外伝E〜不知火〜
轟音と爆砕音が辺りに響く
緑溢れる木々で囲まれた森は焼け野原のような状態で、その地面にもところどころに5mほどの大きなクレーターがあった。
無邪気で悪戯好きの妖精の大半は死に絶え、わずかばかり残った植物たちも自分の力だけでは移動手段をもつことがないので、焼かれ、踏みつぶされ、引きちぎられ、見るも無残な存在へと変わっていた。
そこはまさに地獄だった。
「まさか、こんな神様がいるなんて……!? 人間の想いとは怖いものね……」
青汁でも飲まされたかのような苦い顔で紫は呟く
それは突然、突如、一瞬にして起こった出来事だった。
ぽかぽかと暖かい空気に包まれていた大和の国の東の奥。 様々な妖怪たちが面白おかしく、時には人間を襲いながら暮らしていたその日に、想い神は現れた。
おぼつかない足取りで、よろよろと。 そんな様子を偶然みていた一匹の妖怪が不思議に思い声をかけたのがはじまりだった。
その妖怪は人間の子供と非常に似ている神様に声をかける
おいおい、そんな足取りで大丈夫か?
と。 その妖怪の声で神様は声がした方向に目を向ける
暗い 暗い 深淵のような目を向ける。 そして、こう口を開く
みつけた。 此処にあった
それは声として発することはなかったが、確かにその妖怪にはそう言っているように口は開いていたという。
口は開けど声はきけず
もしかしたら自分の耳が悪くなったかな? なんてことを思いながら妖怪が神様の口元に耳を近づけた瞬間────
シュッ!と風を切るような音が聞こえてきたかと思うと、一秒後にゆっくりと妖怪の首がずれていき、ゴロンと近くにいた者たちの方に転がっていた。 次いで痙攣しながらおびただしいほどの血を流す胴体が二歩くらい歩いたところで、操り人形の糸が切れたかのように倒れる。
それが皮切りだった
偶然その様子をみていた近くの妖怪がなにかを叫ぶ。 するとその声に反応して想い神はその妖怪に気付き、テレポートのように姿を消した────かと思うと、妖怪の背後に一瞬にして現れその鋭利な爪で喉元を引き裂く。
引き裂かれた妖怪は絶命しその営みを終える。 その妖怪の中から小さな光の玉が出てきて、想い神の胸の中へと吸い込まれた。
想い神の侵略はそれだけに留まらなかった
酔っ払いのように歩き、視界の中に妖怪が入るやいなやその凶悪な力で殺す
爪で 腕で 足で 口で
ただひたすらに殺しまくる
時間にしてわずか一時間
その一時間の間に100匹以上の妖怪が死んだ
穏やかに暮らしていた妖怪も 平和に暮らしていた妖怪も 人間と折り合いをつけながら生活していた妖怪も 人間を喰おうと息まいていた妖怪も 人間を単なる玩具としか見ていなく、殺す道具だと思っていた妖怪も
平等にして均等に、想い神の手によって殺された
たった一匹の妖怪が生き残るために殺された15人の人間が、その怨嗟と憎悪を持って生み出した神様
たった一つの想いを叶えるためにこの世に生み出された神様
それは人間側にしても、妖怪側にしても、神様側にしても、イレギュラーな存在になっていた
☆
紫は事の経緯を思い出すために閉じていた瞼をそっと開ける。 そして今目の前に広がっている惨状を受け止める。 紫の目の前には、まるで子供のような純粋無垢な瞳をした想い神が立っている。 その瞳はまるで何故このようなことになっているのか、本当に分からないといった風である。
なんで邪魔をするの?
そう訴えかけている気がする
「八雲くん」
後ろからなじみ深い声が聞こえてきたので振り向けば、そこには困った顔をした天魔が立っていた。
「君の言うとおり、力のない妖怪はみんな私達の山へと非難させたよ。 後はこれをどうにかするだけだ。 ……といっても、それが難しくあるのだけどね」
天魔は目の前にいる神をみながら苦々しく呟く。 いつも穏やかで優しい天魔からは想像もつかないような顔をしながら、想い神を睨みつける
「他の天狗にも迷惑かけたわね。 どうにかするといっても、力が強すぎてどうにもできないわよ。 あっちは強固な結界まであるみたいだしね」
「あら? そんな結界、ぶち壊せば済む話じゃない」
天魔と紫が話してる横で、そんな声が聞こえてきた。
紫がその声に反応した時には、その声の主は想い神へと接近して自慢の傘を心臓めがけて貫く勢いで突いていた─────が、その傘は心臓に達する前に先端からグシャリと潰れ、みるみるうちに潰れた空き缶のようにひしゃげてしまった。
「あら、これは中々楽しめそうね」
恍惚とした声と表情に、剥き出しの闘気を隠すことなく想い神を値踏みするかのようにみつめる女性。 腰まで届く長い緑髪に、膝下15cmくらいはある赤のチェックスカートに、白の長そでブラウス そしてその上には同じく赤のジャケットを羽織り ひしゃげた傘をぽんぽんと手で叩くその女性は、一見すると清楚で淑女のように感じるが、接してみるととんでもない女性。 自称最強の妖怪であり四季のフラワーマスターと呼ばれている風見幽香だった。
「花の妖怪がなんの用かしら?」
そう聞く紫に、幽香は
「最近退屈してたのよね。 それに、なんとなくムカつくわ、あの顔が」
とんでもない私情で想い神に手を出していた。
そうはいっても、紫としてはどんな理由だとしても幽香の登場は嬉しかった。 自分と天魔と従者の藍だけではこの神の足止めが関の山である。 そこに自称最強の妖怪、風見幽香が加わるだけでも形勢は少しだけだが、こちら側に傾くはずだ。
「ああ、協力なんてことしないわよ。 というか、邪魔するのであればあなた達から消すから」
そう言って、幽香はまたもや想い神に特攻を仕掛ける。 はなから協力なぞ幽香にはする気がないらしい。 しかしそれでいい。 こちらから制御などするより、のびのびと撲殺に励んでくれるほうが紫としてもありがたい。
「さて、これで多少は戦力が増強されたわね。 ……といっても、まだまだ足りないくらいだけど」
想い神に拳を放ち、傘で叩き殺そうとしている幽香をみながら紫は呟く
まだ足りない こんなものでは、あの神を倒すことはできない
そうしている間にも幽香は一人で対峙していた。
せまってくる拳を避け、カウンター気味にこちらが逆に放つ。 しかしその拳は想い神に届くことはなく、その30cm手前で結界により阻まれる。 結界によって阻まれた手は、ぐしゃりと音をたててひしゃげ、幽香はそのたびに妖力で元に戻す。 さっきからこれの繰り返しである。
「なかなか、厄介ね。 その結界。 でも、いつまでもつのかしら?」
一向に壊れる気配を感じさせない結界を目の前にしても、その余裕を崩すことはせず、逆に強者特有の発言までする幽香。 そんな幽香にイラついたのか、はたまたただ単に邪魔だったのかか分からないが、想い神は左手を大きく広げ、何かを掴む仕草を空中でしたかと思うと、一気に幽香の方向へと振りかぶった。
その行動に首を傾げる幽香。 だが、それも一瞬────ざわりと鳥肌がたった幽香は自慢の身体能力でその場から一気に離脱する。
ゴシャッ!
そう音をたてて、幽香が先程まで立っていた場所に5mほどの大きな岩が飛んできた。
「念動力ってやつかしら……。 ダメよ? そういった玩具は大事にしないと。 子供だからってお姉さん、甘やかさないわよ?」
ふわりと全てを照らす太陽なような優しい顔で、想い神に笑いかける幽香。
その顔は一瞬にして、凶悪な顔へと変貌する。
風を切るように駆けだし、岩を踏み台にして15mほど高く飛んだ幽香は、重力に身を任せたまま、背中から刀を抜刀するかの勢いで、想い神の頭に傘を叩きつけようとした────その矢先、たったいま踏み台にした岩が幽香の背中へと流星のごとく襲いかかってきた。 大蛇が鼠を喰らうかのように、とてつもない速さで向かってきた岩に幽香の体勢からでは避けることも、防御することもできず、かといって叩きつけようとしている傘を岩の方に向かって方向転換するのは間に合わない。 結果からすると、幽香は何もすることができずに喰らうわけになるのだが
「そんな凶悪そうな顔で、迫られたらビックリするに決まってるわ。 だから岩を投げられるのよ」
後ろの岩が爆発し粉塵となり幽香の髪へ、ぱらぱらと降り注ぐ。 突然の出来事に、幽香は驚き力が抜け、傘は強固な結界に守られた想い神に届くことなく弾かれる。
後方へ弾かれた幽香は、声のした方向に視線を向ける
「くすくす。 頭にふりかけがかかっているみたいね」
「……殺されたいのかしら? へんてこな帽子なんか被っちゃって。 邪魔よ、消えなさい」
「そうはいかないのよね。 こんなされると、こちらとしても色々と困るのよ。 此処は私達には丁度いいの。 そんな所をわざわざ捨てるような真似はできないわね」
銀髪を三つ編みにして、ナースキャップのような帽子をかぶり、赤と青のコントラストで彩られた服を綺麗に着こなして、手には弓を持っている女性、八意永琳は睨む幽香の顔をみながらそう答えた。
「どちらにしても、あの子を倒すのが先決でしょう。 ちょっと協力してくださらない?」
「嫌よ。 なんで私が協力なんて弱者の真似しないといけないの」
手を差し出す永琳に、ぷいと顔をそむける幽香。 そんな仕草に一瞬固まった永琳だが、年の功とでもいうのだろうか、すぐに優しい笑みを浮かべて再度お願いする。
「まあまあ、あなた一人じゃ絶対に勝てないから。 ここは協力しましょう?」
“絶対に勝てない” その一言に幽香はこめかみを浮かべる
「あら……どこの誰だか知らないけど、随分な言い様じゃない。 あんな子供ごときに私が勝てないって?」
「ええ、勝てないわよ。 あなたも、そして私も。 だって存在自体が卑怯だもん。 想い神って」
想い神────それは人間の想いが具現化し、神になった存在。 憎悪と怨嗟によって生まれた存在は、最初の想いを叶えるために想いを食料にして力にする。 言い換えれば、想いそのものを力へと変換させるということ。 想いとは残留思念のようなものであり 例え、肉体が滅んだとしても、想い自体はその場に留まることが多い。 想い神はそういった想いすらも食糧にすることができるのだ。 人間は生きている限り必ず想いがある。 妖怪にもあるだろう。 もしも、想い神の視点から世界を見るならば、いたるところに食糧が存在している状態だ。 自分がより強力になるための食糧が。
私達が話しをしている間にも想い神は、どんどん強くなっているのだろう
「想いを喰らい、その想いを力に換えることができる相手にどうやって勝つのかしら。 はぁ……こんなことなら、姫様にも来て頂いたほうがよかったかしら」
その姫様がいまなにしているの分かっている自分としては、おいそれと呼ぶことができないが。 自分の大切な姫様は、因幡の兎たちを非難させている最中だったりする。
「だったらどうするのよ。 このまま滅ぶのを待つのかしら?」
「それもいいかもね」
もちろん、冗談だけど。
傍から見ればとても楽しそうなお喋りを展開していた二人に、空気を圧縮した玉が放たれた。
「「ッ!?」」
いきなりの攻撃と、そのスピードに驚き、動きが止まった二人に空気を圧縮した玉は容赦なく襲いかかってくる。 その玉は真っ直ぐに突き進み、二人の間で爆発する────かと思ったのだが
「「「「「破ッ!!」」」」」
ビュンッと突如として二人の前に現れた薄緑色の障壁に阻まれ、そこで爆発した
しかしながら、空気を圧縮しただけあって阻んだくらいで二人は無傷……というわけにもいかず吹き飛ばされ、空気の刃によって裂傷がつくことになるのだが
「ちょっと、敵の目の前で二人して喧嘩しないでくださいよっ!!」
気がつくと二人は、赤い髪を頭の上近くで結っている死神に、首根っこを掴まれた状態で遠く離れた位置へと移動していた。
「あら、死神まで来たのかしら。 ということは……」
「映姫さまも一緒ですよ。 こちらとしても、一度に死者が増えすぎるのは困るんですよね。 色々と」
みると、小さい体に誰もが冷や汗を浮かべるほどの圧倒的オーラを放つ存在が、悔悟棒片手に八雲紫となにか話している様子をみることができた。 いつきたのか、亡霊の姫までいる始末。
「死神さん、助けてくれてありがたいわ。 あの障壁もあなたがやったのかしら?」
問う永琳に、死神である小野塚小町は首を振り、想い神を指さした。 正確には想い神の周辺で印を結んでいる人間達を指さした。
数は20人
丸坊主の者や、角刈りの者 スキンヘッドの者や 長髪の者
全くもって統一性のない髪型をしているが、その服装だけは統一していた。
全身を包むように着こまれた真っ黒で、袖がぶかぶかに余る服。 大きな数殊を首からぶら下げ、いまでこそ、印を結ぶために両手をつかっているが、腰からちらりとみえたホルスターのようなものからは、神授が書かれたお札が大量にセットされてあった。
「映姫さまが止めたんですけどねえ……。 妖怪に恩をつくるのは嫌だ! ということらしいですよ」
困ったように笑う小町。 その小町を困らせている原因の人間達はというと、妖怪にはできない連携プレーをみせていた。
丁度、想い神が中心にくるように六芒星を描いていた。 むろん、一人ひとりが印を結んでいる状態だ。 想い神は最初こそ、不思議がるように小首をかしげていたが、自分が置かれている状況に気付くやいなや、おもちゃが目の前にあるのに、それで遊ぶことができずに暴れる子供のように、手足をばたつかせる。
想い神が暴れるたびに印と印を結び、光の糸でできた六芒星がブチブチ……と、いまにも千切れそうな音をたてる。
この呪縛も、もって10分といったところかしら
そう計算しながら、永琳は暴れる想い神をみつめていた
☆
「まさか、人間達までくるなんて…………」
八雲紫は、目の前に広がる壮観な光景を見ながらひとりでに呟いた。 それは意識して呟いたわけではなく、無意識から出るものであった。
「想い神は人間側にとってもイレギュラーな存在です。 そのことに人間たちも気づいたのでしょう。 ……ですが、このままではただのじり貧であることには変わりありませんね」
「だったら、映姫さまも加勢してくださいよー!」
澄まし顔で紫に告げる映姫に、横にいた西行寺幽々子が怒る。
映姫は幽々子に
「そうしたいのは山々なんですが、私には見定める役目があるのです。 あなたが代わってくれるというのであれば、私は今すぐにでも戦火の中へと飛び込みましょう」
そう返答した。 澄ました顔で、ふるえる拳に力を入れて、ぐっと堪えるようにしながら映姫は目線を戦場から逸らすことなく幽々子に返答する。
「映姫さま……」
「私は加勢することができませんので、私の分まで頑張ってきてください。 もうじき、あの六芒星の呪縛も解かれますよ」
自分には、この結末を外から見守り、見定める。 という大切な使命がある。 だから、どんなに加勢したくてもそれはしてはいけないことなのだ。 ジャッチメントは内に入ってしまった瞬間に、その役目が消滅してしまうから。 それだけは避けなくてはいけないのだ。
震える拳を押さえつけることに意識を集中させていたら、いつの間にか傍にいた天魔や紫や、幽々子がいなくなっていた。 ふと、想い神の方をみると、呪縛を引きちぎっている最中だったので、多分加勢に行ったのだろう。
じきに鬼もくることだろう。 そうすれば、戦力としては充分だ。 というか、それ以上の戦力を用意することは不可能である。
既に役者は揃っている
舞台も整っている
あとは幕を下ろす存在が着けば、この演目は終わるだろう
それが|最高《ハッピー》の|結末《エンド》になることはないけれど
この演目が|最高《ハッピー》の|結末《エンド》をむかえることはないけれど
☆
遠くから轟音と爆砕音が聞こえてくる
その音を聞きながら、いまだ被害にあっていない草の道をゆっくりと噛みしめるように歩いていく。
さくり さくり
思えば、ずっとこの草を踏む音を聞いていたんだよな。 ずっと考えていなかったけど、草の道はこのように踏む者の耳をこんなにも癒してくれるのか。
何億歩と歩いてきたのに、はじめた知ったことに少しの感動を覚える
【今日は何処にいかれるのかしら?】
こうやって歩いていると、いつも自分のことをみつけてそう聞いてくる鴉天狗のことを思い出す
散歩に行くたびに、あの声がかかってくるのを待ち焦がれるようになったのは何年前からだろうか。 はじめは鬱陶しかった 天狗は自分より下の者は見下した態度をとると聞いていたし。 でも、あの子は少しだけ違っていた。 正直な話、あの子と喋りながら外を歩くのは楽しかった。 はじめて括弧を取った日。 あの子は応援してくれた。 あの応援がどれだけ自分の助けになったか。 ……なんて、あの子にはわからないだろうな。 ずっと括弧をつけて、嘘をついていたわけだし。
歩き続けていると、ぽっかりと開けた空間にでた。
そこだけ緑の草木もなく、空気も違っていた。 どことなく神聖な、許された者だけがその空間に入ることが許されるような……そんな空気を肌で感じる
そこに一人で佇む女性がいた
長いフレアスカートに、フリルが沢山ついた衣を、胸元を赤いリボンで可愛らしくとめており、帽子は一見すると触覚のようにも思えてしまうリボンで装飾されている。
…………はて、誰だったかな?
まあいいや。 用があるのは一人だし。 あちらの方もお喋りしにきたわけではないみたいだし
「出てきなよ、龍の神。 ……いや、いまじゃ龍神だっけ?」
誰もいない虚空に向かって話しかける。 何も知らない人が見ていたら、ただの不審者に映るかもね
『久しいな、鬼火の者よ』
たった一言
その一言で、その場の空気は完全に変わった
ピンと張りつめた空気、重くのしかかるプレッシャー、力を抜くと足が崩れいやがおうにも土下座の体勢になってしまう。
上位であり高位の存在だけが持つ、独特な存在感
それがいまこの空間を支配している
「相変わらずの存在感とプレッシャーだね。 存在が確立してない……むしろ消滅しつつある僕じゃなかったら、今頃土下座の体勢だよ」
肩をすくめ、目の前にいる存在に話しかける
大和という国が出来て以来、ずっと存在している神様
その力は他を圧倒し、最高位といっても過言ではないはず。 間違いなく八雲でも冷や汗を浮かべること間違いなしだね。 これと対等に喋れる存在なんて、閻魔様くらいだと思うよ。 例外として、僕もだけど。
2000mはあるであろう体長と、鬼よりも強靭ででかい角を頭に二本生やし、全身は青色で髭は金色、二つ開いた黄色の瞳孔は爛々と輝き、決して僕から離そうとしない
「それに、久しいって……僕達が会うのはこれで二回目だろう?」
いや、確かに久しいけど。 なんか、そういった感覚がないんだよね。 別に友達って訳でもないし
『最初に出会ったとき、お主が我に噛みついてきたことはよく覚えているぞ』
ははっ、そんなことまで覚えているのかい。 案外、|暇神《ひまじん》なんだな
「そういえば、噛みついたのは君が初めてだったね。 死ぬ寸前の僕の前に現れてさ」
遠い昔のことで、記憶の大半は抜け落ちているけど……それでもそこだけは覚えているよ。
『そして主は願った。 死ぬ間際に、我の問いかけに答える形で』
一度でいいから、僕は“勝ち”というものを味わってみたい
そう願った
『そして我は主に力を与えた。 あらゆるものを作り・あらゆるものを消す という力を。 主はそれを積極的には行使していなかったが』
だって、そんな力で勝っても、僕は勝った気にならないよ。 僕はそんな“勝ち”を望んでいるんじゃないよ
「悪いけど、あれは僕には扱えない代物だったよ。 やっぱ借り物は借り物なんだよね」
氷精がいい例だよ。
そこで一旦会話が止まる。 龍神の傍らで控える形を取っている女性は僕達の会話に口を挟む気はないみたいだ。 ……いったい、何しに来たんだか
龍神が口を開く
『一人称……戻したようだな』
「ああ、これかい? そうだね……どうせ消えることだしもういいかなと思ってさ。 最後くらい、括弧つけずに、|僕《おれ》と言わずにいこうかな……って思ってさ。 どうだい? 似合ってるかい?」
おちゃらけた態度で話す僕に
『だが、最後まで嘘はつくのだな』
と、胸を抉ってくる言葉を放つ
まったく……ほんと何でもお見通しだな
「残念ながら、一度だけこの嘘が剥がれたことがあるけどね。 ……まあ、君のいうように最後まで嘘はつくよ。 僕は嘘をつくことで僕として保っているのだから」
君からしたら、なんとも滑稽に映るかもしれないけれど
それでも僕は貫きとおす
はるか後方で、ひと際大きな爆砕音がなりその振動で此処も少しだけ揺れる
どれだけ暴れているのやら
まあ、それはそれとして
「僕も君に質問がある。 どうして、この時じゃなく遥か前に顕現なんかさせたんだい」
おかげで僕は散々な目にあったんだ。
スキマ妖怪に家族認定されたり、鴉天狗の前で涙をみせたり、花の妖怪に喧嘩を売ってあっさり負けたり、閻魔様に説教されたり、竹林で変な奴らに会うし
─────どれもこれも、|散々《たのしかった》な思い出だよ
『何故顕現させた……か。 そうだな、一言でいえば“知ってほしかった”』
家族を
友人を
温もりを
知ってほしかった
勝つのは簡単だ。 力を使えばいい
しかし、そんなことでは─────一生自分に勝つことはできない
背負う重みを知らぬ者に
誰かを愛することを知らぬ者に
自分が傷つくことで誰かが泣くことを知らぬ者に
“勝利”などあるわけない
『自分が消えることで誰かが悲しむことを知ってほしかった。 主には背中を支えてくれる存在がいることを知ってほしかった』
ああ……やっぱりな。 そんなことだろうと思ってたよ。
だからこそ、僕が八雲と会うように仕向けたんだよね
「君の言っていることが、僕には全く理解できないよ。 そんなものがなくても“勝つ”ことはできる。 それに僕がアレを止めるために君は僕を顕現させたんじゃないのかい?」
『確かにそういう契約ではあった────が、別にあれしきの神ごとき我の力で消せることに気付いた。 神が直接的に何かに干渉すること自体がいけないことなのだが……アレを野放しにすると危険なのでな。 一種の特例だ』
「それに気付いたからこそ、僕に普通の生活を送らせようと決めたわけかい」
だとしたら君は間違っているよ、龍神
「想い神は何も悪いことはしちゃいないよ。 もちろん、人間を襲った妖怪も 妖怪を憎んだ人間もね。 妖怪が人間を襲うのはごく当たり前のことで、それによって人間が妖怪を憎むのも当たり前のこと。 そして想い神はただその人間の想いを行動に起こしているだけにすぎない」
最初に触れた想いが危険な想いだっただけで
「想い神ってのは、最初に触れた想い次第でどんな存在にも化けるんだよ。 今回が、悪よりな想いだっただけの話だろ? たかだがそれくらいのことで、皆大騒ぎしすぎだよ。 そんなことだから、想い神は怖がって関係ない種族まで襲おうとするのさ」
まったく……生き物の悪い癖だ
自分のことは、遥か高い位置の棚に上げ、他の者を悪だと決めつけ徹底的に叩く
これは人間側の醜い風習と思っていたけど……案外、妖怪側もそうなのかな?
「だからこそ、僕は想い神を消すことには反対なんだよ」
だって、あんまりじゃないか。
本当はもっと素晴らしい想いがそこら辺に落ちていたのかもしれないのに、最初に触れた想いが悪よりなものだっただけで、消えなければいけないなんて。
『だがどうする? 主がどれだけの言葉を吐こうが、想い神が行動に起こし、そのせいで妖怪が死に絶えていくのは事実。 このままいけば、妖怪は絶滅すること間違いないが』
「─────だからこその僕だろ?」
龍神の瞳を見ながら、不知火は決して逸らさずに堂々と言い放つ
「元々僕はそのためにいるんだ。 だから返してくれないかい? 僕の最初の能力を。 僕が俺であるために、俺が僕であるために、僕が僕であるための能力。 噛みつくことしかできない僕の唯一にして無二の能力」
|神憑《かみつ》く 程度の能力を
手を差し出しながら言う僕と、無言でそれをみつめる龍神の間に、荒い風が吹く
風は僕の髪を盛大に巻き上げ、龍神の髭をわずかながら動かす
しかしそれも数瞬でおさまり、次いで無音が空間を支配する
『かわらないか』
「ああ、かわらないよ」
問う龍神に、不知火は間髪いれずに答える
その言葉を聞いて、龍神も諦めたのか不知火に近づいていき、その顔を一舐めして離れていく
「うわっ。 あの時もそうだったけど、コレは勘弁してほしいんだよね……。 ま、確かに返してもらったよ」
若干、苦い顔をしつつ礼をいって、くるりと反転して来た道を帰ろうとする不知火に
『まて、孤独にして孤高な者よ』
龍神はそう呼びとめる
「なんだい、僕はこれから行く所があるから、早くしてくれないと困るよ」
不知火は振り返ることもせず、そう言った
『なに、すぐに終わる。 主に友として、この言葉を贈ろうと思ってな』
歩みゆく 道はひとつにあらねども われは忘れず 君の面影
不知火は歩みを止め、頭をがしがし掻いた後、振り返りながら、見たこともないような爽やかな笑みを浮かべながらこう言った
「ばっきゃろう。 そんなことしたら、最後の|涙《うそ》が剥がれちゃうじゃないか」
☆
誰もいない、生き物の気配すらしない道を独り、ポケットに手を突っ込んだまま歩いていく
向かう先は、轟音と爆砕音の中心地。
そんな不知火の前に、何者かが突風を伴って不知火の前に舞い降りた
その者は、不知火を行かせまいと両手を大きく広げて言った
「ダメです。 これ以上は行かせません!」
大きな黒い翼に、からんと音がする下駄を履き、顔と同じくらいの団扇を持った鴉天狗の射命丸文が立っていた。
その顔を|煤《すす》に塗れており、額には大量の汗の玉が浮かび上がっている。 よく聞くと微かながら、荒い息も聞こえてくる。
一体、彼女は何時間飛びまわったのだろうか?
決して、大きくない体で、こんなになるまで何故飛びまわったのだろうか?
「いま行けば、貴方は間違いなく死んでしまいます。 そんなの……私が絶対に許しませんっ!」
顔を歪めながら、悔しそうに歪めながら、精いっぱいの声で僕に向かって叫ぶ
まったく……なんで君が泣いているのか僕には理解できないよ
君と僕の関係なんて、他人以上、友達未満な関係じゃないか。
「もうじき鬼の皆さんが来ます! そうすれば絶対にあの神様にも負けません! 本気で戦ったあなたなら知っているはずですよ! 鬼がどれほど強いのか!」
なおも射命丸の独白は続く
「なんであなたはいつもそうなんですか! そうやって……自分を犠牲にして、正義のヒーローでも気取るつもりですか! うざいんですよ! キモイんですよ! 貴方がそんなことしても、誰もあなたのことを祭ることもなければ、名誉な勲章を与えることもしないです。 ですから、ですから私と一緒に行きましょう。 避難場所には沢山の妖怪たちがいます。 あそこにいれば、安全ですよ。 大丈夫です、避難場所では私がずっと貴方の傍にいます。 貴方から離れません。 ですから、安心してください」
そういって、笑顔で僕の方に手を伸ばす射命丸
君はとてもすごい子だよ。 笑いながら泣くことができるのだから。
僕は愚か者だ
君の涙を拭うことができない僕は愚か者だ
君を笑顔にすることができない僕は愚か者だ
だけど……僕にはそれがお似合いなんだと思う
もうじき僕はこの世から消えて、時間が経てば、皆の記憶からも消えることだろう
幸せな記憶のほうが、嫌な記憶よりも消えやすい────と聞いたことがある
それは逆に、嫌な記憶であるならば残り続けることがあるかもしれないということだ
僕は愚か者で卑怯者で自己中だ
だって、消えてもいいと思いながらその実、君の記憶からは消えてほしくないと願うのだから
僕は手をとることはないけれど、君にこの言葉を贈ることにしよう
────次に会うときは、その小さな胸が大きくなるよう祈ってるよ
不知火は何もいわず、手をとることもなく、射命丸の隣を通り抜ける
小さな嗚咽を聞きながら、黙って通り抜ける
頭のいい射命丸が、このことを予想していないわけではなかった
むしろ、射命丸文はこうなるだろうと予想していた
ただ、それでも手をとって括弧つけながら、皮肉を言ってほしかった
虚空に向かって伸ばした手を、ゆっくりと握りしめながら射命丸はそう思った
☆
「幽々子! 人間達を援護して! その他は風見幽香を中心に、全方位から攻撃!」
紫の怒号にも似た声が辺りに響く
何十回、何百回、何千回、何万回
この命令をだし、攻撃し、そのたびに弾かれてきただろうか
数えるのも嫌になってくる
しかしそんなことを愚痴として言っても、誰も聞いてはくれないだろうし、自分自身そんなこと言いたくない
口に出していってしまえば、その瞬間に心が折れそうな気がするからだ
人間達の呪縛を引きちぎった想い神は想いを喰らい、益々力を増して私達に襲いかかってきた。 そこに、妖怪やら人間やらの種族間は存在しない
一種の暴走状態のようなものだ
「ちょっとヤバくないですか……! あちらさん、さっきよりも力が強くなってますよ!」
額に大量の汗の玉を浮かべながら、大きな鎌をもった小町が能力で移動してきてそう叫ぶ
「堪えるのよ! もうじき、鬼が来るわ! そうすれば……」
そうすれば……形勢は逆転できるのか?
ふと紫の頭に疑問が生じる
確かに鬼は強力だ。 だが、想い神は力の強さに上限というものが存在しない
ならば、一瞬だけこちらが強くなっても、時間が経ち、その分の想いを喰えばまた形勢は逆転させられる。
……元々、この勝負は私達の負け……ではないのか?
いままで直視しないようにしてきた現実を、一瞬だけ見つめてしまった紫
辺りを見ると、風見幽香も八意永琳も、従者の藍も死神の小野塚小町も、人間たちも、不安そうな顔で戦っていた
あぁ……そうだ。
私は気付いてしまった
この勝負に勝ち目がないことを
そもそも勝負ですらないということを
想い神による一方的な蹂躙であることを
私は気付いてしまった
そんな時だった
彼の言葉が耳に入ってきたのは
「随分と派手にやってるもんだね、みなさん」
ポケットに手を突っこんだまま、散歩ついでに寄ってみたような感覚で彼は来た。
右手を目の上において、遠くでも見るかのように辺りを見回す
「ふむ……。 人間まで一緒か。 なんかどこかのバトル物の最終決戦みたいだ」
軽く笑いながら、そう言う彼
彼は一度止まっていた歩みを再開させて一歩一歩踏みしめるように私達の元まで……想い神の元まで歩いてくる
私達はいきなり現れた存在に、喋ることもできず、動くこともできず、ただただ彼の動向を見守ることしかできずにいた
そしてそれは想い神も同様だった。 いきなり現れた存在に、想い神は驚き、彼が動くたびに目線を動かして、釘付け状態になっていた
やがて彼は想い神に1mという所まで迫っていた
そして両手を広げて、この場にいる全員に聞こえるようにいった。とても透きとおった声で言う
「スキマ妖怪に九尾に花の妖怪、閻魔に死神に竹林の者に、人間達に天魔に亡霊の姫。 そして想い神。 はじめまして、こんにちは。 僕は“不知火”────」
────最弱の鬼火妖怪さ