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十話



 やっぱりというかなんというか、僕は委員会に入ることなく委員会決めが終了した。それは佳奈も一緒で、佳奈も委員会に入ることなく委員会決めを終えることになった。二人で無所属かぁ。まぁ佳奈はわかんないけど僕の方はあまり責任ある仕事をさせると碌なことにならないタイプだからクラスのためにも無所属がいいかもなぁ。

 それにしても──

「ねぇしゅり。姫条さん、クラス委員になるとき泣いてたね」

「お? べつにないてなかったよ?」

「いいや、泣いてたよ」

 僕に視線を向けて、助けてって泣き叫んでいた。

 声は上げていなくとも、本人が思っていなくとも、僕はあの目を知っている。ずっと前から知っている。僕がそうだったから。

 コトンとしゅりが退屈凌ぎにもってきたビー玉を転がしながら僕に話しかけてくる。

「ねぇねぇあきら? おうちにかえらないの?」

「ちょっとだけ待ってくれる?」

「えー、それはまずいよ。私杏さんからお菓子作りに来ないかってメールで誘われてるんだけど。それに昼食も」

「いつの間に僕の後ろを取っていたんだ」

「明くん、こんなことじゃ世界に通用しないよ」

「僕は格闘技で世界を取ろうなんて思っちゃいないよ」

 僕の背後から聞き慣れた彼女の声が聞こえてくる。佳奈は携帯に映し出されてある文面を僕に見せながら、

「それに今日は杏さんから明くんを頼まれたんだから。明くんには前科があるから」

「うっ……!あれはちょっとだけ寄り道しただけで──」

「他の女の子とね」

 どうして佳奈はそのことになると途端に不機嫌になるのか。なんかいつもより数段攻撃的になるんだよね。

 でも佳奈の言うことはもっともだ。母さんがなんであんなになってしまったのかは僕が一番理解している。母さんをあんなことにしてしまった一番の原因は僕だ。だからそんな僕に出来る贖罪はまっすぐに家に帰って、元気な姿を母さんに見せること。佳奈だって自分の時間を犠牲にしてまで僕に付き合ってくれているんだ。

 わかっている。僕だってそこまでバカじゃない。でも、それを理解した上で──

「ごめん、姫条さんのクラス委員会が終わるまで僕は待ってていいかな?」

 僕はそう佳奈にお願いした。

「ん、わかった。じゃぁ杏さんには私から説明しておくね。ふふ、きっと喜ぶよ杏さん。明くんにわたし以外の友達が出来たって」

 全てを理解した上で僕にそう言ってくれる佳奈。

「ありがとう佳奈」

 自然とその言葉が口からでる。佳奈はそれに首を縦に振ることで応えてくれる。一度は僕の机に置いていた鞄をからい直し、手を振って教室からでようとする佳奈。ふと、扉の直前で立ち止まると、

「でもちょっとだけ残念かも。もう明くんを独り占めできないのかとおもうと」

 振り返ってウインクしながら佳奈はそんな言葉を残していった。

 頬に触れなくてもわかる。僕はいま完全に顔が真っ赤っかだ。いまなら目玉焼きくらい朝飯前にできてしまう。

「反則すぎるだろいまのは……!」

 ほんと、いまなら告白しても大丈夫なんじゃないのかと錯覚してしまう。そう思わせる佳奈は本当に凄い。その気になりかけたのだから。

 なりかけで終わった理由は単純明快。

「ぽぽぽ……あきらはちいさいときからしゅりがひとりじめしてるの。あきらのぜんぶがしゅりのものなの」

 しゅりが今にも殺しそうな表情で扉を睨みつけてるからだ。見た目が少女だから忘れそうになるけど、しゅりはとっても危険な存在だということを再認識する。だっていまの僕はともすれば意識を刈り取られそうなくらいなのだから。

 それだけしゅりがキレているということなのか。

「大丈夫、僕はしゅりだけのものだよ」

 僕はしゅりを落ち着かせるため、抱っこして自身がしゅりの背もたれになってゆっくりとしたスピードでしゅりの胸に手を優しく叩く。母親が赤ちゃんをあやすときのようなイメージを浮かべながら。

「ごめんねしゅり。僕が不純でふらふらしてるからしゅりに心配かけちゃったね。佳奈には一度フラれてるし、僕にはしゅりがいるから」

「ほんと? それほんと?」

「うん、ほんとだよ」

「うそついちゃダメだよ? しゅりおこっちゃうよ?」

「うん、大丈夫。しゅりが一番だよ」

「えへへ……あきらだーいすき!」

 キレ顔から不安顔、そして笑顔へと表情をころころ変えたしゅりは嬉しさのあまり僕に抱きつき返した。力が違いすぎるのか、僕の首から鈍い音と軋んだ音が聞こえてきた。笑顔を保つのが困難になってくる。

 僕は体勢を立て直すために一度席を立ち、しゅりを抱きしめたままもう一度座る。ねこのように咽喉を鳴らして僕の頬に自分の頬を摺り寄せているしゅりに、僕は五郊のことを聞いてみた。

「ねぇしゅり。姫条さん……大丈夫かな?」

「さー? しゅりわかんない!」

「やっぱり僕が手を挙げるべきだったかな。クラス委員」

 姫条さんと五郊が一緒に教室に帰ってきた瞬間、僕はもうダメだと思った。でも心の中ではまだ希望も残っているはずだった。僕が男子クラス委員に手を挙げれば、もしかしたら姫条さんと一緒にクラス委員になれたりして、五郊とも距離を離せるし。

 でも──

「僕はクラスの目が怖かった。僕は臆病になっていたんだ」

 手を挙げることも、声を発することもできなかった。泣き笑いの表情で僕に視線を向けてきた姫条さんに僕は情けない表情を浮かべることでしか応えることができなかった。

 自責の念にかられる。何かが僕を追い詰める。僕は五郊から姫条さんを守る責任があるはずなのに。なんだよ、なんで今更になってビビってるんだよ僕のバカ。

「まぁあきらが手をあげても、あきらはかつことができないではんかんをかうだけだったけどね」

 しゅりの言葉で僕の中に暴れまわっていた何かが潮がひくように去っていったのを感じた。冷静になって分析してみると……確かにその通りだ。僕と五郊では考えたくもないけど、周囲からの信頼の差が違いすぎる。片や表面上は優等生でイケメン。片やクラス一の嫌われ者で秀でているものが特にない凡人。僕が上げたとしても反感を買うのは目に見えてわかることだ。僕はこんなことも気が付かなかったのか……。

「まぁそれもこみであいてがわはあの場面であのえんしゅつをしたんだとしゅりはおもうの。あきらがもっともこうかてきにダメージをうけるあの場面で」

 しゅりがいま話した筋書き通りなら、僕はものの見事に術中にはまっていることになる。確かにあの場面であの選択、五郊は絶対に僕や佳奈というカードを切ってきたことだろう。だから姫条さんは断ることができなかったんだ。昔から、断ることも知らない女の子だったから。

 ……あれ?

「あきら、それでそろそろかえらないの?」

「えっ?あ、あぁ……っと、姫条さんがくるまで待っていようかなーっと思ってさ。事実として僕は姫条さんに二回も助けてもらったんだから」

 一回目は僕と佳奈に対するクラスメイトの暴言に激怒してくれた。

 二回目はそんな僕達のせいで身を挺してクラス委員になってくれた。

「お礼くらい言わせてくれよ」

 頭を撫でながらそういう僕に、しゅりは

「んー……しょうがないなぁ」

 そう言ってくれた。ありがとうしゅり。

 僕は気持ちを新たに切り替えて、思考を一度クリアにする。

 さてと……問題はここからどうするかだ。

「事態は五郊の筋書き通りに進行している。そういうことだよね、しゅり?」

「げんみつにはちょっとちがうけどね。でもあきらが不利なのはかわらないよ」

 どこがどう違うのか理解できない僕だから、一応進んでいるということを仮定して考える。

 まずは現状の整理だ。

 僕は姫条さんに接触し、昨日姫条さんとデートまがいなことをしたのがきっかけで、クラスからも空気からも嫌われ者にランクアップを果たした。少しだけ枠を広げれば、僕は学校中からの嫌われ者になった。僕に対する視線に悪意と敵意と殺意と嫉妬はあっても羨望なんてものはなかったから。

 そしてそんな僕が対峙しなければいけない相手は、学校からの信頼が厚いクラス委員の五郊だ。クラスのほぼ全員が五郊の味方といっても過言ではない。いや、僕と五郊が対峙するのなら学校全体が味方といってもいいくらいだ。先生だって他の学年の生徒だって味方になるだろう。

 そして五郊の狙いは佳奈と姫条さんの二人。先に狙われるのは『僕のせいで』姫条さんだ。しゅり曰く、どう転んでも姫条さんになっていたということだけど、しゅりは僕の味方だからあんなことを言ってくれたんだと思う。

 そんな姫条さんは現在、五郊と一緒にクラス委員になってしまった。クラス委員はクラスの代表であり、放課後の用事だって増えることだろう。その分、二人きりの時間が長くなる。つまり五郊と姫条さんが同じ時間を共有する機会と時間が多くなるわけだ。

 結論・非常にまずい状況である。

「姫条さんと五郊が一緒にいる以上、僕は迂闊なことはできないわけだ」

「まぁそういうことだね」

「ということはなんとかして五郊と姫条さんを引き離すしかない。でも、あいつはそれを阻止するためにわざと姫条さんにクラス委員をさせることにしたんだ」

 身動きがまったく取れない状況である。

 以前、しゅりは五郊のことをこう評した。

 狡猾で卑しく卑劣だと。

 確かにその通りだ。僕はまざまざと格の違いをいやがおうにも見せつけられ、相手の術中にばかりはまっている。しかもはまらざるおえない状況に陥らせている。

 それは僕だけじゃなく、姫条さんにとってもだ。

 あいつは僕と姫条さん、二人を相手にしながらいともたやすく簡単に、手のひらの上に転がして遊んでいるわけだ。

 この状況で僕はどうやって姫条さんを救うことができるんだ……?

「くそっ!なんとかしなきゃ……なんとか……!」

 考える、ない知恵を絞って考える。思考をフルスピードで回転させ、僕が考える限りのパターンを展開させる。

 それでも──

「そんなに考えこまなくてもだいじょうぶだよ、あきら。だってしゅりがいるんだから!」

 頭を抱え込む僕の正面で、しゅりがない胸を張って自信をみせた。

「あきらがめいじてくれれば、しゅりは殺してあげるよ?」

「それじゃぁダメだよ」

「なんで?」

「だって──」

「まさか──この状況になってもまだ犠牲を出さない解決方法を探している気ではないだろうな」

「ッ!そ、それは──」

 僕は言葉を失った。自分が考えていたことをしゅりに見透かされてしまったのだから。

 僕は五郊のことが大嫌いだ。絶対に友達になんてなれないし、卒業までずっといがみ合うことになるだろう。

 ただそれでも──僕の心は五郊を殺すことを拒否していた。

 それを見事、しゅりに見透かされてしまったのだ。

 血のような赤に変わった瞳でまっすぐに僕を見つめるしゅりに、僕は視線を合わせることができないでいた。

 それでも僕の口は動く。

「人を殺していい理由になんてならないよ……」

「あの者は人じゃない」

「でも、だからといってそう簡単に殺していいはず──」

「殺していいんだよ。しゅり達の世界は弱肉強食。弱き者は強き者の糧となるのが世界の真理なのだから」

 口角を釣り上げ、嘲笑染みた視線を僕に向けるしゅり。

「あの女を助けたいのだろう?」

 そう、僕は姫条さんを助けたい。一度はフィールドから遠のいた姫条さんを再びフィールドに召喚したのは僕なのだから。

 そうだ。僕には責任があるんだ。

 僕を見つめるしゅりに、僕も見つめ返す。

「僕は──姫条さんを救いたい。でも……だからといってもう殺すことはしたくない。僕にはその勇気がないよ……」

 僕は無責任な選択をした。

 自分の職務を果たしながら、自分の責任を放棄することを選んだ。

 そんな無責任な僕にしゅりは、

「ふむ。明が必死に考えて選んだ道だ。しゅりはそれに従う。でもきがかわったらいつでもいってね?」

 瞳を赤から青に戻しながらそう笑顔で微笑んでくれた。

 壁時計に視線を移すとすでに三十分もの時間が過ぎていた。お腹が空腹を訴えてくるわけだ。もう少しで姫条さんも帰ってくることだと思うし……しゅりに一つだけ質問をぶつけてみよう。

「ねぇしゅり? しゅりはなんでこんなに頑張ってくれるの?」

 そう質問する僕にしゅりは笑顔を見せながら、

「ぜーんぶめざわりなの。あきらはしゅりだけをみていればいいのに、いまのあきらってばしゅりじゃなくてほかをみてるでしょ?それがしゅりにはいやなの」

 いつもと変わらないしゅりに、どこかほっとしている自分がいた。

           ☆

「それじゃあ今年度最初の委員会は終了するわね。起立、礼!」

 生徒会長の挨拶で今年度最初の委員会が終了しました。うぅ……緊張しましたしなんか他の人達の視線が色々と困りものでした。それに──

 ポケットにいれていた携帯電話のディスプレイを表示する。開始から三十分も経っていることがわかった。

 もう明君はとっくに帰ってますよね。別に約束なんてしてませんし。

 声なき落胆を落としながら教室から出て行こうとすると、五郊君が隣に並んできました。

「姫条さん、さっきの話ちょっと聞きたくない?」

「さっきの話といいますと……」

「勿論、あの二人の中学時代のことだよ」

「そ、それは……」

 五郊君に言われて歩きながら考える。もし、もしもあの二人の中学時代のことを聞けたのなら……なんであの二人があんなにも仲がよいのか理由もわかるはずです。わたしからみてもまるで恋人同士……いや、そこまではないはずです!親友です!そう、親友同士です!そんな親友同士のお二人の仲があんなにもよい理由が中学時代にあるというのなら……それは本当に興味があるところです。

「クラスの女子に聞いた話なんだけど、片桐さんって楯梨君との関係を説明するとき『秘密の関係』といってはぐらかしてみたいなんだよね」

「ひ、秘密の関係……」

「ね? 怪しいと思わない?」

 ひ、秘密の関係というのは、も、ももももももももももももももしかして男女のアレな関係ということでしょうか!?わたしの明君は既に片桐さんに取られているということでしょうか!?

 思考回路がショート寸前、警告音が鳴き止みません。

 く、詳しく知りたいです……!奥深くまで知りたいです……!

 でも──

「あの片桐さんがはぐらかすくらいですから、あまり良い思い出というわけではなさそうですね。きっと片桐さんも明君も知られたくないはずです。ですからわたしは片桐さんと明君が直接話してくれるまでその話題には触れないことにします」

 きっと、あの二人もそれは望んでいないはずです。

 村を出てから明君がどういった中学校生活を送ってきたのか、中学校で何があったのか、それはわたしもとっても気になるところではありますがだからといって人の過去に勝手にずかずかと侵入していい理由にはなりません。親しき仲にも礼儀ありです。

 本当の信頼とは、その人のことを信じることだと思いますので。

「そっか。姫条さんはしっかりしてるんだね」

「はい、しっかりしてます」

 五郊君の言葉にそう返すわたし。

 さてと……一度教室に戻ってから帰宅しましょう。ほ、ほら……もしかしたら明君がいるかもしれませんので。

「あ、あの五郊君。わたしはちょっと教室のほうに用事がありますのでここで……」

「あ、そうなの? それじゃまた明日ね、姫条さん」

「はい、また明日です」

 手を振る五郊君に振り返す。さて、わたしは教室に移動しましょう。

 てくてくと歩きながら色んなことを考える。

 本当にこの方法でよかったのか。本当にこれが最善の手だったのか。

 あのときわたしは明君と片桐さんをクラスの謂われない暴力から防ぐには、わたしがクラス委員になって見張るのが最善だと思いました。

 それはいまでも変わりません。

 ただそのかわりに、明君が忠告してくれた五郊君とこれからもずっと関わりをもつことになりました。

「そもそも……明君はなんであんなことを言ったのでしょうか?」

 確かに五郊君は会話をしてて何か言いようのない不安感を感じることがありますが、だからといってそこまで──

「いたッ!?」

 思考の渦から急激にきた痛みによって現実に引き戻される。痛みの発生点は左足から。あまりの痛みについうずくまる。

「いったーい……!いったいなんなんですか!」

 怒りに任せて辺りを見回してみても、左足に痛みを与えるようなものは一切存在しなかった。ともすればいまのはまやかしだったのかと疑いたくなるほどですが、このじんじんと痛む左足のおかげでその線はないでしょう。

 うずくまりながら周囲に目をこらす。放課後になってから大分時間も経ち、文化部の部室からも遠いここは付近はおろか、目が届く範囲にも人の姿は見当たらなかった。

「……いったいなんなんでしょうか。先程まで痛かったのにいまは痛みもひいてますし……」

 一応左足を確認しておきましたが、腫れている部分もありませんし……。これなら帰ってから手当で問題なさそうですね。

 教室に一度行ってからでも問題なさそうです。

 人気のない廊下を歩き、ようやく自分のクラスが見えてきた。

 少しだけの期待と沢山の諦めを胸に教室内に入りため扉に手をかける。すると中から漏れ出てくる声二人分の話声。

「僕はたくのこの里のほうが好きかな。なんか食べた気がするし」

「えー、しゅりはくのこのやまのほうがいいとおもう!」

「えーそうかなー?」

「そうだよー」

 何故でしょうか。口元が自然とニヤけてしまいます。これはいったい何に対しての笑み?中から漏れ出てくる会話は、わたしの心を癒してくれるかのごとくのほほんとした会話でそれが何だかうれしくて。いえ違いますね。これはきっと、明君がわたしのことを待ってくれていたのが嬉しかったんですね。

 扉をスライドさせる。二人の人物は同時にわたしのほうに振り向き、一人はつまらなさそうに一人は笑顔を見せてくれた。

「お疲れ様、姫条さん」

「はい、ありがとうございます」

 笑顔を浮かべてくれた明君は労わりの言葉をかけてくれます。

 明君はわたしが教室内に入ったのと同時に席を立ち、いきなり頭を下げてきました。

「姫条さん、さっきはありがとう。そしてごめんなさい。僕のせいで姫条さんはクラス委員になってしまって……それにあんなに怒ったからクラス内での交友関係も……」

「え? い、いえべつにそんなことはいいんですよ!わたしだってクラスの皆さんの明君に対する態度は不当だと思っていますし!」

「……まぁああいうのは慣れっこだけどさ、やっぱり嬉しかったんだ。姫条さんがあんな風に僕のために怒ってくれて。ありがとう」

 明君はそういってもう一度深く頭をさげてきました。

「うぅ……あまりそう堅苦しくされますとかえってやりにくくなってしまいますね。明君、お礼の品とか考えてますよね?」

「な、なんでバレたの?」

「当然です。明君はそういう人ですから。そして断りを入れても明君が食い下がることも知っています。というわけでお礼はですね……」

 あ、これならいいかもしれません!ちょっとお姫様っぽいですし。

 で、でもちょっと恥ずかしいですね……。

「あ、あの明君……。もしわたしが困っていたら、お、王子様みたいに助けてくださいね?」

「ぺっ」

 まさか五歳の女児に唾を吐かれるとは思いませんでした。

 しかもわたしの上履きに唾を吐くとは。

「な、なにやってるんだよしゅり!?だめだろ、姫条さんにそんなことしたら!」

「だってー!こいつさっきからしゅりのあきらをいやらしい目でみてるんだもん!」

「い、いやらしい!?そ、そんな目で明君のこと見るわけないじゃないですか!?」

「だまれいんらんおんな!」

「わ、わたしは処女です!」

 あんまりな言いがかりにわたしも負けじと反論する。

「わたしには好きな人がいて今日までずっとその人と結婚するために生きてきたんです!わたしはいわば乙女そのもの、乙女心が人間になった姿なんです!だから処女だってその人のために──あ」

 明君がわたしと目を合わせないように視線を逸らしている。そして原因ともいうべきしゅりちゃんですらドン引きした表情で明君の後ろに隠れていた。

「あきら……これやばいよ」

「ま、まぁ姫条さんは可愛いし、姫条さんにそこまで思われている人が僕は羨ましいよ……。あの、頑張ってね姫条さん。僕の協力が必要なときはいつでも言ってくれればいいから」

 明君が協力してくれるのなら高校卒業と同時にわたしの乙女心も浄化されるのですが。

 でも明君完全にひいてますよね?わたしの発言聞いてから先程より三歩ほど後退してますよ?お願いですから明君、わたしと目を合わせてください。

 明君の顔に触れゆっくりとわたしと視線を合わせようとする。明君は顔に力をいれてわたしが加えている方向とは逆方向に力をいれる。

「あ き ら く ん……ッ!お願いですからこっちを向いてください……!」

 ここまで必死の抵抗をされるとは思っていませんでした。このままではわたしは明君からちょっと頭のおかしい女の子認定されてしまいます。そうなるとわたしの明君との甘い新婚生活が……いえなんでもありません。

 と、とにかくです。明君には一刻も早く記憶の訂正を、と考えていた矢先明君はいきなり笑い声をあげた。

「ぷっはっはっは。はぁ、笑いすぎてお腹痛い。でも僕は好きな人のためにそこまで頑張れるなんて素敵だと思う。ちょっと引いちゃったけど……いまの僕ならその人がとても羨ましく思えるよ。姫条さんみたいに可愛くて優しい人が本当に好いてくれて。羨ましいなぁ。きっと姫条さんならいい家庭を築けるだろうし」

 肩を震わせながら笑う明君は、ふと昔見た優しい笑顔に戻った。

 そんな笑顔を見ていると、つい口からこんな言葉が零れてしまった。

「わ、わたしもいい家庭を明君と二人で作れたらと思っています」

「え?」

「え?」

 ……わたしはいま何を口走ってしまったのでしょうか。

「あ、いえいまのは違うんです!?ちょっと口が滑ったといいますか──」

「う、うん大丈夫だよ。その好きな人と家庭を作りたいってことで、そのために僕に協力を要請するってことだよね」

「……えぇそういうことです」

 なんなんでしょうか、このがっくり感。

 いま大切なチャンスをみすみす逃したような気がしてなりません。

「姫条さんもう帰るよね? 駅まで送るよ?」

「いえ大丈夫ですよ。昼間ですから問題ないですし、それに明君の隣にいるしゅりちゃんからのオーラが凄すぎて……」

 苦笑いを浮かべる。明君のズボンの裾を掴みながらのしゅりちゃんの『あっちにいけ』オーラは可視化できるほど強力なものだった。

「ぽぽぽ……こんないんらんおんなにあきらはわたさないもんね!」

「ですからわたしは淫乱という破廉恥なものではありませんから。では明君、駅までのお見送りは結構ですけど、校門までのお見送りはお願いできますか?」

「喜んで。ほらしゅりも機嫌直して」

 両手を差し出しだっこのポーズをするしゅりちんに明君は何も言わずに抱き上げる。

「じゃぁ行こうか」

「はい」

「うー!」

 威嚇されてますけど、これは気にしたら負けというものですよね。

 それにしても……こうやって子どもを抱いた明君と一緒に並んでいるとまるで親子みたいです。なんちゃって。

 明君のことをあなたなんて呼んじゃったりして、夜はちょっと可愛くしちゃって……普段からラブラブで他が羨むような新婚さんになっちゃって。そしていつまでもいつまでも新婚気分がずっと続いたら──

「姫条さん!?上履きのまま外に出るのはダメだって!?」

「問題ありません!わたしは何十年経っても新婚の気分のままでいられますから!」

「……えっとなんのこと?」

「はい? わたし何かいいました?」

「え?いやだっていま……」

「何も言ってませんよ?」

「あ、うん……。そうだよね、姫条さんがあんなこと口走ることないもんね」

 おもいっきり口走ってしまいました。

 ちょっと乙女力が爆発してしまったようです。

 靴箱で上履きからローファーに履き替えます。

 あぁ……もう下駄箱まで来てしまったんですね。

 明君はしゅりちゃんを抱っこしながら、わたしを楽しませようと話題を振ってくれます。自分のほうが辛い立場に置かれているのに。いわれのない言葉の暴力と数による圧力。誰も何も明君のことを理解できていない。だからあんなにひどい言葉を明君にぶつけることができるんです。

 でも……でもわたしは明君の何を知っているのでしょうか?

 わたしが知っている明君は幼少の頃の明君だけ。いまよりもずっと自信に満ち溢れ、村の誰よりも強くてかっこよくて優しかった頃の明君だけ。

 それ以降の明君をわたしは全然知らないのです。

「僕的にはかなり数学は出来たはずなんだけど──」

 いま隣にいる明君をわたしは全然知らないのです。

 きっと明君のことを本当の意味で知っているのは片桐さんだけなんでしょう。

 折角明君が話しかけてくれたのに、わたしは生返事を返すことしか出来ず、そんなことをしている間に校門に辿り着いてしまいました。

「それじゃぁ僕はこっちだから。ほんとに駅まで送らなくて大丈夫なんだね?」

「はい問題ありません。ありがとうございます」

 片桐さんだけが本当の明君を知っているなんてそんなの嫌です。

 片桐さんだけが明君と秘密を共有しているなんて嫌です。

 わたしだって明君を知りたい。もっともっと知りたい。

 もっと──

「明君っ!」

 しゅりちゃんを抱っこしたまま帰路につこうとしていた明君を呼び止めます。明君はまったく嫌な顔一つせずわたしに問いかけてきます。

「どうしたの姫条さん?」

「いえ……その……あ、明日は通常授業ですよね!」

「そうだね。新しい教科書に名前を書いておかないと」

「その、い、一緒にお昼ご飯を食べませんか!?」

「い、いいの? 僕でよければお願いしようかな」

 嬉しそうにはしゃぐ明君をしゅりちゃんがほっぺを抓りながら怒ります。明君は手を振りながら帰路に着きそれと同時にわたしも駅に向かって歩きはじめます。

「いけないいけない。明君が話してくれるまで待つと決めたんですから」

 旦那を信じるのも良き妻として必要なことです。




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