96.曲芸8
『足りないものは沢山あった。 理解力・広い視野・戦局を見定める目・決断力・冷静さ。 沢山のものが自分の力不足で手のひらから零れ落ちる中で、友達を失いたくないという想いだけが残っていた。 けれどもそれはただの想い。 子供が小さく膝をつきながら必死に庇うだけであり、そんなもの現実というものの前では無力でしかなかった。 子供なんて所詮その程度。 自分の意見を曲げることなく進める奴らは力のある生き物だけなんだ。 あぁ……、俺は何度幼馴染たちに嫉妬すればいいんだろうか?』
ゲームを齧っている人にはわかるかもしれないが、ゲームの中にはどうしてもスキップできないイベントムービーというものが存在する。 それは製作者が意図してそうしているのかどうかは分からないが、そのイベントを見ておくことによって今後の物語の展開を理解するという意味では非常に優秀なものである。 ようは、絶対に見せておきたい場面なのだ。 そんなもの、この物語にはないけれど、あってたまるものかと思うけれど、それでもこの物語も終幕を迎えるためにはどうしても必要な場面だと思うので見ておこう。 いや、振り返っておこう。
10年前、闇の書の事件でのとある一場面のことを振り返ろう。
ナレーション、脚本は全て俺が、上矢俊が担当しよう。
ネクタイを結び、上層部が待っている室内への扉を開けながら過去のことを思い出す。
☆
「落ち着きなさい上矢君! なのはちゃん達が頑張っているというのに、あなたは何処に行くつもりなの!?」
管理局本部の許されたものだけが歩むことを認められる廊下にて、リンディ・ハラオウンは目の前を歩く小さき少年の肩を掴む。 肩を掴まれた少年は大人が本気で止めにきたことにより歩みを止め振り返る。
「あそこにいても俺が出来ることなんてないですし、それに俺は約束したんです! 事件の後処理は任せろって!」
「だったら大人しくしておきなさい! あなたわかってるの!? いまこの状況が一刻を争うほどのことだってことを!」
「だから大人しくしてろってか!? はやてや守護騎士たちが今後どのような処罰が下るかわからないんですよ!?」
大声を上げる少年に、リンディは冷静になりながら、膝をつきゆっくりとした口調で諭す。
「はやてちゃんのことは、この状況を打開してから考えていけばいいのよ? それに、あなたがそんなことを考えなくても大丈夫よ。 はやてちゃんのことは私がきちんと責任をもってあげるから」
「大人はいつも嘘吐きだ。 そうやって子供を騙していくんでしょ? 父さんと母さんの時のように」
「う〜ん、少しは大人を信じることって出来ないかしら?」
「信じてなんになるの? それで自分にとってどんな利益につながるの? 信じたからって守ってくれるの? 絶対に? 自分の身を犠牲にしても?」
少年の疑問にリンディは答えることが出来ずそのまま黙り込む。 それを確認した少年は再び歩き出した。 少年の行先までの順路は至ってシンプル。 一直線の道筋からなる廊下はただ一つの扉へと繋がっている。 上層部の中でも限られたものだけが入室することを許可されている部屋。 そこには、本局統幕議長・法務顧問相談役・武装隊栄誉元帥ら三人を中心に纏まっている管理局の心臓ともいえる人物たちが顔を揃えて日々意見を交わしている場所である。 そこを目がけて少年は進んでいく。 リンディの静止を振り切り、扉を開けた。
円卓上に囲まれた輪の正面で、資料を読んでいた初老の男性は突如入室してきた少年の姿を見ると、優しく穏やかな笑みをたたえて声をかける。
「キミはどこからきたのかな? 迷子にでもなってしまったかの?」
その横にいた初老の男性と同じくらいな年配の女性も少年の顔を見て声をかける。
「これまた可愛らしい侵入者さんだねえ。 ふむ……どうやって此処まできたのか」
立ち上がりながら少年に近づく初老の男性と女性。 その他の面々は突如やってきた少年に目を丸くしながらも、手を休めることなく仕事を進める。 そこにやってきたのは青ざめた表情を浮かべ冷や汗を流しながら飛び出してきたリンディであった。 リンディは面々に頭を下げる。
「も、申し訳ありません!? この子は現在扱っております闇の書の事件にかかわりをもってしまった人物でして、その……えっと、……例の人の一人息子です」
しどろもどろになりながら、最後は蚊の鳴くような声で告げるリンディ。 リンディの言葉に二人は驚き、やがて破顔する。
「あの子の子供かい? これはまた将来有望な人材が挨拶にきてくれたみたいだねぇ」
「ふむ、確かにな。 しかし道を選ぶのは彼自身。 私達管理局は強制することはできないよ。 ──ところで、リンディ・ハラオウン艦長。 キミは何故こんな所で油を売っているのかな? 闇の書事件は一刻の猶予もない状態だと聞いている。 こちらはいまだに意見が割れていてね……」
先程とは対照的な顔と声のトーンでリンディに話しかけた初老の男性に、リンディは肩を震わせ頭を下げた。
「申し訳ありません……。 現在、硬直状態が続いている現状であり、民間協力者による説得の最中であります……。 しかし、いずれにしても闇の書は──」
続きを話そうとするリンディに男性は手で制止させる。 一方、女性は少年の頭を撫でながらポケットから取り出した飴を手のひらの中に落とす。 なんとも微笑ましい光景、孫と祖母が再開した時のようなそんな光景。 だが、そんな光景も少年の絞り出すような声で霧散する。
「……闇の書の所有者は……どうなるんですか?」
真っ白なキャンパスに一滴の黒が落ちるように、少年の言葉は室内に広がっていく。
「はやては……八神はやては……無罪になるんですよね? フェイトのときだって大丈夫だったんだし、はやてだって大丈夫ですよね?」
少年の問いに答える者はいなかった。 否、答えることができなかった。 此処に存在している利口な大人たちは決して無罪になることはないと知っていたから。
全員の反応を確認し、少年は男性に再度問う。
「ねぇおじさん、答えてよ。 はやては無罪になるんでしょ? ならないとおかしいよね?」
「なんで……そう思うんだい?」
「だっておかしいだろ!? はやては何もしてないじゃないか!?」
しゃがみこみ少年と同じ目線になった男性の顔に唾が飛ぶのも気にせず、少年は怒号にも似た叫びを上げる。 男性は冷静に、頭を振った。 横にゆっくりと何度も頭を振った。
「“なにもしていない” そんなことはない。 げんに、闇の書の所有者である女の子のせいで世界の危機にまで発展しているのだからね」
「だからって、それははやてが望んでやったことじゃ──」
「望む望まない関係なく、彼女が闇の書を所有しているということが大事なんだよ。 わかるかい、坊や?」
「さぁ、帰るんだ。 キミをまっている人達が沢山いるだろう?」 男性は少年の肩を押してリンディに託す。 リンディは少年を後ろからしっかりと抱きしめると、促すように一歩後ろに踏み出す。 しかし、少年の体は動かなかった。
「“キミをまっている人達が沢山いる?” 知ってるよ、そんなこと。 でも、約束したんだ。 なのはやヴォルケンと約束したんだ。 約束したんだ、はやてと。 一緒に色々なところを二人で歩いて遊びに行こうって約束したんだ。 はやてにだって待っている人達は沢山いる。 貴方達は──そんな女の子を見捨てるんですか? 歩けないのに、希望に向かって歩みを進める女の子を見捨てるんですか? 闇の書を所有していたから。 そんな理由で、」
「私情を挟むつもりはない。 それが管理局の、武装隊栄誉元帥の答えだよ」
無情にもバッサリと、少年の言葉は切られていった。
「いま此処に10人の人間がいるとして、9人と1人のグループに分けられたとしよう。 その手で救えるのは一つのグループしか存在しない場合、9人を選ぶのが管理局だ。 例え、その1人がキミでいう所の友達だとしても、だ。 それが管理局であり、それが現実だ」
男性は背を向けながら言葉を綴る。
「世界とは相応にして、調整されている。 バランスをわきまえている。善と悪・幸福と不幸・男性と女性、どちらか一方が増すことがあっても、どちらか一方が消えることはない。幸福の中に不幸があるように、不幸の中に幸福があるように、善の中に悪があるように、悪の中に善があるように世界はそうやって作られている。 友達を助けたい、なんとも綺麗で美しい友情だ。 けれども、キミは理解しなければならない。 キミが助けようとしている女の子、それに付属している闇の書がどれだけの人間の数を奪ってきたのかを」
コツコツコツ、靴音を立てながら近づく。
「確かに、その女の子自身には何の罪もないのかもしれない。 けどね、闇の書には罪があるんだよ。 沢山の命を奪ってきたロストロギアには罪が存在するんだよ。 そして現在、それを所持しているのが彼女だ。 無罪にすることは簡単だ。 だが、それでは納得できない者達も大勢いるんだよ」
少年には理解できなかった。 闇の書で家族を失ったわけではない少年には理解することが難しかった。 少年は気づかない。 自分の後ろで、唇が裂けるほどに溢れ出る衝動を抑え込んでいる女性など気づかない。 それでも少年は言い続ける。 世界の真理に対抗する。
「……ダメ……なんですか? 9を見捨てて、1を救うことのどこがいけないんですか?」
「合理性に欠けている。 それに、キミのいう1とは闇の書の所有者のことだね。 では、少年。 9の中にキミの友達が沢山入っていたとするなら──キミはどちらを選ぶのかな?」
誰が9の中に存在している人物全員が、赤の他人だと断言しただろうか。 9の中に高町なのはが入っていてもおかしくない。 9の中にフェイト・テスタロッサが入っていてもおかしくない。 少年は今度こそ理解していなかった。 『9を捨てるということは、友達を捨てること』、であり、『1を見捨てるということは、友達を見捨てるということ』であることを理解していなかった。 これがいまの現状であり、これが現実である。
少年は言葉を失った。 勇ましく乗り込んではみたものの、得たものは子供には厳しすぎる現実で、失ったものは自分の甘い理想論。 浮かびは消える友の笑顔、消えては浮かぶ彼女の涙。 その間で揺れ動く想いに終止符を打つものはなく、少年は力なく項垂れた。
室内の空気は重く、誰もが作業を中断させていた。 そんな中で、少年は呪詛のように小さく呟いた。
「……潰れろよ……。 女の子一人助けることができないような無能共なんかいらないだろ……」
水面に波紋を立てるように、少年の言葉は空間の全てに響き渡った。
「……ふざけんなよ、期待外れもいいとこだよ……」
「上矢君……?」
「雑魚、無能、間抜け、役立たず、やっぱり大人ってクズしかいないじゃねえかよ! お前らに──誰かを失う辛さが分かるのかよ!?」
いまにも掴みかからんとする少年は、さながら狂犬のようであり、男性の咽喉元を食い千切るばかりの勢いであったが、その後に乾いた音が室内に響き渡ったことで、少年はその場で立ち往生することとなった。 赤くはれ上がった頬に手を置きながら、目の前に立っている女性に茫然としながら。
女性は、上層部の連中に深々と頭を下げ、ついで少年のほうへと向き直った。 同じ目線になるようにしゃがみこみ、肩を掴む。
「『誰かを失う辛さが分かるのか!?』ええ、私は分かるわよ。 痛いほどわかるつもりよ。 けどね、上矢君。 そんなもの、この場においては意味もない問題なのよ。 この場での答えは一つ。 『上矢君の行動は徒労に終わった』という事実だけよ。 自分より相手の言い分のほうが正しかっただけ。 自分の理想論より、相手の現実論のほうが理に適っていただけなの。 ほら、満足したでしょ? もう帰りましょう?」
母親のように優しく頭を撫でるリンディの手を少年は振り解いた。 その反応を見て、リンディはため息を吐き──俯き涙を流していた少年の顔を強引に自分と向き合わせ、室内に声が反響するほどの大声で叫んだ。
「悔しかったら、自分の理想論を押し通せるだけの力を身に着けなさい! 誰もが貴方を認めるような、そんな立派な存在になりなさい! 小さな女の子を守れるような、そんな大人になりなさい! どんな不足な事態が起ころうとも、動じない男になりなさい! 皆を安心させることができる男になりなさい! ──悔しかったら、私たちが驚き、降参するようなことをやってのけなさい!」
女性には既に出来ないけども、此処にいる大人には出来ない芸当だとしても、これから未来を歩く少年になら出来るかもしれないのだから。
少年は女性の胸の中で泣き喚いた。 涙の貯水がなくなった頃、男性が胸のバッチを外しながら少年へと声をかける。
「キミに一つ、宿題を授けよう。 問題はこうだ。 『9人の女の子がいまにも谷に落ちそうです。 しかしその一方で、1人の女の子が川で溺れようとしています。 救えるのはどちらか一方だけである。 さぁ、キミならどうする?』 キミがその答えに辿り着き、自らの手でこの扉を開ける瞬間を私は楽しみに待っているよ。 それまで、このバッチはキミに預けておこう」
少年の手をゆっくりと広げ、自分が身に着けていたバッチを託す。 その光景に後ろで様子を伺っていた上層部の連中がどよめきたつが、そばで行く末を見ていた年配の女性が手で制す。
女性に抱っこされた少年は、そのバッチを見て、ついで男性を見て、男性の顔面にぺっと唾を吐いた。
「あんたなんて大嫌いだ」
☆
彼が道を間違わないように、10年間同じ場所に存在し続けているこの部屋で私は語る。
「10年前、私は一人の少年に出会った。 その少年は、友達のためだけに闇の書で亡くなった遺族のことを見捨てろと言ってきた。 面白い少年だった。 どんなことを言われても、自分の理想を一切曲げようとしない不可思議な少年であった。 それでも私は、何故かその少年に未来を託してみたくなったのだ。 本当に不思議なことに。 現役のエースオブエースでもないのに、その少年のそばにはエースオブエースとして現在活躍している女の子がいるというのに。 何故か私は彼に未来を託してしまった。 批判は勿論あった。 それでも、後悔なんて微塵もなかった。 後悔も反省もない、しかし心配の種は残っていた。 だが、それも今日で終わりになるらしい」
目の前に立っている青年へと変貌を遂げた少年は、10年前に預けたバッチをこちらに放り投げながら笑った。
「彼の言葉は非常に難解だ。 善の中に悪を持ち、悪の中に善を持つ。 彼の言葉に意識を集中することだ。 彼の一挙一足に注目することだ。 この者に対して、最大限の警戒を行うことだ」
19歳だからと甘く見るな。 自分より年下だからと甘く見るな。
何故なら彼は、
「目の前に立っている男こそが、管理局設立以来、史上最悪のテロリストだ」
キミの答えを聞かせてもらおう。
丁度のその瞬間、零時を知らせる鐘が鳴った。
9月3日を知らせる鐘が鳴った。