十二話



 四時間目の授業が終わり、約束通り僕と佳奈と姫条さんの三人で昼食を摂ることにした。

 僕の机に佳奈と姫条さんが集合し、それぞれ家から持ってきた弁当を広げる。

 僕は佳奈の佳奈は僕の弁当を見飽きているので、自然と僕と佳奈の視線は姫条さんの弁当に集中する。

 僕と佳奈の視線に戸惑いながら姫条さんは弁当箱をあける。そこには──ファンタジーが広がっていた。

 さんかくおにぎりにタコさんウインナー、うずらのたまごとミートボールの串刺し、卵焼きにうさぎさんリンゴ。

 それはまるで──

「茜さんのお弁当、小学生のお弁当みたいでかわいい……」

「ふぐっ!?」

 どうやら佳奈のコメントは的確だったようだ。

 姫条さんの弁当は確かに可愛らしかった。

 そもそも弁当箱からして反則なのだ。

 いまどきこんなピンクピンクしてる弁当箱が似合う女子高生なんて佳奈か姫条さんくらいだ。

「あぅ……そんなにみないでください。恥ずかしいですから」

「これ茜さんが毎日作ってるの?」

「いえこれはお母さんです。毎日お母さんと交換してるんです。わたしがお母さんのお弁当を作って、お母さんがわたしのお弁当を作るって具合に。だからこれは決してわたしの趣味なんかじゃ──」

「でも可愛いよね明くん。私このお弁当好きかも。なんか食べるのもったいないくらい」

「僕もこういう弁当好きだよ。可愛らしいし」

「このお弁当、実はわたしの趣味なんです」

 姫条さん、さっきまでのあわあわした姫条さんはどこにいったの……?

 僕はいま最大の場違い感というものを味わっている。

 何度も言うが僕の異性の友達は佳奈だけだ。というか、友達と呼べる存在は佳奈だけだ。佳奈はいつもいつも僕のそばにいてくれて、僕と居るときはずっと僕のことを優先してくれたので僕がこのことを知るわけがなかった。なんせ僕といるときの佳奈は同性とこんなに長い時間喋ることがなかったからだ。

 いま僕の目の前にはピンク色で僕が入り込めない女の子だけの空間が広がっていた。

 美少女二人が笑顔で楽しそうに会話する。なんて素敵な空間なんだ。

 僕はこの空間を身近で見ることが出来る選ばれた人物だということは自覚しなければならない。そして同時に蚊帳の外に放り込まれたということも理解しなければならない。

 そう──僕は彼女達の隣で黙った昼食を楽しんでいるのだ。

 佳奈と姫条さんと僕の前には強固すぎる壁が存在しているように思えた。

「(佳奈や姫条さんが楽しそうならそれでいいんだけどさ)」

 それにしても二人とも、どうしてさっきから話の話題が僕のことばかりなんだ?

 僕が二人の玩具だと勘違いしてないか?

「よいしょ、よいしょ」

 しゅりが僕の膝に上に座る。抱っこしたような体勢になる僕に、しゅりは僕の弁当箱を指差しながらこういった。

「あきらポテトサラダ!しゅりポテトサラダたべたい!」

 僕の弁当箱に入っている、銀紙枠の中に置かれているポテトサラダを指差しながらしゅりが主張する。

「ん、いいよー」

「あーん」

「はいあーん」

 口を開けるしゅりに僕がポテトサラダを食べさせる。気分は子ども鳥に餌を与える母鳥の気分だ。力関係はまったく反対なんだけど。

「おいしい。やっぱりポテトサラダはせかい一」

 本当に嬉しそうな表情を浮かべるしゅり。そんなしゅりをみて僕の心も満たされる。

 しゅりは本当に可愛い。

 だからこそ、しゅりが人間じゃないのが悔やまれる。しゅりが本当に人間なら僕は──晴れてロリコンの称号を貰ってしまうのでやっぱり人間じゃないほうが都合がいいのかもしれない。

 もっともっととポテトサラダを催促するしゅりの口にポテトサラダを運びながら佳奈と姫条さんの会話に耳を傾ける。

「じゃぁ茜さんは明くんの幼馴染なんだ」

「はい!小さいときはいつも一緒に遊んでました。明君いつもいつもグループの中心にいてかっこよかったんですよ!」

「うわぁ〜、いまの明くんからは想像できないね」

「ほっといてよ」

 佳奈が僕の肘を突きながらそう言ってくるもんだから、僕もそう返す。

 しょうがないじゃないか。僕自身、そのときの記憶がないんだから。

 僕の幼少時代の記憶はしゅりとの記憶だけ。ときたま、姫条さんの幼少時代の顔が浮かんでくるけど……それもすぐに泡となって消え去っていく。

 だから僕にとっても姫条さんがこうして僕との幼少期の思い出を喋ってくれるのは都合がいい。姫条さんの話を聞いて何か思い出すかもしれないから。

 記憶がなくても生活は出来るけど、折角の思い出を忘れてるのはちょっともったいない気もする。

「幼少期の頃の明くんを知ることができるなんてちょっと新鮮で面白いね。ねぇねぇ茜さんにとっての明くんとの一番の思い出ってなーに?」

「あ、それ僕も聞きたい」

「一番の思い出ですか? そうですねぇ……」

 姫条さんは顎に手を置き考え込む。

 ふと姫条さんの表情が強張る。いや、固まったと表現したほうがいいだろうか。眉に皺を寄せ、必死に何かを探るように顔を俯かせるその仕草に、僕と佳奈は顔を見合わせて首を傾げる。

「姫条さん大丈夫?」

 そう聞く佳奈に姫条さんはふと我に返ったように笑顔を浮かべた。

「はい大丈夫です。ちょっといい思い出が沢山ありすぎたので、何を話していいのか迷っちゃって」

 照れ笑いのようにそう言った姫条さんに、佳奈と僕はほっと安堵の息を漏らす。と、同時に姫条さんは話し始めた。僕が知らない僕の話を。

 姫条さんが話し終えると丁度よく昼休憩を終わらせるチャイムの鐘が鳴った。

「あ、もうこんな時間なんだね。それじゃ茜さん更衣室に着替えにいこ。明くんはついてきちゃダメだからねー」

「ついていかないよ。そんなことしたら僕は佳奈と姫条さんまで失うことになるじゃないか」

「うんうん。変態さんは制服が大好きなんだもんねー」

「いやちが!?そういうことじゃ──確かに体操服よりは制服のほうが好きだけど」

「さよなら明くん」

「まって佳奈!?笑顔を張り付かせて僕の前から消えないで!?」

 姫条さんの背中を押しながら、表面上の笑顔を浮かべて教室から去っていく佳奈。姫条さんは慌てながらも僕に一応手を振ってくれた。

 今日の五限目は体育。女子と男子は別々の授業を受けることになり、着替えも別々だ。

 そして──

「おい楯梨、お前ちょっと姫条さんとべたべたしすぎじゃねぇか?」

 僕の味方がいない時間でもある。

 僕は生まれつき体が弱いわけでもなく持病もない健康体だけが取り柄の人間だ。お世辞にも喧嘩が強いわけでもないし、運動部には生まれてこの方在籍すらしていない。

 対して僕に突っかかってきた人物達は野球部の男子三人。体格がしっかりしており、殴られたらベランダまで吹っ飛ぶのが容易に想像できる。

「別にべたべたなんてしてないよ。僕と姫条さんはただの友達だし、さっき見てただろ?姫条さんは佳奈と楽しそうにお喋りして、僕なんて蚊帳の外だったじゃないか」

「あぁ? なんだよその態度? 僕は蚊帳の外でひとりぼっちでしたってか?」

「少なくとも僕はそう思ったよ」

「なるほどね。でもな──少なくともこっちはお前が姫条さんといるのが気に食わないんだよッ!!」

 その瞬間、僕の机が弾け飛ぶ。机の中から教科書とノート、それに筆記用具が飛び散り教室内に逃げ惑う。

 相手は鼻息荒く僕を睨みつけながらいまにも襲い掛かってきそうな勢いだ。

 そんな彼をみて僕は宥めるように話しかける。

「ちょっと落ち着いてよ。僕と姫条さんがいるのが気に食わないのはわかるけど、だからってそんな机を蹴ることないだろ。学校の備品なんだから」

 そういうと野球部はこう言った。

「あぁ確かに学校の備品を蹴るのはまずかったな。反省するよ。ところで楯梨、お前みたいなクラスの嫌われ者が顔を腫らしてたら担任はどんな反応をするかな?」

 野球部はにやにやと笑みを浮かべながら僕にそう言ってきた。

 僕は彼女の肩にそっと手を置きながら言葉を返す。

「どんな反応するんだろうね? 僕にはよくわかんないな」

「あぁ確かにお前みたいな低能にはわかんねぇかもしれないな」

 一歩、一歩と近づいてくる。

「お前ってほんとに見ててウザいんだよな。片桐さんに野球部のマネージャー頼んだらお前がいるからって理由で断られるし、毎日毎日いちゃいちゃいちゃいちゃしやがって。あげくの果てに姫条さんにあんなに話しかけられやがって。ほんと──お前死んでくれねぇかな? お前が死んだら片桐さんへのチャンス増えるんじゃねえ?」

「おいおいそれよりこいつをダシにして片桐さんに迫ったほうがいいんじゃねぇか?」

「「そりゃいいな!」」

「だろ!あっはっはっは!」

「おい豚、お前の薄汚い手で佳奈に触れてみろ。お前の首へし折るぞ」

 野球部三人組が下品に笑う中、佳奈の名前を出された瞬間僕の口はそう動いていた。

 この言葉が結果的にいい方向に働いたのか、言われた本人は呆けた顔をしているし、彼女から感じられていた殺気が薄くなった。

 ただまぁ──こうなるのは当然だよね。

「てめェだれに対して言ったんだボケナスがァッ!!」

 両隣にいた同じ部員が必死に制止させようと体重を落とす。なんだまだ僕を殺すことに抵抗をもっている心があるんだ。

 キレた本人は制止なんて振り解いてでも僕の頭を掴もうと手を伸ばす。対する僕は下がりながら、これが学校外だったら必ず殺しているだろうという想像をしながら彼女を抱きかかえる。

 クラスメイトが見守る中、誰かが彼の肩に手を置いた。

「やめろよ、みっともない。キミ野球部の四番だろ? スポーツマンならこんなことするなよ」

 五郊はそう言いながら彼を止める。手を置かれた彼は五郊を一睨みした後、ふんっと鼻を鳴らしながらもなんとか落ち着きを取り戻した。

 僕に舌打ちをしながらも制服から体操服に着替えて、取り巻きを連れて教室から出て行く。

 そんな彼が合図となったのか、先程までただただ見守るだけだった外野も教室内から蜘蛛の子を散らすように出て行った。教室内にいるのは僕と五郊だけ。

 僕は抱きかかえたしゅりの背中を叩いてあやしながら、少しだけ頭を下げる。

「どーも、助かったよ」

 助けてもらったのは事実だ。一応礼を言っておかなくちゃいけない。それにあのままならしゅりが彼を殺してしまっていたから、それはなんとしてでも避けたかったし。僕はもう人が死ぬのを見たくない。

 五郊はイケメンスマイルを浮かべながら首を横に動かした。

「いやいやいいんだよ。こっちとしても獲物が他のゴミに取られるのを聞いちゃったからね。それにしてもキミって僕の時もそうだったけど、ほんとに片桐さんのことになると見境なくなるんだね」

「佳奈は僕の命の恩人だからね」

「ふーん……命の恩人ねぇ。ますます欲しくなってきた」

 五郊は嗤う。僕はその笑みになんともいえない恐怖心を抱いた。背筋に何かが這うような感覚と、何かに見られる感覚が同時に襲ってくる。

「でもまぁ、キミがそんなに執着するならやっぱり後回しにしたほうが面白いよね。なんせ──片桐さんしか光がない状況でその光を潰すほうが面白いんだもの」

「僕は心底お前が大嫌いだよ」

「奇遇だね、僕もだ」

 薄気味悪い笑みを浮かべる五郊を睨みつける僕。五郊はそれに余裕の態度をもって接する。

「佳奈もそうだけど、姫条さんにも指一本触れてみろ。僕は容赦しない」

「あれー? おかしいなぁ、キミと姫条さんの間には接点なんてないだろ? 片桐さんとキミみたいな関係もなさそうだし」

「僕と姫条さんは幼馴染だ」

「思い出すらないのに幼馴染面するのはよくないと思うよ」

 そのセリフに思わず僕の体がピクリと反応した。

「ごめんね、姫条さんから聞いたんだ。キミと彼女が幼馴染なのにキミは彼女のことを覚えてないばかりか、思い出すら頭にないみたいだってね。可哀想に……彼女泣いてたよ。キミのこと心から愛してるみたいだったのに」

「き、姫条さんがいつそんなこと言ってたんだよ……」

「クラス委員を決めた放課後さ。ほら、僕と姫条さんはあの後生徒会室で代表者の顔合わせや連絡事項を聞くために会議に出席したから。その帰りに聞いたんだ」

「ほんとに……姫条さんがそんなこと言ってたのか?」

「キミが疑うのは無理もない。なんせ僕は姫条さんを食べると言ってるからね。ただ、キミならこれが本当かどうかわかるんじゃないか? もしキミが本当に姫条さんの言うとおり、姫条さんのことを覚えていないのなら」

 確かに僕は姫条さんのことを覚えていない。文字通り記憶にない。

 もし僕が姫条さんのことを覚えていたならば、僕は入学したその日に名簿で姫条さんの名前を見かけたら確認に行くはずだし、会ったときに思いっきり喜んだはずだ。

 僕は知っている。

 姫条さんが僕のことをどれだけ想ってくれていたのかを。

 僕は知ってしまった。

 姫条さんが僕とどんな風に幼少期を過ごしていたかも。

 さっき此処で知ってしまったのだ。

 あんなに嬉しそうに話す姫条さんを見ながら、僕はどんなことを考えていたか。

 これを聞いてたら僕の記憶も戻ってくるかもしれない?

 僕にとってはそれでよかったのかもしれない。けど──彼女にとっては大問題じゃないか。

 一緒に過ごした時間を共有できない。

 一緒に遊んだ記憶を共有できない。

 どんなに嬉しそうに話しかけても僕はただ感心するだけで、決して肯定することができなかった。

 僕はそれでよかった。でも彼女はそんな僕をみてどう思ってたんだ?

 一瞬、彼女側に立ってみる。

「僕は……最低な人間だ」

「いまさら気づいたのか?」

 過ぎた時間は戻せない。

 歩いた道は軌跡となってメモリーを読み取ることしかできない。そして僕はそのメモリーを失くしてしまったんだ。

 僕のせいで、彼女のメモリーはどこにも接続することができない。

「キミさ、彼女に僕以上に最低な行為をしていることに気づいてた? なんで彼女がクラス委員になったか知ってる? キミのためだよ。キミのために彼女はクラス委員になったんだよ。キミはそうやってキミのために尽くしている彼女にむごい仕打ちをし続けているんだよ?彼女は言ってたよ。会うたびに胸が張り裂けそうな痛みだって」

「ぼ、僕は……」

「世の中にはごめんなさいで済まされないこともあるんだよ」

 五郊はそう吐き捨てて教室を後にした。

 教室に残ったのは僕としゅりのみ。

 とっくに五限目のチャイムは鳴っていた。外からは男子の声が聞こえてくる。楽しそうな声が僕の鼓膜を震わせる。

「ねぇしゅり……僕は最低な人間なのかな?」

 僕は誰かにそうじゃないと否定されたくてしゅりにそう質問した。

「しゅりはどんなあきらでもあいしてるよ?」

「うん……ありがとう」

 だけどしゅりは否定も肯定もしてくれなかった。

        ☆

 放課後を知らせるチャイムが鳴る。担任が教壇からおり教室を後にすると、掃除当番と日直以外はすぐさま帰り支度を済ませ我先にと教室から出て行く。いまから部活動に励む者や寄り道していく人は既に教室からいない。

 僕は五限目の後、真っ先に姫条さんと話しをしたかったのだが着替えと六限目の移動教室のせいで満足に話しをする時間を設けることができなかった。

 でも放課後なら大丈夫なはず。僕も姫条さんも部活動には所属していないし、時間なら沢山あるはずだ。

 そう思って鞄に教科書やノートをしまっていると、鞄をもった佳奈が僕の元にやってきた。

「明くーん、かえろー」

「ごめん佳奈。僕ちょっと姫条さんに用事が……」

「茜さんなら委員会の仕事に行っちゃったよ?」

「え?」

 ふと姫条さんの席をみると、確かに姫条さんの鞄はなかった。

「まぁ茜さんだけじゃなくて五郊くんもってところが怪しいけど、生徒会の仕事だからしょうがないよね。それに姫条さんは学校内のファンが凄いから五郊くんだってそうそう手を出せそうにないし」

「じゃぁ僕も残って──」

「明くん、なんのために携帯の連絡先交換したの?」

「いやでも──」

「それに昨日はお昼までだったからOKしたけど、今日はもう通常授業なんだよ? いつまでかかるか分からないし、茜さんの鞄がないってことは教室に戻ってくるかどうかわからないんだよ?」

 確かに佳奈の言うとおりだ。僕がここで待っていても昨日のように姫条さんが此処にきてくれるという保証はどこにもない。それに僕と姫条さんは携帯の連絡先を交換したんだから後で電話したほうがはるかに簡単なんだけど……本当にそれでいいのかな?

 ただ、僕は姫条さんに会って何をどう話せばいいんだろうか?

 五郊に言われるまで気づくことさえできなかった僕が、姫条さんにどんな顔して何を話せばいいんだろうか?むしろどの面さげて会えばいいんだ?

 今日の朝のようになんていまの僕はできっこない。

「ん、そうだね。連絡先を交換したんだから後で電話すればいいか」

「うんうん。ちなみになにを話そうとしてたの?」

「大したことじゃないよ」

「ほんとにー?」

「うん、ほんとだよ」

 僕の考えていることなんて佳奈には全部お見通しなんだろう。佳奈は僕の表情は分かりやすいと言っていたし、それに佳奈はこういった内に秘めてる想いを見抜く力がズバ抜けている。

 けども佳奈は深く追求することなく、僕にそっかとだけ返してくれた。

「じゃぁ帰るよ、明くん」

「うん」

 その気遣いが僕にはとても嬉しく思えた。




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