26.聖水



『子どものサインはとても小さい。 だから見過ごしてしまうことがある。 それを反省し次に繋げるか、そうでないかで器が違ってくるのかもしれない』

 結局のところ、俺たちの答えは“時期をみて話す”という無難な答えに落ち着いた。 いま話したって混乱するだけだろうし、もしかしたらヴィヴィオだってすぐにスカさんたちが引き取りにくるかもしれない。

 それにいま話にいったところでヴィヴィオとの生活だって日が浅い。 そんな状態で先方に報告したところで何を言われるかわかったもんじゃないしな。

 ……いや、俺がボコられるのは確定事項なあんだけどさ。

 兎にも角にも、これが俺たち三人が決めたことだ。

 夕食を食べ終わった俺たちは俺だけを残して女子三名ともども風呂で体の疲れをゆっくり癒している最中だろう。

「それにしても、なのはがハブにされなくてよかったな」

 風呂に入ると言い出したとき、ヴィヴィオは若干強張った顔をしたがフェイトの助力となのはの粘りでどうにかこうにか入浴へとこぎつけたのだ。 それにしてもなのは怖がられ過ぎだろ。

 洗い物を終えた俺はそのまま、マンガでも読もうと自室へ行く途中、あることに気が付いた。

「……そういえばヴィヴィオの服ってないよな。 今晩のパジャマは俺が昔作ったメイド服でなんとかなるけど……さすがにメイド服で外に出すわけにはいかないよなー」

 そんなことすれば俺がおっさんに捕まってしまう。 流石にそれだけは避けたい。

「ちょっとヴィヴィオに聞いてみようかな」

 足を180°方向転換させて風呂場へと進むことにした。



           ☆



 風呂場へと訪れた俺を待っていたのは、先程まで衣服とした着用していたブラやパンツ、スカートにシャツ、といった聖骸布であった。 ほのかに残る香り、若干嗅ぐことのできる汗、生暖かい感触。 そう──桃源郷は此処にあったのだ。 ちらりとすりガラスをみると、三人ともこちらに気付いている様子はない。

 シルエットからして、なのはとフェイトがヴィヴィオの体を洗ってあげているようだ。 チャンス──到来

 すばやくしゃがみこみ、あちらの視界にはいる面積を狭くする。 そして自分の中で体内時間の操作を行う。 これにより、殺し屋でもないかぎり俺の気配を察知することは難しくなる。 しかしこれにだって限界はある。 だからこそ──最新の注意を払いながら最高の速度で獲物を──狩る!

『えへへ〜! こんどはヴィヴィオがフェイトママをあらってあげる! ヴィヴィオこれでもてでコスコスするのじょうずなんでよ!』

「それならばお兄さんの息子もコスコスしないかヴィヴィオ!!」

 ドス!

「ぎゃああああああ! 目があああああああああああああ!」

「まったく……油断も隙もあったもんじゃないんだから!」

 一瞬だけ見えた光景から推測すると、タオルで体を隠していていたなのはから目つぶしっを喰らったようだ。 指だけならまだいいが、今回は泡までつけてきたので失明しないか心配だ。 全身の感覚を研ぎ澄まし心の目でこの場を視る。 徐々に浮かび上がってくるシルエット。 前方になのは。 横にヴィヴィオとフェイトか。

 肌がチリチリと焦げるような錯覚を覚えるので、どうやら二人ともかなり怒っているようだ。 フェイソンなんてチェーンソー取り出してきそうである。

 しかしながらここは長年付き合ってきた仲だ。 軽いジョークの一つでも飛ばせば許してくれるはず……!

「フェイト、ほんといい体してるよな。 なのははもう少し頑張れ!」

 まさかなのはが風呂場でサマーソルトしてくるとは思わなかったです。



           ☆



 サマーソルトを食らった俺はフルボッコにされながらもなんとか逃げることができた。 息子のほうはフルボッキだ。 しかし此処には現在ヴィヴィオだっている。 紳士として幼女がいる空間で抜くのは斬首に値する行為なのでなんとか我慢する。

 しょうがないので自室に引きこもってゲームでもやろうとしたところで風呂場の方向からドタドタとした足音が聞こえてきて

「おふろよかったよー!」

 ヴィヴィオが飛びついてきた。 いったいどうしたんだ? ちょっとテンション高くない? お姉さんたちにイケナイことでも教えられたのか?

 などなど、思考しているとパジャマ姿のフェイトとなのはがタオルで髪についている水滴を縛りながら困った顔を浮かべていた。

「どしたの、ヴィヴィオ」

「たぶん眠くなってきたからテンション高いんじゃないかな? ほら、たまにあるじゃない。 小さい子特有の」

「ああ、たまに魔法少女(笑)もなるよな」

「ねぇ、魔法少女(笑)ってわたしのことかな? 知ってる? 乙女ってね、いつまでも少女なんだよ?」

「……ぷっ」

「落ち着いて、なのは!? 鈍器はダメだって!?」

「離してフェイトちゃん! こいつに乙女の鉄槌を!」

「お兄ちゃんどいて! こいつ殺せない! (裏声)」

「バカにしてるでしょ!? わたしのことバカにしてるでしょ!?」

 なにをいまさら。

 なのはがロヴィータ化している様はみていて面白い。 俺がニヤニヤとフェイトがオロオロとしながらなのはを止めていると俺の膝でぐるぐる遊んでいたヴィヴィオが失速し、やがて動きを止めた。 その様子に俺たちは動きを止めてヴィヴィオの顔を覗きこむ。

「「……寝てるね」」

「幼女の寝顔ってかわいいな」

「う〜んと……今日はもう寝よっか?」

「うん、そうだね」

 なのはとフェイトがあらかた拭き終わったタオルを受け取る。 二人は洗面台のほうに足早に駆け出してドライヤーをかけるとクシで髪を|梳《と》きながら手を差し出してくる。

「はい、ちょうだい」

「ごめん、キャットフード手元にないんだ」

「いらないよっ!? そうじゃなくて、ヴィヴィオを預かるって言ってるの!」

「ああ、ヴィヴィオね。 でも……離さないんだけど」

 シッカリとズボンを握ってるヴィヴィオはなかなか離れてくれない。 強引にほどくことも可能なんだけど……それはなんか嫌なので実行には移したくない。

「それじゃ、俊くんの部屋に寝せる?」

「だめだよ、なのは。 俊だよ? 危ないことになるのは明白だよ」

「あ、そうだね。 やっぱいまの発言取り消しね」

 俺の幼馴染たちがこんなにツンしかないわけがない。

 といっても、俺はこれからやらなければいけない作業があるわけで部屋にヴィヴィオをいれることはできないんだよな。 さて、どうしたものか。

 考えこんでいると、ヴィヴィオが一人でに俺の手を離し目が開いていない状態にもかかわらずトコトコと抱きついていく。 ──もちろん、フェイトのほうに。

「俊くん、歯くいしばって?」

「……え?」

 いや……うん。 なにかに当たりたい気持ちはわかるんだがな? そこでサンドバックとして俺を起用するのはどうかと思うぞ?



           ☆



 なのはとフェイトの間に挟まれて寝ているヴィヴィオをみる。

「あんまりジロジロみないでよ。 セクハラだよー」

「俺のセクハラはもっと大々的だから大丈夫なの。 それよりヴィヴィオってトイレいったっけ? 俺のイメージでは小さい子って夜寝る前はトイレに行くイメージがあるんだけど……」

 小さい子どもって夜は一人でトイレに行くのが怖いから、親と一緒にトイレに行ってから寝ると思っていたのだが……。 実際、小さい頃のなのはがそれで漏らしたので強く思ってしまう。 それにヴィヴィオって考えてみれば家にきてから一回もトイレにいってないよな? それって健康的にも問題があるんじゃないか?

「う〜ん……どうなんだろう、フェイトちゃん」

「えっ!? 私に振るの? え〜っと、行くときはなのはか私を起こすんじゃないかな?」

 親指で顎を押しながら答えるフェイト。 言われてみれば確かにそうだな。

「それじゃ問題ないか。 んじゃ、おやすみ。 風邪引かないようにな」

「はーい、おやすみー」」

 電気を消して部屋を出る。 今日だけは盗みは勘弁しておこう。

 部屋に戻り、電気を点ける。 蛍光灯の人工光が部屋全体を支配して俺の娯楽グッズを起こす。 それらを全部一か所の所にまとめておき、棚からコスプレ衣装用の布を取り出す。 色は青と水色と白。 これでとある人物をモチーフにした衣装を作ることにしようと考えている。 できるだけ可愛く、外を歩く誰もが振り返るような──そんな服を作ろう。

 道具一式を近くに置き、いざ開始する。 ヴィヴィオは喜んでくれるかな?



           ☆



 カッチコッチと時計の針だけど聞こえてくる。 何時間もしたような、それでいて何分しか経っていないような、そんな時間の感覚があやふやになった錯覚に陥る。 時刻を確認すると深夜1時を若干過ぎたあたりである。

 出来として30%。 本当に終わるのか? そう一抹の不安がよぎるわけだか、まだまだ時間的には余裕があるしなんとかなるだろう。 立ち上がり、伸びをすると背中からバキバキと固まりをほぐすような音が聞こえる。

「う〜ん……ヴィヴィオの様子でも見てくるか」

 あの笑顔をもう一度みて、英気を養おう──そう思った瞬間に家中に響くような声で誰かが泣いた。

『うわあああああん!!』

 この声はいったい誰だ?

 こんな高い声で泣く奴なんて家にいたっけ?

 そもそもなんで泣いてるんだ?

 疑問が頭を埋め尽くす。 体は勝手に動き出す。

 ドアを勢いよく開け、なのはとフェイトの相部屋のドアを蹴り開ける。

「あ、俊くん……起きてたんだ。 というか、起きちゃったのかな……?」

 部屋に入ってきた俺を見てなのはは困った笑みを浮かべた。

「え〜っと……もしかして?」

「うん。 そのもしかして」

「だいじょーぶだよ、ヴィヴィオ。 こんなこと、誰にでもあることだから」

 なのはとフェイトに抱かれたまま、グズグズと泣いているヴィヴィオ。 そして少し視線をずらした先には白いベッドが不自然なほど黄色くなっていた。

 早い話が──ヴィヴィオが間に合わなかった、ということである。

 考えてみれば当然なことである。 そう、これは当然な結果なんだ。 だって、ヴィヴィオは一回も行ってないんだから。 この家に来て、何時間が経った? かなりの時間が経ったはずだ。 夕食だって食べた。 お茶だって飲んだ。 もよおさないほうがおかしいのだ。

 ヒックヒックと泣くヴィヴィオ。

 なのははそんなヴィヴィオを優しく抱きしめ、背中をトントンと叩く。 安心させるように、落ち着かせるように。

「私、ヴィヴィオをシャワーにつれていくね」

 その言葉に俺はただ頷くだけしかできなかった。



           ☆



 パタンと閉じるドア。 トントンと降りていく一人分の足音と、一人分の話し声。

 それを聞きながら、俺はベッドに足を運んだ。

「きづいて……いたんだ。 ちょっと考えればわかることだよな。 だってヴィヴィオは小さい女の子だぜ? それが突然俺たち大人3人の中に放り込まれてさ、緊張しないほうが無理な話なんだよな。 主張できないのは当たり前じゃないか。借りてきた猫のようになるのは当然じゃないか。 用意周到なスカさんのことだ。 『迷惑をかけちゃいけないよ?』そう言い聞かせたんだと思う。 だからさ、賢いヴィヴィオはその言いつけを守ってたんだ。 ヴィヴィオにとって、トイレに行く、ということは迷惑行為につながったのかもしれない。 誰かが案内しないといけない。 誰かが付き添わないといけない。 だから、ヴィヴィオは言い出せなかったのかもしれない。 本当は、本当は──もっとわがまま言いたかったのかもしれない」

 俺が渡したお絵かきより、アニメを視たかったのかもしれない。

 考え出したら止まらない。 あいつが主張したのなんて、“うどんを食べたい”なんてささいなものだけだったんだぞ。

 情けない

 幼女を泣かせた自分が情けない

 黙ろうとしても黙れない。 小さい女の子の小さな小さな自己主張を流してしまった自分が情けなくて、ヴィヴィオの泣き顔が頭から離れなくて、スカさんにウーノさんに申し訳なくて、マシンガンのように喋ることでなんとか保とうとする。

「紳士が聞いて呆れるぜ。 だって──」

 喋る口が強制的に止められた。

「いまは、後片付けが先でしょ?」

 俺の口元に自分の人差し指を置いて、ほほ笑みながら強制終了させるフェイト。

 その笑顔でようやくわれにかえることができた。

「……ごめん。 ちょっと取り乱しちゃって……」

「うん、大丈夫。 私だってなのはだって気付かなかったんだもん。 しょうがない、なんて言葉で片付ける気はないけど、優先事項がどれかくらいはわかるよね?」

 その言葉に頷く。

 そうだ、まずはここを片付けよう。 そうでないと、ヴィヴィオが安心して寝れないじゃないか。



           ☆



 ヴィヴィオのメイド服を脱がしたわたしは、いまだ泣いているヴィヴィオを抱いてシャワーのノズルを回した。 お湯にかわるまで数秒。 この時間がちょっと寒い。

「よっし、お湯にかわったね。 ヴィヴィオ〜、体流そうね〜」

「……うん」

 下を向いたまま首だけで返事するヴィヴィオ。

 まぁ、それもそうだよね。 よく考えてみれば此処は他人の家だもんね。 ヴィヴィオだって家で生活するようになんてできないだろうし、ましてそこでもよおしたら……。

 借りてきた猫のように黙ったままのヴィヴィオの体をスポンジで丁寧に洗う。 するとヴィヴィオが少しだけモジモジしはじめた。

「くすぐったい?」

「うん……」

「うにゃにゃ!」

「やー! くすぐったいよー!」

 そこを重点的にこすると、ヴィヴィオは笑いながらこっちにスポンジを押し返してくる。 ようやく笑ってくれたのが嬉しくて、ついついヴィヴィオで遊んでしまう。

 そんな笑いの中で一瞬だけ訪れる無音の空気

「ごめんなさい……おもらししちゃって……」

 それはとてもとてもか細い声で

「うぅん。 わたしたちもごめんね、気付いてあげることができなくて」

 わたしはたまらず抱きしめた。

 抱擁に嫌がることなく、身を任せるヴィヴィオ。

「あのね……?」

「な〜に?」

「スカさんがいってたの。 『いまから行くところはとってもいい人がいるから大丈夫』って。 ヴィヴィオのことをまもってくれるって。 だからヴィヴィオ、いいこにしようとおもって、めいわくかけちゃいけないっておもって」

「そっか。 偉いね、ヴィヴィオ。 その年でいい子にしようなんて。 うちには19歳になってもお子様のままの男性がいるから余計に思っちゃうよ」

「でも……ヴィヴィオだめだったよ? いいこにできなかったよ?」

 心配そうに不安そうに見上げるヴィヴィオ。 だからわたしはそれに満面の笑顔で答えることにした。

「いい子になんてしなくていいんだよ。 飾らない言葉で、飾らない行動で、飾らないわがままで、わたし達を困らせてくれたらいいんだよ」

 わたしだってそうだったんだから。

 わがまま言って、さんざん困らせて生きてきた。 それでも、まわりの大人たちは笑って許してくれた。

 大人になるにつれて、わがままなんて言えなくなる。 これも生きてきた中で身につけたことだ。 約数名、それに縛られない人たちもいるけど。 とにかく、こんな子どものときからわがままを言わない人生なんて、言えない人生なんてどこかで破綻するに決まっている。

「だから──もっと甘えていいんだよ?」

「なのは……ママ?」

「ん? どうしたの?」

「えへへ……なんでもない! なのはママ!」

 その後ヴィヴィオはわたしに抱きつきながら、“ママ”と連呼し続けた。 ようやく言ってくれた言葉。 聞きたかった言葉。 こんなにも、ママと呼ばれることが嬉しいなんて思わなかったのが正直なところ、ヴィヴィオをこのまま自分の娘にしたいと思ってしまい、その考えは心の底にしまっておくことにした。

 もう……そんなにはしゃいだら眠くなっちゃうよ?



           ☆



 新しいシーツをかけ、ベッドメイキングを完了させる。

 これでヴィヴィオが帰ってきたときに不快な印象を抱くことはないはずだ。

「あの……ありがとうフェイト。 助かったよ」

「こちらこそ、ありがとう。 私一人じゃこんなに早くは終わらなかったよ」

 フェイトと二人でペコペコと頭を下げ合う。

 これから三人はまた眠るんだろうな。 俺は作業の続きをするわけだが──

「えっと……俺もういくよ。 二人によろしく」

 なんとなく居心地が悪く感じ、早々と退散を決め込むことにする。

 手をあげてドアノブを回そうとしたところで、腕を引っ張られる感覚。 ついで誰かの胸に顔が当たる感触を感じた。

「えっと……フェイト? その……胸が当たってるんだけど?」

「当ててるの。 まったく……俊はすぐ思いつめるんだから。 俊の悪い癖だよ、それ」

「そうはいっても……俺の責任なんだし」

 そこまでいったところでデコピンされた。 地味にうまくて痛い

「違うでしょ。 “私達”の責任だよ。 もっと頼ってよ、私となのはを」

 いつもは息子が起きるはずなのに、こういうときに限って起きてこない。 ほんと拗ねてるよな、こいつ。

 ほんとうはいつも通りバカをやりたいのに、作業で疲れて元気がでない

 だから、首を縦にも横にも振らなかった。

 その後、なのはとヴィヴィオが帰ってくるまでフェイトと俺はこの状態のままでいたのだった。




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