五話
母さんとの夕食を終えてそのまま入浴。一日の疲れをしっかりと癒した後、僕はパジャマ姿のままうつ伏せでベッドに倒れこんだ。
「はぁ……長い一日だった」
「いちにちはまだおわってないよ!」
ベッドに倒れこんだ僕に追い打ちをかけるようにしゅりが背中に乗ってくる。やっぱりというか当たり前というか佳奈より重くないなぁ。僕はもやしだからきっとしゅり以上に重いものはもてないな。
しゅりに一度どいてもらい胡坐をかく。そこにしゅりを抱っこして後ろから抱きしめる体勢にする。まるでぬいぐるみを抱いているみたいだ。しゅりは五歳の少女なので物凄く癒される。これも僕の日課といってもいい。今日は一日何をしたかとか、明日は何をしようか、なんてことをしゅりと話しながら眠るのが僕の就寝前の日課である。
いつもはしゅりのぽかぽかした雰囲気に包まれながら眠れるのだが、今日のしゅりは大層機嫌が悪かった。まず抱っこした瞬間、僕の足を抓る。だけど今日は100%僕が悪いので何も言わないし怒らない。ただしゅりのしたいようにさせる。
「なんでしゅりがおこってるかわかる?」
僕のほうを見ずに喋るしゅり。声からも何かしら怒った様子が分かるのだが……体が防衛本能全開じゃないということは本気ギレじゃないな。もししゅりが本気でキレたら僕なんて一瞬で塵になってしまうから恐ろしい。
「しゅりが怒ってる理由かぁ……。ちょっと心当たりがありすぎて」
「じゃあ一からいって」
「一から言うの? えっと、まずは姫条さんと話したこと。それからしゅりをちょっとだけ無視したこと。姫条さんを少しだけ優先させたことくらいかな?」
「もっともっといっぱいあるよ。まったくもう、あきらはだめだめさんなんだから」
両手をぶんぶんと上下に振るしゅりを僕は頭を撫でて落ち着かせる。
「ごめんごめん。明日からは気を付けるよ」
「ほんと? ぜったい? うそじゃない?」
「あぁ、嘘じゃないよ」
しゅりはその言葉を聞いて笑顔で小指をさしだしてきた。いつも交わす指切りげんまんのポーズだ。
「ゆびきりげんまん」
「嘘ついたら針千本のーます」
「「ゆびきった!」」
実際に針を千本も飲ませる人なんていないだろうけど。しゅりはこれでご機嫌になったのか、よく分からない鼻歌を歌いながら僕に全体重を預けて就寝の体勢に入る。本当にこういうところは子どもっぽい。
「しゅり眠いの? もう寝る?」
「ううん、ねむくないよ?」
嘘つけ。目がとろんとしてるじゃないか。ほらもう横になって毛布にくるまってるし。
僕はそんなしゅりの惨状をみて電気を消す。
暗くなったこの部屋でしゅり同様横になった僕は、しゅりに今日一日気になっていることを聞いた。
「しゅり、あいつはしゅりと同類なの?」
名前は言わない。僕と今日一日行動を共にしてきたしゅりなら分かるだろうから。
「同類? それはあれと同程度ということかな?」
くるりと毛布に包まれたまま僕のほうに向きなおるしゅり。普段の青き瞳は成りを潜め、この暗さでもすぐに特定できるほどの爛々と輝くその赤き瞳で僕を見る。滴り落ちる血のようなその瞳は、まっすぐ僕を捉えて離さない。
「しゅり……?」
「あのような雑魚と一緒にされては困る」
その身なりこそ少女だが、いまのしゅりはあの日初めてみた彼女そのものだった。中学時代、一度だけみた本気の彼女の姿。返り血を浴びたかのごとく真っ赤な着物、腰まで届く闇を溶かしたような黒い髪を風に遊ばせていたのは今でも覚えている。腰には日本刀。ひとたびその刀を振るえば、彼女の周りは全て切断されていた。いまでも覚えている。炎を遊ばせながら人を焼き殺したことを。無表情で人の首をはねたことも。
そのしゅりが、また僕の前に姿をあらわした。
冷や汗が玉のように額に浮かぶ。僕の本能が無意識のうちに叫びをあげる。警鐘を鳴らす。しゅりから見たら僕はきっと震えているだろう。瞳孔が揺れ動いていることだろう。それは当然だ。なんせしゅりと僕は狩る者と狩られる者。というよりも、しゅりの前では人なんて存在はそこらに転がっている雑草と同レベルだ。掴めば引っこ抜ける程度の存在に過ぎない。
それでも僕はしゅりに声をかける。
「しゅりから見て、先にどっちが狙われる?」
「それを聞いて明はどうする?」
「僕は二人とも守りたい」
ぽぽぽとしゅりは笑う。
「明、守りたいなら大本を断てばいい。一度に二人は守れない」
まるで僕を小馬鹿にするかのごとく、しゅりはぽぽぽと笑う。僕だってそんなこと言われなくてもわかってる。
「確かに二人を守るなら五郊をしゅりが殺せばいいだけの話だよ。でも、僕は殺すという行為に抵抗がある。今日の一件で嫌というほど理解した。僕は五郊のことが大嫌いだ。だけど、だからといって──」
「それはわがままだよ。守りたい、でも殺したくない、それじゃぁ明は指を咥えてただみてるだけになるよ?」
「……それはまぁそうだけどさ」
五郊は僕に佳奈と姫条さんを凌辱すると宣言した。佳奈と姫条さんに手を出すというのなら僕はそれを全力で阻止する。
「明が考えれば考えるほど、あっちの思う壺だとおもうけどね」
それは百も承知だ。あいつは僕が必死になって阻止しようとするのを楽しんだ上で、きっと佳奈と姫条さんを食べようとしてる。なんとなくわかる。性根が腐ってそうだし。じゃないとそもそも僕にあんな話をしたりしないだろう。
「そんなことわかってるよ。だけど佳奈の名前を出されたんだ、ここで逃げるわけにはいかないし、姫条さんだって今日一日しか話してないけどこれからもっと親しくなっていきたいと思ったんだ。だからしゅり、もしあいつのことを知ってるなら僕に教えてくれ」
「ふむ……まぁうろうろされても困る。愛する明の願いだ、二つほど教えてやろう。一つ、あの手のタイプは意地汚く卑しくやらしい生き物だ。相手を嬲りいたぶり精神的に追い込み、笑い声を上げながら奈落へと落とす。まぁ三流らしいやり方をする。そしてもう一つ、絶対におっぱいのほうを狙ってくるだろう」
「なんで?」
「よりうまそうなほうを最後に残すのは常套手段だよ。それに、あの手の性格からして、守れなかった明をさらに叩き落とすためにもそういうシチュエーションで攻めてくるはず。明はおっぱいよりもあっちのほうが仲が深いからな」
成程、確かに佳奈と姫条さんでは佳奈のほうが親交が深い。メインディッシュは最後にという魂胆か。それにしてもしゅりは姫条さんより佳奈のほうがうまそうだというのか。ここらへんは僕にはさっぱりわからないな。好みの問題……ってわけでもなさそうだし。でもまぁしゅりの見立てが正しいならば、
「五郊は姫条さんに的を絞って行動を起こしていくわけか。そして僕を精神的に追い込みながら、ゆっくりじっくり嬲り殺すように仕掛けてくると」
「まぁそんなところかな」
さて、どうしたものか。明日姫条さんに「キミは狙われているから僕がずっとそばにいるよ」なんてことを言ったら僕は姫条さんに嫌われた上に学校に居場所が無くなり引きこもりの人生を送ることになる。かといって何もしないってのはNGだ。
「気に喰わなんな」
僕が考えている横でしゅりがそう呟いた。
「え?」
「あいつは何故明にあんな話をしたのだろうか」
「だからそれは僕に分からせた上で佳奈や姫条さんを辱めるのが目的だからでしょ? そういったシチェーションが大好きみたいだし」
「いや、そもそもそうであるのなら、もっとやりかたがあるはずだ。この方法はあまりにも計画としては幼稚すぎる。いま明に話しても、明が自分の計画を邪魔してくるのは目に見えているはず。普通なら明がどう頑張ってもひっくり返らない状況をつくってから、じっくりと遊んでいくものだ」
「……確かに」
言われてみればそうだ。五郊は佳奈と姫条さんを辱めているところを僕に見せたいわけだ。主に佳奈だけど。佳奈に告白して振られたから復讐も兼ねてしますって僕に宣言するのはちょっと間抜けすぎるかもしれない。それとも……これには何か裏があるのか?もしかして宣言することで逆に僕の行動を制限するように仕向けたとか……。
「加えてあいつらの種族は失敗を激しく嫌う。いま明に教えることはリターンにくらべてリスクが大きすぎる」
しゅりの言い分はこうだ。五郊は失敗するのを嫌っているから、普段なら目的が佳奈と姫条さんを辱めている場面を僕に見せることだとしてもこんな早いうちから目的を本人に打ち明けることなんてしないはずだ。わざわざ自分から失敗するリスクを上げるなんてどういうことだ?ということか。
「……僕にはあいつの考えることなんてこれっぽっちも分かんないよ。分かりたくもないけど」
「それにはしゅりも同感。まぁ後々分かってくるかもしれないし、いまは阻止するほうに専念すれば?」
「それもそうだね。ありがと、しゅり」
僕はしゅりを一撫でして今度こそ眠りにつこうとした。そのとき、しゅりは僕に向かって囁いた。
「あきら、しゅりとの約束はおぼえてるよね」
小さな小さなか細い声量にもかかわらず、クリアに耳に侵入し脳内を揺さぶってくる。
「うん、大丈夫。ちゃんと覚えてるよ」
「そう、それならよかった」
僕の答えに満足したのか、しゅりは先程までの空気を完全に払拭させいつものしゅりに戻って抱きついてきた。
「おやすみ、あきら!しゅりあきらのことだーいすき!」
「おやすみしゅり。僕もだよ」
今度こそ眠りにつこう。そして明日は姫条さんにそれとなく注意しよう。僕はもう、自分の周りで誰かが傷つくのを見たくないから。
深い深い意識の中へと身を沈めるようにして僕は眠りについた。
☆
身長180cmの彼女は僕に笑いかけた。たったいま目の前で人を殺した手で僕に手を差し伸べてくる。人数なんて関係ない、現代兵器なんて通用しない、ましてや妖怪なんて相手にならない。純粋な力。圧倒的な暴力。彼女の前ではいかなるものも無駄なことだと僕は悟る。
僕はその日、はじめて彼女と出会った気がした。