二話



 がやがやとクラスがとても騒々しい。それもそうか、なんせイケメンと美少女トップ2が一緒のクラスになったんだから。

「明くん、ほんとに記憶にないの? 姫条さんに何か犯罪まがいなことをしちゃったんじゃ……」

「僕にそんな度胸あるはずないだろ」

 疑い100%な視線で僕の顔を逸らさずに見つめてくる佳奈に、僕は呆れ半分で答える。もう半分は本気だ。僕と佳奈はめでたく同じクラス、2年6組に在籍することになった。佳奈がこの6組に入る瞬間は男子の視線がとても痛かった。なんで僕が舌打ちされなきゃいけないんだ……。

「うーん……でも確かに明くんはそんな犯罪まがいなことしないよね。というかできないよね。だとしたら、なんで姫条さんは明くんにあんな嬉しそうに話しかけたのかな?」

「それは僕が聞きたいよ」

「……幼馴染とか?」

「まって佳奈、なんでいま一歩後ろに引いた?」

「だって……明くんの幼馴染でしょ?」

 僕と幼馴染というのはそんなに恐ろしいものなのだろうか。

「仮に僕と姫条さんが幼馴染だとしたら、僕があんな可愛い人を忘れるわけないだろ」

「それもそうだね。 ごめんごめん、疑ったりして。 お詫びにちゃんと数学教えてあげるって」

 先程とは打って変わってからからと笑う佳奈。よいしょっと言いながら佳奈は机の上に座る。先生がまだ来てないからって行儀悪い奴だなぁ。

 それに──

「佳奈、僕の机に座るのはいいけど、パンツ見えるよ?」

「はぅわっ!?」

 変な声をあげながら勢いよく飛び降りる佳奈。自身の短いスカートを両手で押さえながら、頬を赤くさせて聞いてくる。

「……みた?」

「いや、もう少し上げてくれたら見えたかな。というか佳奈はスカート短いよ」

「う、うるさいなぁ……。明くんは短いスカート嫌いなの?」

「大好きです」

「質問した私が言うのも間違ってると思うけど……明くん変態っぽい……」

 まって佳奈、お願いだから僕の机から離れないで。ハンカチで拭かないで。

「……はぁ。まぁ確かに変態さんの前で私もちょっと無防備すぎたかな。椅子貸して、私が座るから。明くんは立っててもらえる?」

 佳奈のその提案に僕は是が非でも応えたい。しゃがんだり座ったり前屈みになると、下着が見える可能性は上がってくる。それを避けるためにも、佳奈が僕の椅子に座って僕が佳奈のように立つ。それが理想であり、当たり前なことなんだけど──

「むにゃむにゃ……」

 僕の膝の上に座り、机を枕にして寝てるしゅりを起こすのを僕の体と本能が拒否してるのだ。

「むぅ……しゅりあきらのこと……だーいすき」

 いますぐにでもしゅりを抱きしめたい衝動に駆られる。でもだめだ、家に帰るまでしゅりとのスキンシップは我慢しなければ。必死に自分で自分を自制する。

 考えろ──考えるんだ僕。しゅりを起こさずに、佳奈を椅子に座らせる方法を。

「……佳奈、僕の膝の上に座る?」

「……」

「えっと……つまり自分自身が椅子になることで物事の解決を図ろうと」

「さよなら明くん。もう私に話しかけてこないでね」

「まって佳奈!?違うんだ、僕は別にそっちの趣味があるとかじゃなくて!」

 しゅりと僕が両者ともwin-winで終わる方法がこれしかなかったんだよ!?

「僕は佳奈以外友達がいないんだぞ!そんな僕をキミは見捨てる気か!」

「明くん死にたくなってこない……?」

 僕は必死に佳奈の腕にしがみつきこの場から逃がさないように説得する。呆れ半分、憐れみ半分で僕を見る佳奈はその足を止める。ふぅ……なんとか思いとどまってくれたようだ。

「はいはいわかったわかった。隣の椅子を使えばいいんでしょ。 変態くん」

 いつの間にか僕の呼称が変わっているけど、そんなこと気にしていられない。

「はぅっ!?ふぁっ!……しゅりいまちょっとねてたきがする……」

 おはようしゅり。ばっちり寝てたよ。服によだれついてるし。

 佳奈に気づかれないように、指先でしゅりの口元をかるく突きしゅりによだれが垂れていることを伝える。

「えへへー、あきらあげるー」

 違う、ちがうよしゅり。僕はよだれが欲しくて伝えたんじゃないよ。いや、お願いだから制服につけないでってば!

「あきらいまなにしてるのー?」

 よだれを僕にねたくったしゅりが僕の手元を覗き込む。僕はいま佳奈のノートを見ながら春休みの問題集をノートに解いている最中だ。

 しゅりはそんな僕とノート交互にみて感心したようにうんうんと頷いた後──

「あそぼー!」

 僕に向かって思いっきり抱きついてきた。鳩尾から鈍い痛みが体中を侵食していく。一瞬息が詰まる。それでも僕は奥歯を噛んで耐える。痛みなんて感じさせないほどの当たり前な笑顔で『家に帰ってからね』、と心の中で答える。いまは遊んであげられない代わりに、目の前で僕の膝の上に座りはしゃぐ彼女を僕はそっと優しく抱きしめる。

 しゅりを抱きしめながら僕は佳奈に話を振る。

「それにしてもこないね、姫条さん」

「そりゃ人気者だからね。色んな男子にアタックされてる最中だと思うよ」

 シャーペンをくるくると指で回しながら佳奈が姫条さんのことを教えてくれる。……人気者って大変なんだなぁ。

「あれ? でも佳奈だって人気者だよね?」

「明くん? その言葉の真意を聞こうか」

 ニコニコとした笑みを僕に向ける佳奈。何故だろう、動悸が激しくなってきた。

「い、いや僕は別に佳奈に魅力がないとかじゃなくて!そ、そう!佳奈だって姫条さんに負けず劣らずなのにそういったことって聞かないし!ねっ!?」

「べつにないわけじゃないけど……。私も一年生の頃はかなりの数告白されてたりしたんだけど──そのたびに明くんの名前勝手に使わせてもらっちゃった」

 舌をちろっと出して可愛くポーズをとる佳奈。

「……え?」

「いや、だからね? 告白されるたびに明くんの名前だして断ってたの」

 何を言ってるのかさっぱりわからない。僕は何もわからない。

 ちょっとまって落ち着いて整理してみよう。

 佳奈は可愛くて成績だって優秀だし人当たりもいいから桜峰学園に入学してからすぐに人気者となった。そんな佳奈を男子がいつまでもほっておくはずがない。

 佳奈曰く、一年生の頃佳奈は男子から何回も告白されたらしく、それを断るために僕は名前をだされていた。つまり僕は生贄のような存在か。

「……生贄?」

「まぁあの時は他に知ってる男子いなかったし」

「ちょっとまってよ、もしかしたら僕はそれが原因で男友達ができなかったかもしれないだろ」

「私が女友達としているからもーまんたい!」

 両拳をぐっと握りしめる佳奈。でも佳奈のいうとおり僕には佳奈としゅりがいるからそれでいいか。それがなくてもほんとに男友達が出来ていたかどうかなんてわからないし。

 それにしても佳奈もやっぱり告白されてんだな……。

 佳奈から告白のことを聞かされた時、実はちょっとだけ頭が真っ白になった。一瞬、こうして隣にいてくれる佳奈が消えたような錯覚に陥った。

 恥ずかしいし引かれそうだから佳奈には言わないけど。

 黒板の上にかけられている時計で現時刻を確認する。そろそろ新しいクラス担任がきてもおかしくない時間なんだけど……一向にくる気配がみえない。

 きっとクラスが替わったから職員会議が長引いてるのかな?

「なんで授業がない日に限って先生って遅刻してくるのかなぁ」

「先生だって忙しんだよきっと。 はい、明くんこれ解いて」

 佳奈は僕にルーズリーフを一枚手渡した。そこに書かれているのは暗号。どうやら佳奈は僕に暗号を解けていっているらしい。

「いっておくけど、そこ明日のテストにでるからね?」

 二年生早々、僕の赤点回避は不可能に近い状況に立たされた。予測可能回避不可能とかこのことか。

「ほら、固まってないでさっさと解く!まだまだしなきゃいけない問題は沢山あるんだから!」

 急かす佳奈に応じるように僕は問題を解いていく。いや、僕は問題と無言の視線を交差させる。アメリカ映画のラブシーンのように、見つめ合う紙と僕。 あぁ……キミはなんて情熱的な紙なんだ。さぁいますぐ僕にキミの裸体を見せてくれ。キミの全てを曝け出してくれ……。

「そういえば明くんさ、そんなに私が告白されてたことショックだったの?」

 キミの裸体を見れるなら──え?

「いや、だって私が告白されたこと話したらかなりショック受けてたし」

 自身の数学ノートに目を通しながら、僕の方に一度も振り向かずに喋る佳奈。

「はっ、何言ってんだよ佳奈。佳奈が告白されてたくらいじゃショックなんて受けないよ」

「明くん、紙は食べ物じゃないから食べちゃダメだよ」

「僕にとっては貴重な栄養源なんだ」

 佳奈は分かりやすいなぁ……と呟きながら僕のほうに顔を向ける。

「大丈夫、私は明くんのそばにいるよ」

 僕だけが知っている、佳奈のこの笑顔。その笑顔を佳奈はあの時同様、僕にもう一度見せてくれた。

「ずるいなぁ」

「えへへ、女の子の特権だよ」

 佳奈と二人で笑い合っていたそのとき、黒板側の教室入口が騒がしくなった。

 その中心から二人の人物が教室内へと入ってくる。一人は学園のアイドル、姫条茜さん。そしてもう一人は学年No.1イケメン、五郊隼君だ。姫条さんは自分の席を確認し、そこに行儀よく座る。五郊君は姫条さんの机に先程の佳奈同様に座り、何か話しかけている。それに微笑みで答える姫条さん。その姿はまるで恋人同士のようだった。

「……お似合いだなぁ」

「そお? 私には五郊くんが必死に姫条さんに話しかけているようにしか感じないな。なんかモテないナンパ男が必死に口説いてるって感じがするけどねぇ」

 五郊隼。容姿端麗・成績優秀・幅広い交友関係と非の打ちどころのない男子。ファンクラブまで存在している始末だ。しかし、盲信しているファンクラブ以外からは不穏な噂も飛び交っているらしい。

「五郊くん、取り巻きも女の子の一人を妊娠させたって噂もあるし。そういう人は何するかわからないから、明くんも気を付けたほうがいいよ」

 そう、これが五郊君の噂だ。

「でもさ、生徒の間でそんな噂が飛び交っているのに学校側は何もしようとしないね」

「そりゃそうだよ。噂じゃ学校は動かないよ。それに、五郊くんは先生の信頼を一心に受けてるからね。それに引き替え、妊娠したという女子生徒はお世辞にも品行方正な生徒とはいえなかったし。どっちの主張を信じるか、そんなこと考えるまでもないでしょ」

 まぁ確かにそうだ。だからあの五郊君の噂だってほとんどの生徒は信じていない。

「でも佳奈はその噂を信じてるんでしょ? さっきの掲示板で嫌そうな顔してたし」

「噂うんぬんの前に私は五郊くんのことが苦手。なんかボディタッチしてくるし、明くんを盾にして告白断ってもしつこくついてくるし。私ああいう人って嫌いなんだよね」

 佳奈と僕は姫条さんと五郊君を見る。佳奈の視線に気づいたのか、五郊君は僕と佳奈の方に振り向いてにこやかに笑みを浮かべて手を振った。クラスの女子が軽い悲鳴を上げる中、佳奈だけは、

「アホらし……」

 そう冷めた意見を述べた。

『いやーすまんすまん! 職員会議が長引いてな!』

 僕と佳奈、姫条さんと五郊君の談笑は、新しい担任の先生の声で終わりを告げた。

            ☆

 二年生初めのホームルームが終わり、僕は眠そうに眼を擦っているしゅりの手を掴んで席を立った。正直に言おう。教室は僕にとってとても居心地が悪い。理由は単純明快、僕が学園のアイドル、姫条茜さんに声をかけられたからだ。それも彼女のほうから、笑顔で。

 僕は佳奈がくれた情報を侮っていたのだ。

 ホームルーム中も僕に向けられる好奇な視線と嫉妬の眼差し。しゅりが話し相手になってくれなかったら、僕はどうなっていただろうか。

「これは鬱になりそう……」

 こういうときは早々に帰ろう。そう思い教室を出ようとした直後、

「ちょっといいかな、楯梨君」

 僕は思いもよらぬ人物に呼び止められた。

「いま時間あるかな?二人でお話したいことがあるんだけど……」

「かーえーろー!しゅりはやくおうちにかえりたいー!」

「ごめん五郊君。春休みの自堕落生活がたたったのかなぁ。学校にいるのがちょっとしんどくなってて。そろそろ限界なんだ」

 しゅりだってこの通り限界寸前だ。元々しゅりにとって学校は大嫌いな場所なのだ。僕が家の中みたいに接してくれないから。僕だって本当はしゅりと一日中いちゃいちゃしたいけど、学生だから学校は行かないといけないし。それでも僕のために笑顔で学校についてきてくれるしゅりはとっても偉い子だと僕は思う。

 だから、せめて僕は誰よりも早く帰宅しようと思っている。ずっと待ってくれているしゅりのために。

「そういわずにさ、ちょっとだけだから」

 だというのに五郊君はかたくなに僕の腕を離そうとしない。なるほど、佳奈が五郊君のことを嫌いになるわけだ。初対面の僕でさえ、嫌な印象を抱いてしまう。ちょっと鬱陶しい。

「頼むよ」

 僕の腕を離さない五郊君に負け、僕は数分間だけ学校に留まることにした。教室で心配そうに僕を見ていた佳奈に大丈夫とアピールしながら。

「もー! あきらのばか!」

 頬を膨らませて怒るしゅりを諌めながら。

            ☆

 五郊君に連れてこられた場所は体育館裏──ではなく既に使われていない焼却炉置き場だった。不良がいる学校ならば此処はいい溜まり場になっているだろうが、生憎この学校方針が作用してか不良の類は一切いない。そのため、放課後此処にくるなんて存在は僕と五郊君を除いているわけがなかった。

 五郊君の希望通り、僕と二人だけの空間が出来上がった。

「初めましてだよね、楯梨君」

「ん、まぁお互いクラスが違ったからね」

「でも今年は一緒になれてよかったよ」

 五郊君は僕に歩み寄る。

「楯梨君さ、片桐さんと中学からの付き合いなんだって?」

 片桐とは佳奈の名字だ。そして僕と佳奈は同じ中学校出身で、あの中学からこの高校に来たのは僕と佳奈の二人だけ。

「まぁね。それがどうしたの?」

 佳奈の名前を出すってことは、もしかして僕を使ってもう一度告白でもする気か?もしそうなら、止めておいたほうがいい。

「片桐さんとは付き合ってるの?」

「いや、別にそんな関係じゃないけど……」

「そっかぁ……。じゃあやっぱり僕が貰おうかな。あの子経験なさそうだし」

 …………は?

 予想していなかった発言に唖然とする。いまの僕はきっとハトが豆鉄砲くらったような顔をしていることだろう。

「えと……どういうことかな?」

 ようやく絞り出せたその声に、五郊君は嬉しそうに答えた。

「いや、僕ってグルメなんだよね。他人が既に使用したものなんて気持ち悪くて吐き気がしてくるんだ。それに引き替え初物は素晴らしい。あの純潔に覆われた中を蹂躙する、僕はあの瞬間がとてもたまらなく好きなんだ。でも僕って意外と面食いでさ、可愛い女の子としかそういうことしたくないんだよね。その点、片桐さんは全て合格点に達してるから、ちょっとあの子を食べたいなぁっと思って」

 嬉々として語る五郊君。そんなことを聞いてるんじゃない。

「へ、へ〜……五郊君ってそんな人だったんだね。い、いや〜意外だったな……」

 なんとか愛想笑いをしようと努力する。 ダメだ、キモすぎて作れそうにない。

「あ、その反応。もしかして幻滅した? 別に幻滅してくれて構わないよ。僕はそんなの気にしないからさ。 あぁそういえばさ、キミの前に一人、幻滅した女の子がいてね。 でもさあの女の子ヒドイんだよ。 ──僕の目の前で他人に穢された穴を見せやがって」

 それは狂気と呼ぶにふさわしい顔だった。いや、いまの五郊君の存在そのものが狂気だった。空気が変わる、背中に氷を入れたかのように背筋が凍える。僕はこの感覚に覚えがあった。初めて獲物側に回ったときと同じ感覚だ。

「ごめんね楯梨君。僕さ、耳が常人より何倍も良いから片桐さんと楯梨君の会話を聞いちゃったんだけどね──あの噂ね、ちょっと違うところがあるよ」

「……え?」

 あの噂って、あの噂……?

 五郊君が女の子を妊娠させたっていう──

「さっきも言ったでしょ? 僕は中古に興味ないんだ」

「じゃぁ妊娠したってのは……」

「妊娠?あぁあれは真っ赤なウソ、デマ情報だよ。僕はあの中古に一度も挿れてないし、挿れようとも思わない。興味がないから消えてくれって話したら涙を流しながら出て行ったよ」

 五郊君と話していると頭が痛くなってくる。

「一つ疑問なんだけどさ……」

「ん? なに?」

「どうしてそのことを僕に話すのかな……。僕がその情報を漏らす可能性だってあるんだし……」

 僕にはさっぱりわからなかった。なんでそんな重要機密を僕にこの男がべらべらと喋るのか。いったい何が目的なんだ……?

「そんなの決まってるじゃないか。キミに喋ったところで、友達がいないキミはどうすることもできないだろう? 僕ね、全部知っているのに無力で何もできないってシチュエーションが大好きなんだ」

 へらへらしながらそいつは言った。そいつは虐める側特有の下卑た笑みを浮かべながら僕に言う。もっとも、友達がいないのは事実なので言い返すことはできない。

「手始めに告白してみたんだけどさー、キミの名前をだして断ったんだよねあの女。ほんと……心底むかついたなぁ。まぁキミにこんな話をする最大の理由はそれかな? 僕もね、一応イケメンとして生まれてるし立場ってものがあるからさ。片桐さんみたいなことをされると困るんだよね。校内での僕の人気に陰りがつく。だからそんな彼女にちょっとした復讐も兼ねてね」

「……」

「あぁどう弄っていこうか楽しみだなぁ……。それにあの女を喰えば箔がつく」

 薄気味悪い笑みと笑い声をあげる目の前の男。佳奈、どうやらキミは間違ってなかったみたいだよ。 ほんと、キミの危機察知能力は高いなぁ。

「……」

「キミと違って僕は顔も良いし、性格もいい。彼女が拒んでも、彼女が避けても、彼女を取り巻く環境、彼女を支配する環境がそれを許さない。人間は全員が右を向いているときに、左を向くことはできないのさ。楽しみだなぁ……キミの名前を呼びながら泣き叫ぶ彼女の姿を見るのが」

 その瞬間、僕の中で何かが弾け飛んだ。火薬を詰めたビンが爆発するかのごとく、体の奥底から震えあがってくる感情を押さえつけずに僕は目の前の男に叩きつける。胸倉を掴みながら、心の奥底から湧き上がる憎悪を叩きつける。

「佳奈に指一本でも触れてみろ。──ただじゃおかないぞ」

 すごむ僕になおもこいつはニヤニヤとした笑みを浮かべて見つめてくる。

「おぉ怖い怖い……。 王子様気取りかよ」

「黙れよ。お前あれだろ? 佳奈と仲がいい僕に嫉妬してる最中なんだろ。ちっちぇ男だな。あ、でもそういえばキミって姫条さんとの今日会話してたよね。あれあれ? もしかしてそっちを口説くのも失敗しちゃったのかな? 意外とモテないんだね、イケメン君」

「あ?」

 その瞬間、胸倉を掴んでいた僕の手は振り解かれた。振り解かれた手は痺れ、鈍い痛みが支配する。

 目の前のこの男は、先程のにこやかな笑顔でも下卑た顔でもなく、狂気を滲ませながら僕に言い放つ。

「お前自分の立場わかってんの? 僕は人気者でキミはクラスの端にいる存在。学年でも居ても居なくても困らない程度の存在、それに比べて僕はいなくては困る存在なんだよ?キミがどんだけほざいたところで無駄だよ。ただ──モテないキミにそこまで言われるのは癪だね。僕にも一応プライドがある。そこまでいうなら、お望み通り二人の女の子を同時に食べてあげよう。キミは指をくわえてみてればいいよ。大丈夫、ちゃんと使用済みのモノは返してあげるから。──まぁ子どもが生まれるかもしれないけどね」

 僕は左拳を固く握る。もう我慢できない。既に臨界点は忘却の彼方へと過ぎ去っている。

「ぽぽぽ……あきら、しゅりがそいつ殺してあげようか?まぁどっちみち、あきらに手をだしたら殺すけど」

 僕の背後から鈴の音を転がしたような声が聞こえてきた。

 池に石を投石するかのごとく、しゅりの言葉は波紋のように広がる。五郊にはしゅりの言葉もしゅりの声も聞こえないだろうし、しゅりの姿も見えないだろうけど、しゅりの存在感だけは感じ取れる。一般人だろうと──存在感を出したしゅりの前では、体は勝手に防衛反応を取ろうとし、どう足掻いたところで体が勝手に震えだす。 いや、一般人だからかな。

 しゅりの存在感に流石の五郊も何かを感じ取ったのか、

「まぁそういうことで。僕はこの後、女の子達と予定があるからお暇するよ」

 そういってこの場から離れていった。

 静寂が場を支配する中、後に残ったのは僕としゅりだけ。

「しゅりありがと。 しゅりのおかげで助かったよ」

「ううん、いいよそんなこと。だってしゅりはあきらのためだけに存在してるんだから」

 そういってしゅりは僕に両手を差し出してきた。抱っこしてということらしい。僕はしゅりを抱っこしつつ、そばに置いていた鞄を肩にかけ校門へと向かって歩いていく。大分時間をかけてしまったから早く帰らないと。こんなことで母さんを心配させるわけにはいかないし。

 しゅりを抱っこしたまま僕は歩く。そんな僕にしゅりは服をくいくいと引っ張りながら、上目使いで言ってきた。

「しゅりおなかすいたー。あきらたべたい」

「あの……」

「しゅり、日本語は正しく使わないとね。僕は食べ物じゃないよ」

「あ、明君っ!お、覚えていますか!」

「おなかすいた」

 くそっ、しゅりめ秘儀『僕の言葉は通らない攻撃』を開始したな!

「ちょ、ちょっと無視しないでください!?わたし明君に会うために校門で待ってたんですから!」

「わかった、わかったよ。帰ったら僕を食べていいから、それまで我慢してね」

「へっ!?た、食べていいんですか!?」

「……ん?」

 しゅりとの会話に夢中になっていたためか、後ろにいる人に僕の独り言が聞こえてしまったらしい。ここは謝りながら愛想笑いでこの場を濁そう。

 そう思いつつ後ろを振り向いた僕は、目の前でテンパりながら顔を赤くしている彼女と目があった。

「えっと……あの……」

 予想していない人の登場で先程シュミレートした台詞が泡のように頭の中で溶けていった。だって彼女は学園のアイドルで、僕も彼女のことを可愛いと思っていてそれでいて──

「あ、えっと……覚えていますか? ほんとは明君と一年生のときからお喋りしたりお弁当食べたりしたかったんですけど──」

「姫条さんッ!」

「はぅっ!?」

 僕は思いっきり両肩を掴む。

 それでいて──たったいまから彼女は狙われているんだ。 あの男に。それも僕のせいで。

「姫条さん、いまから僕の言うことをしっかり聞いて」

「は、はい……。 でも明君、えっと……なんだか人だかりができてるんですけど……」

 姫条さんが周囲をチラチラと見回す。大方、暇を持て余していた人間か部活動の部員、あるいは姫条さんのファンの人達だろう。僕は自然と冷や汗をかいていた。それでも僕は彼女に伝えなければいけない。それにこれくらいの人数ならまだ僕は耐えられる。

「姫条さん、友達がいない僕に言われるのは癪だと思うし、僕を変態扱いしてクラスから腫物扱いにしてもかまわない。でもいまここでこれだけは言わせてほしい。姫条さん──五郊には気を付けるんだ」

「……へ?」

 僕の突然の特定のクラスメイトは危ない宣言に、頭にハテナマークを飛ばしながら呆気にとられる姫条さん。確かにその反応は正しいくらいに正しい。まさしく完璧な反応だ。でもいまの僕にはその反応にイライラしてしまうほど余裕がなかった。早くしないと人が集まってしまう。早くしないと囲まれてしまう。そう思えば思うほど、僕の声は大きくなる。

「だから姫条さん──」

「あきらー、なんかごみがふえてきたよー」

「……え?」

 背中に移動したしゅりの言葉で我にかえる。

 目の前できょとんとしてる姫条さん。周囲で僕と姫条さんを見ながらひそひそと話声が聞こえてくる。あぁ……懐かしいなぁ、この感じ。中学のとき以来だ。

 また会ったね、僕のトラウマ。

 無意識に体が震える、無造作に中学のときの記憶が蘇える。体から力が抜け落ち、支えることが出来なくなった四肢が崩れ去る。

 思い出す。僕の頭を押さえつける沢山の人の姿を。僕を指差し腫物扱いする人。僕を悪者に仕立て上げる人。

 それと同時に、佳奈がくれた優しさも思い出す。

 佳奈が僕に微笑んでくれたことを。佳奈が僕を抱きしめてくれたことを。佳奈が僕の名前を呼んでくれたことを。

 佳奈に会いたい、佳奈の声が聴きたい。思わず佳奈を探す。佳奈がいないどこにもいない。

 あぁでもしゅりがいる。僕にはしゅりという小さいけれど大きな存在がいつもそばでぬくもりを与えてくれる。どんなときでもしゅりが僕を守ってくれる。だって約束してくれたから。

「しゅり……しゅり……」

 僕は後ろにいる彼女に話しかける。 その声を求めて、その存在感を求めて。此処に存在する全てのものを消し去るようにお願いしながら。

「だいじょうぶだよ、あきら。しゅりはいつでもあきらのそばにいるからね」

 後ろからぎゅっと抱きしめられる。とても小さな手だけど、温かくそれでいて優しい気持ちが溢れてくる。あぁ……大丈夫。僕にはしゅりがいる。しゅりがいるから大丈夫。

 僕は後ろにいたしゅりに手を伸ばす。あぁ……早く帰ろう。さっさと帰ってしゅりと過ごして、佳奈と明日学校に登校するんだ。でも明日はテストだから、きっと佳奈は家に来てるかもしれない。

 なんとか立ち上がろうと努力する。それでも立てない、力が沸いてこない。

「あきら、こわいの?」

 うん、怖いよ。ダメなんだよ僕。こうやって誰かの注目を一身に浴び続けるとどうしても思い出すんだ。中学時代のことを。僕を指差すクラスメイトのことを。

「だったら、この場にいるひとたちしゅりが殺してあげようか?」

 いや、ダメだよしゅり。人間は殺めないって決めただろ?

「でもあきらつらそうだよ?しゅり、そんなあきらみたくない」

 大丈夫だよしゅり。すぐに元に戻るから。すぐ立ち上がって愛想笑いでこの場から立ち去るからさ。大丈夫、大丈夫。

 僕は自分に言い聞かせる。僕は自身に命令を下す。さっさと動け、僕の体。

 傍からみた僕はどんな表情をしてるんだろうか、どんな様子なんだろうか。

 ──精神異常者

 きっと僕はそう思われていることだろう。

 いつまでこんな話をしてるんだか、さっさと立ち上がろう。

 そう思い、足に力をいれた瞬間──とても優しいぬくもりが僕を包み込んでくれた。

 それはまるで僕の過去を払拭してくれるような、僕の過去を消し去ってくれるような、そんな温かさ。あぁ……佳奈やしゅり以外にもこんなに優しい人がいたんだ……。こんなぬくもりをもった人がいたんだ。

 改めて僕はみる。 僕を優しく抱きしめてくれた彼女を。

『あきらくんっ!』

 あぁ、また古い記憶がちらつく。誰かに僕の名前を呼ばれている。

「明君、大丈夫ですよ。わたしがちゃんといますから」

 彼女は膝をついて僕を抱きしめてくれていた。




まえへ もくじ つぎへ
なた豆茶 ■物置 ■絵画 ■雑記 ■繋がり ■記録帳