化かもしれない。

 だが、そんな小さな変化でもこの二人には、とてつもなく大きな変化に感じ、とても嬉しく思った。

      ☆

「『“家族”なんて馬鹿馬鹿しい。 自分の発言を消したくなったのは、生まれてはじめてだよ』」

 妖怪の山へと続く道を歩きながら、不知火は先程のことを思い出す。 いま思い出しても寒気がするほどの、愚かな発言であった。 不知火の中ではそう思っていた。

「カッコつけ野郎さん。 何処へ行くのかしら?」

 その声が聞こえてきたとき、不知火はまたか……。 と半ばうんざりしながら声の主を無視した。 

「無視するなんていい度胸ね。 それともその衰えた耳では私の可愛らしい声が聞こえてこないのかしら」

「『それを自信過剰と言うんだよ|鴉。《しゃめいまる》 丁度いい所に来た。 天魔の所まで案内しろ』」

 当たり前のように自分の傍に来ている、鴉天狗の射命丸文にデコピンを食らわしながら言う。 射命丸はというと、頭に疑問符を浮かべながら何故案内が必要なのかと問うた。

「『スキマ様が天魔と鬼の大将に向けて手紙を書いたらしくてな。それの雑用だよ』」

「ふ〜ん……らしくないですね」

 まったくだ。 自分でもそう思う。 

「まぁ、案内くらいならしてあげてもいいですよ。 射命丸文さま、ありがとうございます。 一生わたくしを下僕として使ってください。 と言うのであれば」

「『やっぱり自分で探すことにしよう。 それじゃあな|鴉《しゃめいまる》』」

 ひらひらと手を振りながら続く道を歩き始める不知火に文は、すかさず追いつき

「冗談ですよ、冗談。 いくら私でもそこまで意地悪じゃありませんよ。 案内くらいならしてあげますって」

 決して冗談には見えなかったのだが、射命丸文からすれば先程の言動は冗談だったらしくからからと笑いながら不知火よりも前を歩き、先導するのであった。

      ☆

 射命丸文を先頭に歩き始めること、10分。 目の前には他の山よりもひと際大きい山が広がっていた。 射命丸いわく、此処が妖怪の山らしい。 

「此処には鬼がいますので、くれぐれも私とはぐれることのない様に。 一応使者として天魔様にお会いするのですから、何かあった場合には私が怒られてしまいますので。 言っておきますが、くれぐれも喧嘩など吹っ掛けることがないようにお願いしますね」

 口酸っぱく、耳にたこができるほど言われている台詞である。 

 妖怪の山には鬼と天狗が住んでおり、鬼は天狗の上司にあたる存在である。 

「『なるべく努力はするよ。 なるべくな』」

 この人は本当にわかっているのだろうか、鬼の怖さを。 強さを。 射命丸は疑問に思う。 もし……もし目の前にいる男が鬼の怖さを知っていながら鬼に挑もうというのであれば、それは只の自殺行為でしかない。 そもそも、何故そこまで鬼に拘る? 鬼との深い因縁でもあるのだろうか? しかし、もしあったとしても自分には関係ないことだ。 ハッキリ言って私が鬼に会いたくない。 そして今回ばかりは彼も使者として来ているので、天魔さまに送り届けなくてはならないのだ。

「(私が鬼に会わないようなルートでいけばいいのですけどね。 これに関しましてはそこそこ自信はありますし。 個人的に会うのが嫌なので)」

 そう結論づけて、射命丸は不知火の名を呼ぼうとした────が、それよりも早く誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

「鴉天狗じゃないか。 こんな所でなにしてるんだい?」

 その瞬間、射命丸の体毛という体毛が逆立ち、一瞬にして冷や汗が流れてきた。

「ん? どうしたんだい?」

「勇儀がいきなり声をかけるから驚いたんじゃない? 天狗に限らず妖怪は皆そうじゃないか」

 どくんどくん、と鼓動が早鐘を打ち、冷や汗は既に滝として流れ、先程から潤っていた口の中はカラカラに乾き潤いを求めて唾を出そうと躍起になる。

 鬼と遭遇したのだ────

 天魔ほどになると、この場にいる鬼と睨みあっても目を逸らすことはないだろう。 しかしながら、射命丸文は天狗の中ではまだまだ新人の粋を抜け出していない。 これがもっと年を取れば変わってくるのかもしれないが、いまの射命丸文はただただ頑張って作り笑顔を浮かべて鬼たちの機嫌を伺いながら話すことしかできないでいた。

「こ、こんにちは。 勇儀さんに萃香さん。 こ、こここんなところでなにをしているんですか!?」

 反射的に頭を下げながら、上擦った声で聞く射命丸に

「ただの散歩さ。 喧嘩売る奴もいないしね。 どうだい? やるかい?」

「やめときなよ勇儀。 こっちから喧嘩売ったんじゃ、鬼が廃るってもんだよ」

 長身で額に一本角、腰より長い金髪は綺麗に手入れされており、右手に持つ顔と同じくらい大きく赤い杯には並々と酒がつがれている。 その風貌とあわさりどことなく頼れる姉御といったオーラを感じさせてくれるのが星熊勇儀、そしてその横にいる小鬼程度の身長しかなく、左右に大きい二本の角が頭から生えている鬼のほうが伊吹 萃香。 腰には大きな瓢箪をかけている。 一見普通にみえるかもしれないがこの二人、鬼の中でも巨大な力を持っており、四天王とさえ言われている。

 そんな二人のかけあいを、ぎこちない笑みを浮かべて射命丸はただただ愛想笑いをするしかなかった。

「そ、そんな、勇儀さんと萃香さんに挑もうなんてもの好きいるはずないじゃないですかっ! い、いやだなぁもう」

 ここで射命丸文は重大なミスを犯してしまった。 もし此処で星熊勇儀、伊吹 萃香に出会ってのが自分だけだとするならばこの場は丸く収まったのだろう。 元に鬼達は自分達からは喧嘩を売らないと明言したのだから。 しかし、残念ながら此処にはもう一人存在していた。 同じ“鬼”の字を持つ妖怪が。

「『なるほど。 鬼とは自ら仕掛けないのか。 ますますもって嫌な奴だよ』」

 その声が聞こえてきた瞬間、射命丸は自分が犯した重大なミスに気が付きその者を止めようとした────が、時すでに遅し。 彼は勇儀の目の前にいた。 あろうことかこんな言葉を吐きながら。

「『あんたのほうが、そっちより面白そうだ……!』」

 いうがはやいが、不知火は勇儀に向かって腕を振る。

「おっとっ……。 なんだいなんだい、威勢のいいのがいるじゃないか。 ────でも、あんたじゃ力不足すぎるよ」

 顔面に向かって腕を振った不知火の攻撃を、焦ることなく避けながら勇儀は不知火が伸ばした腕を蹴る。 パキッと嫌な音をたてながら不知火の腕は曲がることのない方向へと思いっきり曲がり、その蹴りの衝撃はそれだけにとどまることなく思いっきり後方へと吹っ飛ばした。

「なんだい、いきなり突っかかってくるからそれなりに強いのかと思ったのにとんだ期待はずれじゃないか……」

 落胆を隠そうともせずに、すこし興ざめしたように吹き飛ばした者を見つめる勇儀。

「『鬼は力が強いと聞いていたが……。 なんだ、腕一本しかとることができないのかい?』」

 吹き飛ばされ、木々を道連れにしながら不知火は肩をすくめて挑発する。 腕を折られといて何を言うのだ……。 そんな気持ちが勇儀の中には湧き上がってくる。

「なら次は全身を吹き飛ばしてやろうかい?」

「『面白い……!』」

 足に自分が込めることのできる精いっぱいの力を込め踏み出し、右足で地面を掘りそのまま眼つぶしの容量で抉った土をかける。

「あっ! 杯に土がはいるじゃないかっ!」

「『そんなことしらないよ。 丁度いい、その頭をカチ割りアンタの脳を抉りだし、そこから出た液体をその杯に注いでやるさ……!』」

 杯に土が入ったことなど気にもとめず不知火はそのまま左足で地面を蹴り空中へ飛ぶとその落下の勢いを利用しての一回転するさいに勇儀の後頭部めがけて踵を振り落とす────が、その足はなんなく勇儀が片手で捕え力任せに地面へと叩き落とした。 それだけでは終わらない。 勇儀はそのまま不知火を真上に放り投げ、こんどは力を込めた様子もなくサッカーボウルを適当に蹴るように不知火を蹴る。その蹴りは綺麗にみぞに的中し空へ羽ばたく鳥のようにきりもみしながら飛んでった。

 その様子をそばで見ていた射命丸は言葉を発することさえできずに、鬼による蹂躙を黙ってみることしかできなかった。 だからといって誰がこの少女を責めることができるだろうか? そもそも鬼に喧嘩を売ったのは不知火のほうであり、勇儀はただ売られた喧嘩を買っただけである。 まさに自業自得である。

「『う……がはっ……!』」

 勇儀より5m離れた所で胸に手を当てながら思いっきりえづく。 ぼちゃ……ぼちゃ……と朝に食べたものが口から垂れてきてそれは瞬く間に周囲に広がっていく。 それに混じるような形で血まで出始めた。 

 はあ……はあ……。 と、荒い息をたてながら勇儀を睨む。 射命丸と同じくそばでみていた萃香はため息とともに声をかけた。

「そのくらいでいいんじゃない、勇儀。 それ以上したら喧嘩でもなんでもなく、ただの蹂躙になっちゃうよ。 蹂躙をして相手を完膚無きまでに叩きのめすのは弱者がすることだよ。 二度と歯向かってこないように、自分が上なんだと分からせるように。 予防線を張るように。 そんなこと、私達はしないだろ?   さっ!そのへんにして、さっさと帰って秘蔵のお酒でも飲まないかい?」

 言いながら近づいていき、勇儀の背中を叩いたのちいまだ立つことさえままならぬ弱者のほうを見やる。

「あんたもほどほどにしときな。 あんた、噂の妖怪だろ? ちゃんと私達の間にも伝わっているよ。 命知らずの妖怪がいるってさ。 それを聞いたときは本気で思ったよ。 楽しめそうな妖怪がいるなと。 此処の妖怪達はあまり私達と闘おうなんて思わないからさ。 期待してたんだけど……正直、期待はずれもいいところだよ。 ハッキリ言って失望したよ。 けど……その心意気だけは惜しみない拍手を送るさ。 もっと強くなってから出直してきな」

「そうだね……、この私相手によくやったさ。 この次はせめて持っている杯を落とせるくらいにはがんばりな。 再戦できるのを楽しみにしてるよ」

 そうして二人は歩き去る。 

 それはただただ黙って見送ることしか不知火には出来なかった。 

「……無様な姿ですね。 あれだけ豪語しておきながらその体たらく。 滑稽ですよ」

 鬼によって折られた腕はひじ関節が曲がらない方向に垂直まで曲がっており、吐瀉物を吐きだした口はだらしなく半開きの状態である。 それはさながら、人形劇で使う人形のように滑稽な様であったのだろう。

「……喋る気力すらありませんか」

 ふと文は思った。 何故彼はあそこまで鬼に固執したのだろうと。 普通に考えても勝てる見込みなんて皆無のはずなのに。 

「一点だけ、伺ってもよろしいでしょうか? 何故あそこまで鬼に固執するのですか?」

 どうせ答えは返ってこないだろうと思いながらした質問は、小さな声量を伴って返ってきた。

「嫌いなんだよな……あいつらが。 …………嘘をつくことなく正直者な鬼が憎くて羨ましい 比類なき力をもっているのにその力で好き勝手にせず、真珠のような輝きを放つプライドをもっているのが憎くて羨ましい 俺のような者にでも惜しみない拍手を送ることのできる優しさをもっている鬼が憎くて羨ましい……! そんな奴らに、そんな奴らだからこそ、俺は勝ちたい……!! 能力なんて使わずに、正々堂々と! “おめでとう”の言葉なんかいらない! “よくやった”なんて気休めはいらない!  醜く、泥臭く、地べたを這いずりながら……、足に喰らいつき、喉に食らいつき、四肢千切れることがあろうとも! 生まれながらに力を持った鬼に、綺麗なプライドをもった鬼に、正直者の鬼に! 嘘をつくことでしか、括弧つけることでしか、自分を作ることができないけれど、それでも、だからこそ、勝ちたい! 哂われてもいい! 命知らずだと嘲笑されてもいい! お情けじゃなく、誰がみても勝ちだとわかるように、あいつらの角を叩き折りたい! ただただ、何もかもが正反対のあいつらに勝ちたい!」

 それは嫉妬からくるものであった。 子供ように喚き散らし、自分が持っていないものを欲しがるように。 彼は自分を偽るためである括弧をつけることさえ忘れて、無我夢中で叫んでいた。 正直、何を言ってるのか分からなかった────が、これだけは確認することができた。 いま、目より流れる涙の雫は嘘偽りなどない本当の涙だということだけは確認できた。 だが、どんな言葉を述べようがどんな想いが詰まっていようが答えはかわらない。 鬼火である彼が、鬼である勇儀達に勝つことなどできるわけがないだろう。 そんな答えがわかっていながらも、彼は溢れ出る涙を袖で拭い、足に力を込めて立ち上がった。

「……もういっかい……! もういっかい……!!」

 折れた腕をかばうこともせず、彼は真っ直ぐに鬼が立ち去った方向へ歩いていく。

「ほんと、カッコつけ野郎なんですね。あなたって」

 歩く不知火の背中を見つめながら、射命丸はひとりでに呟く

「これから私、嘘をつきますのでよく聞いておいてください。 『あなたが勝てるなんて思ってもいませんので、無様に負けてください。 嘲笑しながらみてますよ』」

 それは射命丸文が送る最大限のエールだった。

      ☆

 二人の鬼が互いに酒を酌みあいながら先程の光景の話をする

「それにしても勇儀。 実際、闘った感想としてはどうだったんだい?」

 赤い杯から零れ出ようとする酒を、一気に喉へと流しながら萃香の質問に答える

「力としては最弱だね。 これまで戦った中で一番の脆さと、素早さだったよ」

 すこしだけ赤い頬を手を添えながら先程戦った男の顔を頭に浮かべる。

 黒い髪の中で火のように存在感を出す赤い髪。 病んだ印象を受ける瞳は、勇儀を捕えて離さなかった。

「まぁ……いつか再戦にくるだろうさ。 そのときはまた相手するよ」

「そうかい。 だったら相手してやんな。 あっちは待ってるよ」

 ニヤリと笑いながら前方を見る萃香に、杯に目を落としていた勇儀は遅れて前方を見て、自分の口元が勝手にニヤけていくのを感じた。

 黒髪にところどころに混じる赤。 病んだ印象を受けるその瞳の奥底に静かな炎を揺らめかせながら、その男は勇儀に問う

「再戦は受け付けるんだよな?」

「ああ、いつでもどこでも。 何度でもね」

「ふっ……。 その優しさと強さが狂おしいほどに憎く、狂おしいほどに羨ましいよッ……!!」

 地面を抉るようにして前へと飛び出す不知火。 折れていないほうの腕には火で作ったナイフを顕現させていた。

「幻に魅せられ────現を抱きながら────塵となり消えるがいい」

 懐にはいった不知火は勇儀の腹を引き裂く。 すると裂いたところから火が燃えだし勇儀の体を襲う

「いいねぇ……!! さっきより全然動きがいいじゃないかッ!」

 引き裂かれた傷は、勇儀からすると針でちょっと刺された程度の痛みであり、ダメージでもなんでもなかった。 逆に勇儀は右拳に力をこめ力任せに振り抜く。 その軌道は丁度不知火の頭にくるように振り抜かれ、あと一秒もしないうちに不知火の頭はザクロのように飛び散ることになる────のだが

 腕に感触はなく、いま殴ったばかりの不知火の体は霞のように消えていく

「姿なき幻に魅了され、実体でも見失ったのかい?」

 声がかかってきたのは後ろから、いままさにその凶器を振り下ろさんとしている不知火であった。

「しゃらくさいねぇッ!!」

 頭を振って、額の角でナイフを受け止めるとそのまま右足を軸にして左足で天を突くような勢いと力強さで蹴りあげんとするが、またもや触れた直後、霞のように消え、今度は自分の目の前に現れ持っていた杯を手で弾き、足で踏み壊した。

「たしか……その杯を落としたらご褒美をくれると言ったかな?」

「ご褒美は、あたしに勝ったらね……!!」

 右足を天高くあげ落下の勢いを味方につけたかかと落としが脳へとはいる。 一瞬にして地面へと濃厚なキスをかわすことになった不知火は骨が軋む音を聞き、ついで折れる音を聞いた。 喉の奥底から湧き上がってくる鉄の味と酸っぱい味を強引に飲み込むと、すぐさま起き上がり靄になり、勇儀の遥か後ろへと現れた。

「面白いねえ、あんた。 それは能力かい?」

「いや、俺の能力は『あらゆるものを作り・あらゆるものを消す』ことさ。 といっても、この能力は借り物だけどね。 そしてあんたが面白いと言ってるコレは、存在自体が希薄になっていき、やがては消滅するので、とある神から止められているのだけど、あんた相手なら惜しくないよ。 不知火とは、手を伸ばせば伸ばすほど遠ざかる。そしてその逆もしかり。 さっきは驚いて捕まったが、もうそんなヘマはしない。 文字通り、燃え尽きるまで全力でその体、塵にして風の中へと舞い踊らそう!」

「そうかいッ!! あんたがそこまでやってくれているのだったら、こっちが手加減するのは失礼に値するねッ!! あたしも全力で相手するよッ!!」

 同時に駆けだす鬼と鬼火

 そのとき、その瞬間だけは世界は彼らの中心に回っていた。

 鬼が蹴り、殴り、刺し、貫こうとするたびに、鬼火がそれをかわし、消え、全ての攻撃を空振りさせる。 かといって鬼も無様にやられている訳ではない。 その自慢の体はひ弱な攻撃を全て跳ねのけ、はじめの攻撃以降、傷がつくことはなかった。

「あんたやるじゃないかッ!! 最高だよッ!!」

「それはどうもッ……!! 殺し合いの最中、そんな言葉をかけてくるアンタは最低だよッ……!! その角をへし折ってやりたいくらいにねッ!」

「そうかいッ! だが、アンタの貧弱で軟弱な攻撃じゃ、この角を折ることなんて夢のまた夢だよッ!!」

 狂ったように嗤いながら、二人は何度も何度も交差する。 

 この二人の殺し合いに終わりはあるのだろか? そんな心配をさせるほど、二人の殺し合いは益々もって加熱していく。

 しかしそんな二人の殺し合いも意外な結末で終わることとなった。

 いままさに、勇儀と不知火が何度目かの衝突としようとしたところで、その二人の間に誰かが割り込んできたかと思うと、勇儀には方には張り手を食らわして、不知火のほうには軽くデコピンを打ち込んだ。

 それだけで、たったそれだけで二人とも大きく後方に吹き飛ばされ、勇儀は控えていた萃香に受け止められ、不知火は大きな翼をもった天狗に抱きとめられた。

「いつまで経っても手紙がこないと思ったら、こんなアホなことやってたのかい……」

「まあまあ、若くていいじゃないですか。 君が不知火くんだね? 私は天魔。 天狗の長をしている者だ。 八雲くんから預かった手紙を君が届ける手はずになっているのに余りにも遅いから心配して探しにきたんだよ」

 天魔と名乗った青年は、優しい笑みを浮かべて抱きかかえたままの状態で不知火に微笑む。 

「どけ。 手紙なら後でくれてやる」

 抱きかかえられた状態から、身をよじって抜け出そうともがきながら天魔を睨む。

「それは出来ない相談だ。 君が優先すべきことは使者としての役割を果たすことだ」

 凛として不知火のほうから視線を決して外さずに、肩に置いている力を少しだけ強くする。 それに一瞬顔をしかめた不知火は降参するかのように、両手を上げた。 天魔はそんな不知火をみて、拘束に近い形で抱いていた不知火を離した。

 懐からボロボロになった手紙を天魔に差しだす。

「ごくろうさま。 うん、ちゃんと読める。 おつかいは果たせたようだね」

「これでいいだろ。 さっさと続きを────」

「ああ、それと。 これ以上山を荒らされても困るから今日のところは帰ってくれないか? 君とてその状態で、妖怪の山の全ての住民を相手にしたくはないだろう?」

 優しい顔で、優しい目で、優しい声色で、天魔は彼を拒絶した。

 使者として妖怪の山へ来たからには使者の役割を果たすのが当たり前である。 そしてその役割は“手紙を渡すこと” 今回は明らかにどちらが悪いのか、ハッキリとしている。 さらには、家で好き勝手なことをしていたのだ。 拒絶されるのは当然であろう。

 沈黙がおりる。

 やがて不知火は深呼吸をすると、小さく呟き、来た道を戻っていった。

            ☆

「優しいじゃないか、天魔。 天狗のお前があのような脆弱な存在をなんのお咎めもなしに帰すなんて」

 先程まで黙ってみていた鬼の大将が天魔に声をかける。

「可愛い仲間たってのお願いだったもので」

 息を切らせて自分の元へやってきた彼女を見た時はビックリしたものだ。 その内容にも驚いたが。

「それで、鬼側からはなにもないのですか? 罰なら私が受けますが」

「いや、なかなか面白いものを見せてもらったし。 此処の管理は私たちだ。 ウチの仲間が派手にやらかしたみたいだしね。 お互い不問といこうじゃないか」

「それはいいアイディアですね」

 それだけいうと、鬼側は勇儀の首根っこを掴み片手を上げて帰って行った。 それに答える形で軽く手を振った天魔は深い深いため息をついた。 彼が最後に漏らした言葉を思い出しながら。

 ────勝ちたかった

 それが小さく呟いた言葉であった。




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