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六話



 けたたましいベルが僕を強制的に現実世界へとたたき起こす。

「ふぁ……もう朝か。なんだか疲れがとれてないような気がする」

 体が重い、というかダルい。何か重いものでも常時持たされている気分だ。

 朝から陰鬱な気分になりながら体を半身起こす。……うん、なるほど。これは体が重くもなるはずだ。

 なんせしゅりが僕の腹を枕替わりにして寝てるんだから。

「しゅり、もう朝だぞ。早く起きなきゃ僕が遅刻しちゃうよ」

「しゅりきょうはがっこういくのやめるー……」

「いやいや僕が学校行かなくちゃいけないんだってば」

 別にしゅりは学校の生徒じゃないし。

「じゃぁあきらもやめよー……」

 そういう訳にはいかないんだよなぁ。

 今日はやらなきゃいけないことが沢山ある。まず春休み明け一発目のテストがあるわけだし。

「ほら僕はリビングにいくよ」

「あきらだっこー……」

 寝ぼけ眼な目をこすり、むにゃむにゃしながら両手を僕に伸ばすしゅり。昨日の夜の存在感が嘘のようだ。

 僕は勿論しゅりを抱っこしてリビングへとおりていく。そのまま母さんに挨拶をし、朝ご飯に手をつける。

「母さん、今日も父さん早かったの?」

「朝から大急ぎで家を出てったよ。なんか部下がやらかしたとか言ってたかしら」

「上司になるのも楽じゃないね。部下のミスは上司のミスになっちゃうのか」

「まぁあの人の場合、部下を見捨てたり切り捨てたりしないからその分余計に大変なのよね」

 食卓につく母さんと僕が起きるよりも前に家を出て行った父さんの話で盛り上がる。確かに部下のミスを部下に押し付けないで自分も連帯責任を負うことは今の世の中だとうまい生き方とはいえないけど、僕はそんな父さんを誇りに思う。

 ふいに部屋から一緒にもってきた携帯が小刻みに震えだした。バイブ音から察するにメールだろう。

 食事中なので後でメールを読もうとすると、続けざまに2回3回とメールが飛んでくる。

「なんだろうね? 明読んじゃったら?」

「うーん、そうしようかな」

 テーブルの端に置いていた携帯に手を伸ばし自分のほうに引き寄せる。僕はいまだにガラパコス携帯なのでぱかりと開いて新着メールを開く。

 差出人は佳奈だ。朝早くからどうしたんだろ?メール確認してみようかな。なになに……。

「へー……珍しいこともあるもんだなぁ」

「なんて書いてあるの?」

「んーっと、今日は学校一緒に行こうだってさ」

「あら? 佳奈ちゃんからのお誘い? 佳奈ちゃんなら私いつでもいいわよ? 他の子だと明を取られたようで嫌だけど、佳奈ちゃんなら問題ないわ」

「母さん何の話してるの」

 こんな話、佳奈が聞いてたらどうしたものか。いまの僕と佳奈の関係が壊れるかもしれないよ。

「言っておくけど、僕と佳奈は母さんが思ってるような関係にはならないと思うよ。佳奈は僕の友達、ただそれだけだから」

「ええ、私も明と佳奈ちゃんは友達の関係だと思ってるわよ。ところで明はどんな関係を想像してたの?」

 ぬぐぅ……!そうきたか母さんめ!

 僕がぐぬぬと顔をしかめていると、携帯のバイブが音を立てて振動しはじめた。僕が登校する時間が来たようだ。それと同時に玄関からもチャイムのベルが鳴る。どうやら佳奈が迎えにきてくれたらしい。

「それじゃ母さん、佳奈待たせると悪いからもう行くね。ほらしゅりいつまでテーブルの上でよだれ垂らしてんの」

「しゅりまだねむいー……」

 ぐずるしゅりを抱っこして僕は玄関へと向かう。

「おまたせ佳奈」

「おはよー明くん、おはようございます杏さん。お、えらいねもう準備万端じゃん」

「そりゃ佳奈を待たせるわけにはいかないからね。それじゃ母さん行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」

 母さんに手を振りながら家を出る。

「今日は杏さん素直に明くんを学校に行かせてくれたね」

 通学路を歩きはじめると、隣にいた佳奈が軽く笑みを浮かべて話しかけてくる。

「佳奈が僕のことをメールで誘ってくれたからだよ。母さんは僕のことになると少し心配性になるけど、だからって誰これ構わず信じてないってわけじゃないしね」

「ふーん、それって杏さんから明くんのことはOK貰ったってことかな?」

「みたいだね」

 実際、あの母さんから僕のことであそこまで信用・信頼されている人はとても珍しい。

 でも、中学を経てなお僕とこうして付き合ってくれている人間はものすごく珍しい。

「そういえば明くん、今日はテストだけど大丈夫? ちゃんと勉強してきたんでしょうね?」

「問題ないよ。出題傾向は完璧に理解したからね。昨日あれだけやったんだから」

「そっか、なら安心だね」

「でも答えられるかどうかはわかんない」

「なにその予測可能回避不可能な状態」

 呆れ果てた目で僕を見つめてくる佳奈。そんな目で見られると変な気持ちになっちゃうからやめて。

「ところで佳奈、今日はどうしたの? 佳奈が僕を登校に誘うなんて珍しいことこの上ないことだけど」

「んーまぁね。ちょっと気になることがあってさ」

「へー、どんなこと?」

「ないしょ」

 ちぇ、なんだよそれ。いやでも僕としては佳奈と一緒にこうやって登校できるからいいか。

「しゅりねー、ねこさんになろうとおもうの」

 よかったねー。

 僕にはよくわからないけれど、しゅりはいきなり猫になることを決めたらしい。その証拠に両手で猫耳の真似をしている。うん、僕にはなんでいきなり猫になったのかさっぱりわからない。でもこれだけは分かる。いまのしゅりはめちゃくちゃ萌える。

「ねこさんはねー、ずーっとそばでごろごろするのがおしごと!だからしゅりあきらのそばでごろごろしてる!」

 うん、そうだね。なにそのヒモ宣言。

 僕におんぶされながら動きまくるしゅりは、何故か僕にヒモになることを宣言した。元々僕はしゅりを養うつもりだったけど、こうも堂々と宣言されると困るなぁ。

「明くんどうしたの? 眉間にしわが寄ってるよ?」

「あぁごめん。少女を養いながら生活するのってどれくらい大変なんだろうかと思って」

「まって明くん。自分の言動におかしな点がないかちょっと考えてみて」

「確かに愛があればそれくらい苦にならない気はするけど」

「違う、私が言いたいのはそこじゃない。明くんに必要なのは愛より法律を勉強することだよ」

 はたしてしゅりにこの国の法律って適用されるんだろうか。

「まあまあ流石に冗談だよ。それに僕だってそんなくだらないことで捕まりたくないし」

「よかった……明くんがロリコンになったのかと思って焦ったよ。捕まったら流石に毎日面会には行けないしね」

「それでも面会には来てくれるんだ」

 佳奈は天使かはたまたコンデンスミルクで作られているんだろうか。

 ほっと胸を撫で下ろす佳奈を見ながら僕はそう思う。

 今日の登校時間はとても幸せなものだった。

 既にこの時間登校ラッシュの時間へと変わっているようで、学校へと続くこの道を僕と佳奈の隣を幾人かの生徒が通りぬけていた。僕は携帯で時間を再確認した後、出来るだけゆっくりと歩を進めていく。僕のこの変化に気づいてくれたのか、佳奈も歩くペースをゆっくりにしてくれた。その間にも僕の佳奈の隣を多くの生徒が追い越していく。どんなにゆっくり歩いていてもいずれ目的地には着いてしまう。僕は眼前に迫った学校を見ながらため息の一つでも零そうとした間際、

『うわぁ、あいつが二年の姫条さんと一緒にいた男かよ。むかつく』

『なにあの男、姫条さんと昨日一緒にいた癖に、もう他の女と登校してきてる。さいてー』

『あれだろ? 噂だと姫条さんの弱みに付け込んでるとか』

 僕はそんな声を耳にした。

「……え?」

「明くん、早くいこ?」

「う、うん」

『てか隣にいる女って片桐さんじゃない?』

『ほんとだ。もしかしてあの子も弱み握られてるとか?』

『あぁ……だからずっと一緒にいたのか』

『可哀想だなぁ……片桐さんも』

「ッ!?」

「明くんッ!!」

 拳を握りしめて声のする方向に振りむこうとする僕を、佳奈は必死に腕を掴み自身に手繰り寄せることで制止させる。

 いきなりのことで頭が真っ白になる。なんだよ、なんなんだよいきなり!

「明くん、大丈夫、大丈夫だから教室にいこ。ね?」

 佳奈は僕の手を取り教室への道順を辿っていく。その間にも僕に向けられる好奇と……嫉妬・否定の目。否応なしに僕の心を燻り動かす。

 下駄箱で靴を履きかえ自分達の所属するクラスへ行く道すがら、佳奈は小さく僕にだけ聞こえる声で話しかけてきた。

「明くん、私昨日言ったよね? 姫条さんに手を出したりしたら殺されるって」

「だ、だとしても殺すってのは冗談なんだろ?」

「うん、殺すのは冗談だよ。でもね、嫌がらせはされちゃうの」

「嫌がらせ? さっきの正門での出来事が嫌がらせだっていうのか? あれが嫌がらせの範疇なのかよ!」

「そうだよ、あれが嫌がらせの範疇なの。そしてその嫌がらせはずっと続くの。なんせ明くんは学園のアイドルである姫条茜という人物の肩を抱き、相手も明くんのことを抱きしめた。そしてその後二人は仲良く昼食を食べ公園でデートをした。たったそれだけのことで、嫌がらせをするの」

「そ、そんなのって……バカげてるよ……」

「──明くん」

 佳奈の声に思わず僕は呻く。そんな僕に佳奈は真正面に位置を変え、そのまっすぐな瞳で言い切った。

「学校はそんなところだったでしょ? 出る杭は打たれ、異端者は弾き出す。明くんはそのことを十分に分かってるはずだよ。明くんは当事者で中心人物だったでしょ? 私達の母校で起こった『千切れ折り鶴事件』で学んだはずでしょ?」

「で、でもあれは──」

「明くん、私はもう明くんのあんな顔は見たくないの」

 僕を見つめる佳奈の瞳に僕は耐えることが出来なかった。脳裏にあのときの記憶が蘇える。学級裁判という晒し者の見世物小屋、何も見なかったと主張する教師、助けてくれない学校、学校中に渦巻く狂気、そして──それを肴に人を弄んだ妖怪。

「明くん、この学校になんで不良という存在がいないか考えたことはある?」

「それは……学校の教育方針で──」

「学校という鳥籠の中に対して、不良という鳥は異端だからだよ」

「……え?」

「この鳥籠の中には同じ血液型で、同じ毛並をして同じ鳴き声で同じ時間に排泄物を出し同じ時間に散歩をして帰ってくる、そんな鳥しか存在しちゃいけないの。右といったら右を向くことしか許されない。此処はそんな場所なの。毎日毎日決まった時間に餌を与えられ、決まった時間で食べ終わる。そうしなければ生きていけない場所なの」

「……まるで人形みたいじゃないか。個性を出すことも許されない……、他とは違った提示案も出しちゃいけないって……」

「そうだよ。此処の生徒は目には見えない空気に操られながら過ごしているの」

 僕は改めて他の生徒を見る。皆が皆僕のことを口角釣り上げて見つめていた。指をさしていた。いまこの学校を支配している空気が『楯梨明を貶めろ』と命令しているんだ。

 頭の中がくらくらする、目がパチパチして焦点が定まらない。

「姫条さんと接するのがそんなに悪いことだったのかよ……」

「少なくともそう思っている人がいる。だからいまの現状があるの」

 話は終わりだといわんばかりに佳奈は僕の手を引いて僕たちの教室の中へと入っていく。

『──』

 一切の無音の空間。僕が教室に入るまできゃっきゃうふふとはしゃいでいた空間も、僕が教室内に侵入した瞬間霧散した。

 佳奈はそれを予期していたのか、

「明くんこの時間にテスト勉強しよー」

 そういって強引に、なんともない風を装って僕を席につかせた。

「ほら数学のテストが心配なんでしょ? いまこの時間に追い込みしておかなきゃ!」

「う、うん……」

 両拳を握りしめて僕に話しかけてくれる佳奈。……大丈夫、僕はまだまだ大丈夫。僕の体はまだ震えている。役に立たない骸にはなっていない。

 ふと、僕のノートを指さす佳奈の手が震えているのに気づく。ぶるぶるという表現よりもわなわなという表現が似合いそうな、そんな震え方。僕は佳奈のほうを見た。佳奈の口は固く固く一文字に結ばれており、手だけじゃなく体全身が震えていることに気が付いた。

『片桐さんも偉いよねー。あれと話ししてあげるなんて』

 佳奈は口を強く結んでいた。そうだ、佳奈が僕と一緒にいるということは下手したら佳奈だって対象にされるおそれがあるんだ。

「か、佳奈……」

「大丈夫だよ明くん。私は平気だよ」

 にっこりと下手くそで不細工な笑顔を浮かべる佳奈。佳奈の笑顔はこんなに不細工じゃない。……僕はいったい何をしてるんだよ。

 先程の声の発信源を辿る。いまクラスの全員が僕を的だと思っている。クラス全員の口元を注意深く観察する。指をさしている人物、僕に見えないように手で口元を遮りながら話す女子。そして──意地悪そうな顔で僕たち二人を見つめる女子のグループ。僕と目が合った瞬間に少しだけ、本当に少しだけ視線を逸らした。

 見つけた──

 僕は椅子を蹴り倒し声を出そうと大きく深呼吸をした──その瞬間、隣から強い力をもってそれらは制された。

 「明、この女の意志を穢すつもりか?」

 僕の腕を掴んだまましゅりが話しかけてくる。目線は前を見据えたままだが、静かに低くその声は僕の耳に入ってくる。他人の声で五月蠅いはずなのに、えらく澄んで聞こえてくる。

「いま明が突っかかれば、拳を強く握り、口を固く結んでいるこの女の頑張りはどうなる?すべて水の泡になるぞ?」

 でも、だからといって──

「恩を仇で返すつもりか?」

 しゅりの言葉が僕の体を縫いとめる。僕の体はピンで標本されたように動けなくなった。

「もし、明がそれでいいのなら行動を起こせばいい。……それにしても、この学校を支配するのが空気とはうまいことをいったものだ」

 くっくっくと笑うしゅり。

「人間はいつもそうだ。自分達には解明できない手に負えないものは空気で片付けたがる。場を支配するのはいつだって強者だ。まったくこの女は相も変わらず、おめでたい頭だ」

 やれやれと頭を振るしゅりに、僕は小声で話しかける。つもりだったが、僕の声は音を振動させることが出来なくて、金魚のように口をパクパクさせるだけだった。しゅりはそれでも分かったのか、

「肌に纏わりついて離さない、駒を使って精神的にいたぶっていく手法。三流らしいではないか」

「明くんどうしたの? さっきから黙ったままだけど」

「あ……ごめん。ちょっと考えごとをしてて……」

「もー、考え事なんてしてる暇ないでしょ? ほら、テスト始まる前に少しでも頭にいれること」

 佳奈は僕の頭をぽんぽんと叩きながら、教科書とノートを見せびらかす。忘れていた。僕がいまやらなきゃいけないことはこれから始まるテストに向けての勉強であって、僕に向けて指されている指をどうこうすることではない。僕は頭に血が上ってそんな初歩的なことも忘れていたのか。

「……ありがとう、しゅり」

「ぽぽぽ」

 無い胸を張るしゅりの頭を撫でる。まるで子猫のように僕の胸に頬を摺り寄せるしゅりに、僕のささくれ立っていた心が落ち着く。

 ふと、僕の右手が温もりに包まれる。優しく包まれたその手の主は、僕の顔を見ずにノートにだけ視線を落とす。手はしっかりと僕の右手を包んだまま。僕もその手を握り返す。誰も知らない所で僕と佳奈はしっかりと繋がる。お互いが決して離れないように強く強く握りしめる。

『すいません!ち、遅刻しました!あ、あの寝坊してしまって、でもでもお母さんも寝坊してて──』

 丁度そのとき、大きな音を立てて開け放たれた教室のドアから、姫条さんが息を上がらせながら頭をぶんぶん振りつつ謝っていた。が、ふと我に返り教室を見回し、顔を真っ赤にしながら自分の席に足早に着席した。あ、顔を覆って世界を遮断している。

『姫条さんおはよー。さっきの可愛かったよー』

『おはようございます。も、もう……あんまり苛めないでください』

『あーんもうかわいいー!』

 頬を膨らませる姫条さんの顔が、女子生徒たちの隙間から覗くことが出来た。照れてる顔も可愛い。僕はそんな彼女と昨日一緒に過ごしていたんだ。……よくよく考えればそりゃあんな人と一緒に昼食食べて公園で過ごした人がいたら僕だって嫉妬するかもしれない。

『あっ』

 ヤバイ、目が合った。いま完璧に僕と目が合った。自惚れでもなんでもなく、絶対的な自信がある。なんせ彼女も目が合った瞬間に声をあげていたから。

 いま僕は彼女との一件でこんなことになっているのだ。佳奈もそれに巻き添えを食らわせている。もしここで姫条さんと接触なんてしたらどうなることか。僕は絶対に姫条さんに話しかけないようにしないと。

 席を立った姫条さんは一歩、また一歩と僕の机に近づいてくる。そしてついに──僕の机の前で足を止めた。

「おはようございます、明君に片桐さん。テスト勉強ですか?」

「お、おはよう……」

「おはよう姫条さん。うん、いま数学のテスト勉強してるとこなの」

 相手側から接触してきた場合どうすればいいんだろう。

 佳奈は笑顔で姫条さんに返答したけども、僕は目線を合わせることが出来ずにいた。

「数学のテスト勉強ですか? わたしもちょっと不安な場所があるんですけど、ご一緒に勉強してもよろしいですか?」

 指をもじもじと絡ませながら聞いてくる姫条さんに、流石の僕と佳奈も面食らった。少し見れば分かるはずだろ。僕たちの周りだけ人がいないことに。そんな状況なのに、姫条さんは何を言ってるんだ……?

「あの……やっぱりダメですか? その……お二人の世界に立ち入ることは……」

「えっと……姫条さん?」

「はい?」

「あーそのー……本気?」

「ふぇ?」

 すこし瞳を潤まわせている姫条さんに、佳奈が珍しく茫然とした表情で聞く。姫条さんはいきなり何のことを言われたのか理解できていないのか、頭に疑問符を浮かべながら小首を傾げた。視線で僕に助けを求めながら。

「えーっと……僕たちと一緒に勉強していいのかな?」

「だ、ダメなんですか?」

「い、いや別にダメとかじゃなくて……。か、佳奈……」

「なんで私に助けを求めてくるの明くん。姫条さんがいいならそれでいいいんじゃない? 私も姫条さんの勉強法とか聞きたいし」

「ほんとですか!?ご一緒してもいいんですね!?じゃ、じゃぁいまから勉強道具持ってきますね!」

 光が灯ったように笑顔が溢れだす姫条さん。慌てて道具を取りに自分の席へと戻っていく。と思ったらすぐに道具を両手で抱えながらこちらに戻ってきた。

「さぁ早くしましょう!時間は刻一刻と過ぎていくのです!」

 両手を拳の形にして頑張るポーズを決める姫条さん。僕の机にノートを広げ、佳奈にさっそく質問する。

「片桐さん、ここの問題はどう解きますか?」

「んーっと、私はこういう解き方かな」

「あ、その解き方いいですね。分かりやすいです。わたしいつもこの解き方してるんですけど、どうしても時間がかかって困っていたんです。あ、明君そこの式間違ってますよ?」

「姫条さんのは教科書の公式通りだから、間違いはないけどちょっと時間がかかっちゃってるのかな? この解き方だと時間も短縮されるし、必要最低限の式で十分だからいいと思うよ。明くんそこの式違うよ」

「二人とも最後に僕の式を指摘しないと会話が終わらないルールでもあるの?」

「式を間違える明くんが悪いんでしょー。ほら、一緒にやろ?」

「そうですよ明君。ほら、この問題はこうして──」

 佳奈と姫条さんに挟まれながら僕はテスト最後の詰め込み勉強をする。正直、二人の距離が近すぎて勉強どころではないのだけど……とっても幸せな気分なのでよしとしよう。

 僕と佳奈の間の先程までの空気が払拭されていく。いや、僕と佳奈の間だけじゃない。この教室全体を支配している空気さえも姫条さん一人で払拭させていた。

 誰かがいった。彼女は癒しであり天使であると。成程、あの言葉はあながち間違ってはなかったのかもしれない。少なくとも、この現状をみた僕はそう思った。

 佳奈と姫条さんに挟まれながら始業チャイムがなるまで勉強していると、にわかに教室入口が騒ぎ出した。それと同時に表向きは品行方正なあの男が僕たちの前に姿を現した。

「あれ? 珍しい組み合わせだね。姫条さんに片桐さんはなんとなく分かるけど、そこに楯梨君がいるなんて」

 少し驚いた振りをする互郊はさりげなく佳奈の肩に手を置く。佳奈はその手をゆっくりと、しかし確実に振り解きながら

「私は明くんの保護者みたいなものだし、明くんといるほうが楽しいしね」

 五郊に鼻をふんっと鳴らしながら言ってのけた。それに合わせるような形で、姫条さんも首を縦に動かしながら、

「わたしも明君と一緒にいるほうが楽しいです。それにその……明くんとは知らない仲がありませんし……。ねっ?」

 顔を赤くして僕に同意を求めてくる姫条さん。記憶がない僕だけど、幼少時代の彼女の笑顔だけは記憶にあるので、僕も黙って頷いた。若干挙動不審気味だったけど。だって姫条さんが照れたように顔を赤くするものだから、よからぬ勘違いをしてしまって──

「ふんッ」

「いたッ!?佳奈!いきなり足を踏むことないじゃないか!?」

「ごめん。ちょっと足元が狂っちゃったの」

 こっちはゴミを見るような目で僕を見てくる佳奈。さっきまでの天使っぷりはどこに消えたんだろう……。

「えへへ……明くん……」

「き、姫条さんっ!?」

 いきなり腕を絡めてくる姫条さんに、教室中でざわめく。僕も何がなんだか分からなくなり、なおかつ佳奈の視線としゅりのぽぽぽという声で全身から汗が温泉のようにわき出す。

 どどどどどどどどどどうしたんだろうか!?き、姫条さんがいきなりこんなことをするなんて!?

「き、姫条さん……? 明くんの勉強の邪魔だからそういうことはよくないと思うよ……?べつに私は気にしないんだけど、これ以上明くんの成績が悪くなるとね?」

「ぽぽぽぽ、ゆかいなおんなだ。しゅりのあきらに手をだそうなんて……」

 やばい、マジでやばい。佳奈はともかく、しゅりの機嫌を損なうと姫条さんが殺されかねない。それだけはなんとしてでも避けないと。そう思っていたのに、

「い、いいじゃないですか!わたしだって明君とこういうことしてみたかったんです!片桐さんみたいに!」

「わ、私はそんなことしたことないよ!?」

 顔を真っ赤にしたまま佳奈に叫ぶ姫条さん、佳奈は姫条さんの発言を聞いて慌てふためく。久しぶりに見た気がする、佳奈のこんな姿。

「あ、明くんからもいってよ!なんか姫条さん誤解してるみたいだから!」

「き、姫条さん? ほら、僕と佳奈はそんな仲じゃないってことは昨日話したよね?」

「……いわれてみればそうでした」

 自分の中で納得のいく答えが出たのか、姫条さんは僕の腕を絡めることを止める。正直、実に惜しいことをしたと思う。あの姫条さんが僕に腕を絡ませてくれるなんてもうあるはずないのだから。姫条さんの胸も当たってたし──

 そんな考えを思い描いた瞬間、僕の頭に鈍痛が襲い掛かった。次いで僕の頭上から彼女の声が聞こえてくる。

「ぽぽぽ……消すかあの女」

 しゅりの声が通常よりも低くなる。肌がチリチリと痛い、僕の背中に悪寒が這い寄ってくる。しゅりは有言実行型だ。しゅりが口に出した以上、僕の隣にいる姫条さんの命はない。この方法を取る以外は。

 僕は頭上にいるしゅりの体を抱き上げ、胸にそっと抱きしめる。僕と対面する形で膝に座ったしゅりの唇に僕の唇を重ねる。そっと目を閉じたしゅりは僕に身をゆだねるように力を抜く。それを確認した僕は優しく抱きしめながら、長い長い口づけを交わした。

 やがて僕としゅりは唇を離す。顔を火照らしどこか満足そうなしゅりは、何も言わずに嬉しそうに僕に抱きつく。これをすることでしゅりは全てを忘却の彼方へと追いやる。しゅりの世界で存在する生物が僕だけへと変化する。これで姫条さんはしゅりに殺されなくて済む。

 でもその代償はとても大きいものだ。僕はしゅりからその他へと視線を移す。

 隣には口をあけて唖然とする姫条さん、ドン引きするクラスの面々。それはそうだろう。しゅりは姫条さん以外の他人には見えないのだから、周囲から見れば僕がいきなり何もない空間に熱心に口づけを交わしていたことになる。物凄くキモイ。想像すると物凄くキモイ。成程、僕に友達ができないのも頷ける。でも、そんな僕にも友達はいる。僕はその友達のほうに視線を移す。

「あ、終わった? それじゃ勉強の続きをはじめよっか」

「……うんそうだね」

 僕の友達は最高だと感じた瞬間だった。しゅりのことが僕以外で唯一視認することができる姫条さんもこれ以上なにも言わないで勉強を再開してくれたのがとても嬉しかった。あくまで何も言わないだけで目線で色々と訴えてくるけど、僕はそれに応える術を持ち合わせていなかった。

 しゅりを膝に置いて、佳奈と姫条さんという美少女二人が僕に勉強を教えてくれるというシチュエーション。担任が来るまでの短い短い時間だけど、僕にとってはとても長く幸せな時間だった。ちょっと攻撃的になった佳奈と僕に笑顔を向けてくれる姫条さん。うん、僕は大丈夫。僕はこのクラスでもやっていけそうだ。例え──

『さっきからあいつキモいよな』

『なんで姫条さんの隣にいるんだよむかつく』

『姫条さんも佳奈ちゃんもそれから離れたほうがいいと思うよ』

 どんな悪態を吐かれても、どんな罵倒を言われても、僕はこのクラスでやっていけそうな気がする。

 中学時代の素敵な思い出がフラッシュバックする。甘酸っぱい胃液がこみ上げてきそうな思い出が僕の心をノックする。でも大丈夫、僕はこのクラスでやっていけそうな気がするから。

 僕の頭が徐々に下がる。項垂れる。しゅりと目が合う。笑いかけられる。僕も笑う。……うまく笑い返せたかな?

 クラスの連中が何か言う。僕の耳には何も入ってこない。あぁ……僕の高校生活二年目は最高だ。

 佳奈は相も変わらず周囲を無視してくれている。自身も針のむしろだというのに、それでも僕に笑顔を向けてくれる。 姫条さんはどうなんだろう?僕が視線を姫条さんに移すと、姫条さんは首を傾げながら本当に疑問を感じている表情と声色で、

「わたしが誰と友達になろうが皆さんには関係ないとおもうのですが……。わたしが明君の隣に座るのがいけないことですか?」

 本当に困ったように周囲が困るような質問をしていた。

 姫条さんの一言に周囲のクラスメイトがたじろいたのがわかった。たった一回、声を発しただけなのにそれだけで他を圧倒した。きっと姫条さんは他意がないことだと分かっているけど、

「…………ありがとう」

 それでも僕はそんな姫条さんにお礼をいう。予想以上に声量が小さくて姫条さんには聞こえなかったようだけど……。

 その直後、教室内に担任がやってきて僕たちのプチ勉強会はお開きとなった。

 結局、佳奈に手を払われた五郊はあれ以来なにもすることはなかった。




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