七話



 試験終了のベルが鳴る。それと同時に教壇から試験監督の教師が後ろから前に試験用紙を集めるように指示を飛ばしクラス内はほっと一安心したような雰囲気に包まれた。その証拠にどこかしこで私語が聞こえてくる。

 今日は昼までで終了、そして現在は四限終わり。このすぐにHRが始まって解散の流れとなる。昨日は心配かけたから今日はまっすぐ家に帰ろうかな。そう思いながら鞄の整理をしていると机に僕以外の影が出来た。僕は僕以外の影を作った彼女に今日のテストの出来を聞いてみる。

「佳奈、どうだった?」

「まぁ完璧かな。自己採点もバッチリできたよ。そういう明くんこそちゃんとできたんでしょうね? 昨日今日と一緒に勉強してあげたのに悪い点数取ったらお仕置きだよ?」

「問題ないよ。僕もちゃんとできた。これからどうする?」

「んー、とくに用事もないし。まっすぐ家に帰ろうかなって思ってたとこ。一応、明日もテストはあるしね」

「じゃあ僕と一緒だね。一緒に帰る?」

「明くん、違うでしょ?」

「一緒に帰らせてください」

「よろしい」

 うんうんと首を縦に振りながら尊大な態度をみせる佳奈。佳奈みたいな可愛い女の子だからこそできる芸当だよな。

「ふ、ふたりは女王様とその下僕のような関係なのでしょうか……」

「「え?」」

 背後から戦々恐々とした震えた声が聞こえてきた。それに僕と佳奈は振り向き、

「戦う前から負けを言い渡されるなんて……そんなのってひどいです……」

 その場にいた姫条さんとご対面することとなった。姫条さんは瞳に涙を浮かばせながら僕と佳奈を交互にみながら、

「そんなのってひどいですーーーッ!」

 そう言い残して教室から走り去ってしまった。訳が無からず固まる僕、隣をチラ見すると佳奈も訳が分からなかったのか石像のように固まっていた。

「……いったい何がしたかったの?」

「私もよくわからない」

「でも僕と佳奈は傍から見ると、女王様と下僕の関係に見えるのかな?」

「明くんは私のいうこと聞かないから下僕失格だと思うけどね」

「それは困る。じゃ帰ろうか」

「うん」

 椅子から立ち上がり、試験中遊び疲れて寝てしまったしゅりを抱きかかえる。鞄を抱っこする形で移動すると変に思われないし、寝ているしゅりを起こすのも忍びないのでこのまま帰宅することにしよう。

 佳奈と下駄箱で一旦別れすぐさま再開。校門をくぐり、家路を歩く。その途中でしゅりが眠い目を擦りながら起床し、そのまま二度寝に突入したりはしたけども、何事もなく家に着いた。

「じゃぁ明くん、私も家に帰るね。今日はゲームとかしないで勉強しないとダメだからね?」

「分かってるよ。佳奈、ありがとう」

 ありがとう。僕のその言葉の中には色々な想いが詰まっていた。

 僕を一日守ってくれてありがとう。

 あの時、必死に耐えてくれてありがとう。

 僕と──友達でいてくれてありがとう。

 佳奈にそれが伝わったのかどうか分からないけども、佳奈は笑って首を縦に振ってくれた。

 お互いに手を振り返しながら、僕は玄関に佳奈は家路に着く。

「ただいまー」

 玄関をあけて廊下を進み、リビングへと入る。母さんは買い物にでも行ってるのだろうか、姿が見えない。それを確認し二階の自分の部屋で制服を脱ぐ。既に完全復活していたしゅりが一目散に僕のベッドに飛び込み、毛布の代わりに僕の制服を掛布団代わりにしていた。

「しゅり僕の制服汚いから止めたほうがいいよ」

「そんなことないよ? しゅり、あきらのにおいかいでるとおちつくもん」

 そんなハニカミながら言わないでくれ。体の奥底から込み上がってくるこの衝動を押さえつけるのは大変なんだから。

 僕はしゅりに近づき自身もベッドに腰掛けながら頭を撫でる。

「ねぇあきら?」

「ん?」

「しゅりね、ちょっときになることがあるの」

「へー珍しいね。しゅりが僕以外に興味を示すなんて。なにが気になるの?」

「うん、あのね──」

 首に重い負荷がかかる。すぐ目の前にはしゅりの顔。瞳孔が開かれたその瞳が、僕をじっと捉えて離さなかった。ようやく僕は気づく。しゅりが僕のネクタイを引っ張ったという事実に。

「あのね、あきら。あきらはしゅりのものなんだよ。そこのとこ、ちゃんとわかってる?」

 低く低く、深淵に飲まれそうなほどの低さで言われたそのセリフに、僕は首を縦に振るよりほかなかった。

 そうだ、僕はしゅりのもので、しゅりは僕のもの。僕の女王様は佳奈ではなくしゅりなんだ。僕はしゅりの下僕なんだ。

 視えない首輪が僕の首に嵌った瞬間だった。いや、実際はもっと前から嵌っていた。僕はいましゅりの発言で再認識させられただけなのだ。ここ数日間、佳奈や姫条さんと付き合ってたから大分薄れてしまっていたけども……僕はしゅりのものなのだ。

 しゅりは自分のモノが他人に取られると思ったのかな。

 だとしたら、僕はとんだ失態を犯してしまったようだ。

「ごめん、しゅり」

「ん。わかってくれたならいーよ」

 僕は優しくしゅりの頭を撫でながら、たまらずしゅりを抱きしめてベッドに身を落とした。

          ☆

 天井から落ちた滴がぴちょんと跳ねてお湯と同化する。両手で掬うと手のひらには溢れんばかりのお湯がわたしの顔を映してくれる。それにふっと微笑みかけ、両手を顔にもっていきお湯で顔を洗う。もう何度この行動を行ってきたでしょうか。

「はぁ……明君。うぅ……ショックです。あのお二人の関係がそこまでいってるとは思ってもみませんでした」

 夕食も終わり、わたしの大好きなお風呂タイムだというのに気が晴れません。というのも、幼少時代からずっと好きでようやく今年から会話することが可能になった人には、既に大切な人というポジションの女性がいるのです。それも可愛くて頭が良くて、性格も明るくて優しい。そんな人が明君の隣にいるんですよ!?どうやって勝てというんですか!?

「唯一勝てるところとしたらしゅりちゃんを視ることが出来ることくらいですし……」

 浴槽の淵に腕をもたれかける。

「それにしてもあの子が本当に災厄と呼ばれた存在なのでしょうか……」

 わたしの村、穂波村は明君が村を出て行ってから急激に廃れていった。別段、田が荒れ果てたわけでも川の水が濁り汚くなったわけでもない。ただ単に──生活する環境じゃなくなったというだけ。まるで見えない何かがわたし達を追い出すかのように、わたし達の生活と基盤となるものだけが廃れていった。

 黄金色の穂は決してお米を生み出さず、綺麗な水から取れた野菜は致死量を遥かに超える毒物が検出された。木造建築の家は急激に腐りだし、腐食が進み家という家が潰れていった。

 食と住を失われたわたし達にその場で生活することなど出来るはずもなく、見えない誰かに追い立てられるように村を出て行ったのだ。

「でも……あのとき明君の家だけが無事だったような気がします」

 そう、確かあのとき明君の家だけが無事で……

「誰かが災厄の存在とか言ってたような……」

 ぴちょん、とわたしの頭に水滴が落ちてくる。当時わたしも五歳ですし、あまり記憶に自信はないんですけど……。

 誰かあのときのことやあの子のことを知っている人はいたでしょうか。お母さんもお父さんもあれには一切触れませんし……。

『茜―、いつまでお風呂入ってるのー? おばあちゃんがイチゴ用意して待ってるのよー!』

「あ、忘れてました!?ごめんなさーい!もうでまーす!」

 慌てて浴槽からでる。既に髪も体も洗ってるので後はバスタオルで体を拭くだけですので何も問題ありません。

「そうでした。おばあちゃんならきっと何か知ってるはずですよね」

 もうボケが進行していますのであまり期待はできませんが……。

            ☆

 洗面所でパジャマに着替えて軽く髪を乾かして家族がまつリビングへと向かう。そこには大きな大きなイチゴが大皿に乗せられ、隣に牛の顔が描かれている練乳が置いてあった。わたし待ちのようだったので慌てて席に着く。

「ごめんなさい、お待たせしちゃって」

「ええよええよ。茜も女の子だもの。お風呂だってながーくつかりたいもんなぁ」

「おばあちゃん、練乳に話しかけるのは止めてください」

 対面に座っているおばあちゃんは齢87歳を超える。一日中動かないのでたまに心配になるけども、本人いわく風と遊んでいるらしいので孫のわたしとしてはちょっと困りものです。

 でも小さい頃、それこそ村にいた頃からおばあちゃんはわたしに優しくて、わたしもおばあちゃんが大好きです。それはお母さんもお父さんも変わらなく、だからこそいまもこうして四人で暮らしています。あ、愛犬のライルも一緒ですよ?

「茜、そういえば楯梨さんの子どもさんに会ったんだって?」

「明君ですか?」

「そうそう明君だ。どうだった?」

 お父さんがイチゴを摘まみながらそう聞いてくる。

「どうって……。昔と変わらない優しい人でしたよ。あ、でも昔より少し性格が内向きになったといいますか、小さい頃に見せてくれていたあの自信とか大胆不敵な笑みとかはなくなりましたね。でもやっぱり──」

「そうか。あまり楯梨さんの息子さんとは付き合わないようにな」

「ちょ、ちょっとあなた!」

 イチゴを食べながらのお父さんの態度に流石のわたしもむっとする。カチンと頭にきました。

「明君のことを悪く言うと怒りますよ」

「別に悪く言うつもりは毛頭ない。あの子のことは赤ちゃんの頃から知ってる。きっと好青年に育っていることだろう。ただ、あの子は──」

 お父さんが何か言おうとした瞬間、

「こら彰浩、あまり子どもを責めたらいかんよ。あの村はなるべくしてああなった。それだけのこと」

 おばあちゃんがそう制しました。いつものおばあちゃんからは考えられないほどのはっきりとした口調と、その声色にお父さんも肩を落として謝ります。

「うっ……確かにその通りか。悪かった茜。大好きな明君のことを悪くいって」

「べ、べつにそんな大好きだなんて!?そ、そんなこと──」

「あら、小さい頃はどこに行くにも明君の後ろをべったりくっついていたのは誰かしら?」

「いつの間にかパパと結婚するから、明君と結婚するに変わっていたしなぁ」

「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」

 そ、そんなこと言った覚えもございませんが!?

 二人の口元を塞ごうにも、食事中に席を立つのはマナーに反しますし……!

「うぅ……おばあちゃん」

「よしよし」

 結局、わたしはおばあちゃんのお膝で泣き崩れるより他ありませんでした。

 イチゴというデザートを家族皆で食べた後、お母さんはキッチンで片づけを、お父さんは書斎へ。リビングにはとくに何もすることなくただただじっとしているお婆ちゃんとわたしだけが残りました。

「お婆ちゃん、ちょっと質問していいですか?」

「ええよ茜ちゃん」

 目を瞑ったままのお婆ちゃんにわたしは問いをぶつける。

「穂波村ってどうして廃れてしまったの?」

「……」

 わたしの問いにお婆ちゃんは目を瞑ったまま黙っている。その沈黙が少なくとも二分間は続いた。

 ……今更ですが、お婆ちゃんはボケが進んでいる方でしたよね。やっぱりお婆ちゃんから穂波村のことを聞くのは無理ですよね。

「お婆ちゃんやっぱりいいですよ。ごめんなさい。わたしもう寝ますから」

「ちょっとおまち」

 そそくさとこの場から退散しようとするわたしに、お婆ちゃんはわたしの手を掴んで座らせた。そしてゆっくりと、お婆ちゃんの口が開く。

「穂波村にはずっと伝えられている伝承が存在していてね、ずーっとずーっと昔の話。穂波村にはそれはそれは大層可愛らしい女の子の神様がいたそうな。明朗快活でとても気が利く神様だった。村人と農作業に勤しみ、村の子ども達と川で遊びを楽しむ。そんな、誰からも好かれる神様があの村にはおったのよ」

 可愛らしい女の子。わたしにはたった一人だけ心当たりがあった。明君の隣にいたあの女の子だ。わたしから明君を奪った、あの女の子。

「そんなときだった。その村に一人の青年が訪ねてきた。青年はどうか一晩だけ泊めてくださいと村長にお願いし、村長の家に泊めてもらった。朝になり、青年は自分の枕元にいた小さな女の子に驚いたそうな。女の子は青年に対して笑いかけた、青年はそのとき村にきて始めて笑みを零したそうな。やがて青年は女の子と行動を共にするようになった。村人もその光景には笑みが零れていたという。神様はその存在故いつもひとりぼっちだった。神様側からは仲良くすることは出来るけど、人間側からは仲良くすることができない。茜にはその理屈がわからんよね? この国は文明開化するまでこの理屈にずっと縛られていたんよ。だから、神様に愛されたり気に入られたりする人間は特別な人間として招かれていた。そして伝承によると、その青年もまた特別な人間だったみたいね」

 お婆ちゃんがにっこりと笑う。こんなにはっきりと喋るお婆ちゃんも珍しい。いつもはボケすぎてわたしと練乳を間違えるのに。

「青年はいつも女の子と一緒にいた。きっと女の子が青年をずっと連れ回していたのね。青年にとっても女の子にとっても、そして村にとっても幸せな時間だったそうな。村の神様である女の子の機嫌がいいと、村の恩恵もそれだけ増えるからね。ただ、その幸せな時間は長く続くことはなかった」

「ど、どうしてですか?」

「神様と人間には大きな大きな隔たりがあったということさ。……女の子がね、青年を殺しちゃったの。どんな殺され方をしたのかは伝承されてないけども、きっとむごたらしい殺され方をしたんじゃないだろうかね」

「こ、ころされた……?」

 ま、まってください……!殺されたってことは殺されたってことですよ!?

 もしいまお婆ちゃんがいっている女の子があの子だとすると、明君のそばには──

「それからはとてもひどいものだったという。青年が殺されてから、村は一度壊滅的な被害を迎えたという。田は荒れ果て、川は干乾び、村は害虫の巣窟となった。とても人間が住めたものではなかったらしい」

 そして誰かが女の子を指差してこういった。

「──お前のせいだ。と」

 お婆ちゃんの言葉に思わず息を飲んだ。そんなことってありえないよ。だって神様なのに、村のアイドルとして皆に可愛がられていたのに、

「そんなのって……ひどいです」

 あの子と決まったわけじゃないけど、わたしにはあの子が明君にみせる笑顔が脳裏にこびりついて離れなかった。まだあんなに小さいのに、あんなに元気なのに。

「災厄なんてあるはずもないのにねぇ。でもね茜。人間は極限状態まで追い込まれると、そういった考え方をするもんよ。茜も、もしこういう風に極限状態にまで追い込まれている人がいたら、優しく声をかけてあげなさい。それだけで人は救われるものだから」

「はい!……あれ? でもそれって昔の話ですよね? わたしが聞きたかったのは幼少期に村が廃れたことなんですけど……」

「なるべくしてなった。さっきそう言ったでしょ?」

「うぅ……。なんかはぐらかされた気がします」

 やっぱり……自分で調べてみるしかないのでしょうか?手段がないのでどうにもできないですが。

 小さい頃のようにわたしの髪をくしゃくしゃに撫でながら微笑むお婆ちゃんに、わたしも微笑みを返す。例え自分が知りたかったことと違っていたとしても、村のことがちょっとでも知れて嬉しかったのは事実です。

 予想外の出来事とありがたいお言葉をいただいたところで、わたしは部屋に戻ろうと席を立つ。あ、その前に

「お婆ちゃん、その神様って『ぽぽぽ』が口癖ですよね?」

 お婆ちゃんが知ってるかどうかはわかりませんが、一応聞いておきましょう。いまの状態なら限りなく黒に近いグレーですからね。あの子が村の神様なら、わたしが長年抱いていた想いと向き合いながら少しずつ──

「いんや。神様はそんな口癖もってないよ」

「…………え?」

 まって、いまお婆ちゃんはなんて言ったの?

 神様に『ぽぽぽ』なんて口癖はない?

 じゃぁ──明君の隣にいるあの子は何者?

「そ、そうなんだ。ありがとうございますお婆ちゃん。それじゃお休みなさい」

 なんとか平静を装って自分の部屋を目指す。

 部屋に戻り自分のベッドで横になり深呼吸して気分を落ち着かせる。

「じゃぁあの子はなんなのでしょうか……? 明君の話からして村に関わりがあるのは間違いないはずなのに……」

 あの子に対する疑問が増大した瞬間だった。

「あの子が神様でないなら、明君と一緒にいるあの子はいったい何者なんですか……?」

 明君がいっていたからわたしも納得していたのに。

 あの子があの村の神様でもなんでもなくて、ただ明君に憑いている妖怪なんだとしたらそれは──

「明君が操られてる……」

 荒唐無稽な説明だ。そうわたしだって思う。でも、でも、でもその考えを捨て去るには反論する材料が少なすぎる。

 事実、明君はわたしと過ごした村の記憶を思い出せない。明君が覚えているのはあの子との思い出だけ。そして明君はあの子のことをとても大事にしていて、まるでお姫様のように扱ってそれがとても羨ましくってわたしもお姫様のように扱って──

「って、なにを考えているんですかわたしはッ!?」

 も、もう何を考えているんですかわたしは!?

 と、とりあえず今日は寝ることにしましょう。さっきのことは明日もう一度ゆっくり考えるとしましょう。今日はもうその……頭の中が危険な状態なので。

 うぅ……お姫様だっこなんて恥ずかしいですよ明君……。




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